バラという植物は、世話をすればするほど、それに応えてくれる花木だ。
逆に、こちらが手を抜いたり、すべきことを「もう少し先でも、大丈夫かも」などと
言い訳をして、先送りにすると、てきめんに、そのしっぺ返しがくる。
今年は、正直言って、あまり、バラの世話をしなかった。
言い訳をするならば、毎日、仕事に行くだけで、自分としては、精一杯だったのだ。
しかし、それも、所詮、言い訳に過ぎない。
イングリッシュローズの「サマーソング」。
春に芽吹いた新芽は、全部、ブラインドだった。
去年、余りに状態が悪いので、鉢を開いて見てみたときも、根の状態が本当に良くなかった。
そして、冬、春にかけての、手入れ不足。
バラを育てる人間としては、ひたすら「すいません…」と詫びるしかない。
そんな、感じである。
新芽が、すべて、ブラインドだったので、深めに切り戻して、肥料をあげ、
「秋に期待してるからね~」と、話しかける日々。
そしたら、一本、新芽がぐーんと伸び、花芽をつけているではないか。
それに、気が付いた時の喜び。
そして、一昨日、一輪だけ、花が咲いた。
毎日、いろんなことがあり、日々、思い悩むこともあるけれど、
朝起きて、好きな花が咲いているのを発見するのは、
そんな悩みなど、吹き飛ばしてしまうぐらい嬉しい気分になれる出来事だ。
こんな風に、朝に発見する花の開花が、自分の花ならば、もちろん、とても嬉しい。
しかし、私にとって、それは、どうも、自分の花に限らないようなのだ。
(特に、最近、はっきり気が付いたといってもいいかもしれない)
知らない誰かに愛されているらしき、通勤路で見かけるプランターの草花達。
毎年、同じ時期に花を咲かせ、季節を告げてくれる 「その場所に生きている花木」。
今、駅までの道や御近所の家々を思い浮かべながら、思いつくままに挙げてみるだけで、
ライラック、藤、紫陽花、ハナミズキ、バイカウツギ、クチナシ、タチアオイ、
沈丁花、木蓮、百日紅、睡蓮、萩、牡丹に、芍薬…
庭に木があるということ、庭の木に花が咲いているということは、
そこに、確かな生活の営みがある証。(と私は思っている)
私の庭は、恥かしいほど、本当に小さなベランダだ。
でも、この小さな生活を大切に守っていければ、この上なく嬉しいと、今、思っている。
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