なつの天然生活

うつ病の寛解を目指す なつの暮らし。日々の喜びと悲しみ、美味しいお店、パンやお菓子、小さな庭のこと。

降誕祭

2007-12-25 | 信仰 キリスト教

主の御降誕、おめでとうございます。
メリークリスマス!

24日の夜は、所属している教会で主の御降誕を祝う「夜半のミサ」にあずかってきました。
ミサで今年一年を振り返って祈る時、いつも心に浮かぶのは、聖書のこの言葉です。


何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。

人が労苦してみたところで何になろう。
わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。
神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。
それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。

                              コヘレトの言葉 3章 1~11節

 

 今年は、夫が焼いてくれたローストチキン。
                       写真はグロテスクだけど、美味なり。


*全てのコメントにお返事することが出来ないので、コメントは受け付けていません。 
どうぞ、御理解ください。



今日から四旬節、灰の水曜日のミサへ着物で。

2007-02-21 | 信仰 キリスト教

今日から「四旬節」です。四旬節というのは、復活の主日(復活祭)前の約40日間のこと。復活の主日に、洗礼を受ける洗礼志願者にとっては、最後の準備期間ですし、私のような、受洗したキリスト者にとっては、自分が洗礼を受けた恵みを思い起こして、回心と節制につとめ、自分の生活を振り返る、とても大切な期間。
このような「四旬節」の一番初めの日が、今日で、「灰の水曜日
私も自分の教会のミサに出てきました。
平日の午前中ということもあって、ミサに授かっている人は主日よりは少ないですが、御堂の中は、厳粛な空気です。
今日から、神父様の式服も「紫」に。これも、回心、償い、節制のシンボルだそう。他に、普段のミサと違うことは、栄光の賛歌、アレルヤ唱が歌われないことかな。あ、決定的に違うことがあります。それは、「灰の式」があること。
去年の「枝の主日」で使った棕櫚(シュロ)の枝を燃やして祝別した灰を、神父様の手で頭に振りかけて貰うのです。
灰を受けることは「回心」のしるし。主の前にへりくだり、自分を振り返り、復活の主日で晴れやかに、主イエス・キリストの御復活をお祝いできるよう、充実した四旬節を過ごせればと思います。

*写真は、カトリック聖歌集の「もろびとこぞりて」のページ。今日の「派遣」の歌でした。
歌いながら、何故か詞が染みて、染みて、涙がポロリ~。
「み恵みあふるる 神のみこころよ 永遠に尽きぬ なぐさめを賜う 
 うららかな朝(あした) わびしき夕べに 偲びまつる君 イエズスのみ心 
 とうときわが友 救いのみこころ いまわの時にも主よ守りたまえ」

思いっきり、旧かな遣いです。この黒くて小さいが置いてある教会も稀なような気がしますが…^^;

今日の着物です。

灰を‘かぶる’という頭があったので、普段着の銘仙。
急いで、こないだネットショップで買った塵除け着たら、全然合ってないです^^;

急いで、教会まで自転車飛ばしてます!


降誕祭、着物でミサへ。

2006-12-25 | 信仰 キリスト教


主の御降誕、おめでとうございます。
Merry X’mas

クリスマス・イブの昨日、24日は、夜7時から「主の降誕」をお祝いする「夜半のミサ」に行ってきました。
日曜日の夜ということもあったのか、普段ミサに来られない方や信者さん以外の方も大勢いらしていて、お御堂の中は人でいっぱい。
キリストの誕生をお祝いする暖かい雰囲気に包まれていて、私も幸せな気持ちに満たされた夜でした。
今年も無事、クリスマスを迎えることが出来て、本当に嬉しいです。


受付には、誕生シーンの飾りつけ。


今日の着物は、大島紬に白地の袋帯。
両方とも、洗礼を受けた時、代母になってくださった先生から頂いたものです。
「夜には地味かな」と思ったのですが、着ているのを見て頂きたかったので、これに決定。
喜んで頂けたので、嬉しかったです。感謝。


御復活の主日ミサ

2006-04-16 | 信仰 キリスト教

主の御復活、おめでとうございます!
教会では、11時から復活の主日のミサがありました。
毎年、復活祭(イースター)がくると、今年も春が来たなぁと嬉しくなります。

ミサの後は、聖堂の出口で子供達が配るイースターエッグを貰って、信徒会館へ。今回は、料理持ち寄りのパーティでした。まずは神父さんの音頭で「御復活おめでとう!」の乾杯。私は缶酎ハイを紙コップに一杯、部屋の角っこでお料理をチマチマと頂きました。何も料理が用意できなかったので、その分を献金しようと献金箱を探したら、もう片付けられた後でした。ありゃりゃ~。今度のミサの時、多めに入れることで許してもらおう。。
風邪もだいぶ良くなってきたし、気持ちの方の調子もよく、「耳栓」してたら「耳」も大丈夫でした。復活祭のミサ、パーティに参加できてよかったです。この調子で徐々に私も復活していけたら嬉しいな。


今日の着物は雨バージョン。。義母のポリエステル着物に、絞りの帯&ローズピンクの帯締め。
半襟が白だと何となく気持ちが引き締まります。私だけかな?
この上に雨コートを着て、下駄を履いてでかけました。


*メイン写真は昨日の復活徹夜祭で聖火を頂いたロウソク


聖週間が始まりました。

2006-04-10 | 信仰 キリスト教

この日曜日は「受難の主日でした。「枝の主日」とも言い、イエス・キリストがエルサレムにろばに乗って入城した場面を記念するキリスト教の祝日です。私が通っているカトリック教会でも、皆が中庭に棕櫚(しゅろ)の木の枝(もしかしたら蘇鉄そてつかも)を持って集まって、枝を祝福する儀式があり、その後、神父さんを先頭に聖歌を歌いながら行列を作って聖堂に入るところからミサが始まりました。
去年の夏前からは京都生活だったし、帰ってきてからもミサに出たり出なかっただったので、久しぶりにお会いした方も多く、何人もの方が「去年、顔を見なかったけど、大丈夫?心配してたのよ」と声をかけてくださいました。ありがたいことだなぁ~とシミジミ…。
今日から聖週間に入って、土曜日には復活徹夜祭、そして、来週の日曜日は「御復活の主日」
復活祭(イースター)を向えたら、ようやく本格的な春がやってきます。

今日の着物です。たぶんこの組み合わせは初めて。
赤系の紬を、グリーン&オレンジチェックの木綿名古屋帯、最近買ったモスグリーンの帯締め、ピンクベージュの帯揚げですっきりと。
この上に、洗礼を受けたときに代母をしてくださった先生から頂いた羽織を着て行きました。
「この着物にぴったり合うわねぇ~!」と喜んで貰えてとても嬉しかったです。


【京都通信】日曜日の密かな楽しみ。

2005-08-21 | 信仰 キリスト教

京都に来てから通っている教会は、カトリック京都河原町教会という、ステンドグラスがとても綺麗な教会です。祭壇の左右には聖母マリアとイエスを抱くヨゼフの像、神奈川で通っていた教会は小さくて古い素朴な教会だったので、一番初めに入ったときは綺麗さにびっくりしました。他にも違うところはいろいろあって、ベールを被っている女性が多いこと、外国人の方の率が高いこと、それから、極めつけは「歌ミサ」ということです。今までの教会は、若い神父さんで、話し言葉でのミサが普通だったから、御年配の神父さんの朗々とした歌声でのミサ司式には本当にびっくりしました。どんな風に歌えばいいのかもわからなかったぐらい。でも京都に来て1ヶ月、かなり慣れて来ました。そして、自分だけの密かな楽しみを見つけて楽しんでます。それは、歌の練習…。
実は、私、方向音痴にプラスして、音痴ちゃんなんです^^; 幼稚園の頃、私の音痴ぶりに気が付いた母親は、隣の家がお琴教室だったので、なんとかしようと習いに行かせた程…ピアノやオルガンではなくて、お琴だったという選択の間違いもあり、音痴ちゃんは直ることなく、今に至っております。でも、この教会に通い始めて、ちょっと歌に自信が…。なぜかと言うと、まず合唱隊の方々が並外れて上手いんです。プロの合唱団とかオペラ歌手が歌ってるみたいです。で、それに合わせて、ここに長く通ってらっしゃるらしき御年配の信者さんが、また朗々とお歌いになります。よって、私が楽譜を見ながら少々外れた音で歌っても、誰にも気づかれることなど無く…私は、腹式呼吸を意識しながら、毎週、聖歌を歌っているという訳です。お腹の底から声を出すのは、かなり気持ちがよく、ミサに出たという気持ちの良さと相乗効果もあって、さらにいい気持ち~。それに、この教会、パイプオルガンがあって、その演奏がとても素敵なので、祈りながら、それを聴くのも楽しみのひとつ。京都でのリラクゼーションスポットのひとつです。


聖書勉強会がスタート。

2005-04-21 | 信仰 キリスト教
今日から、今年の聖書勉強会が始まった。4月から「3教会に神父さんが一人」体制になったので、名前も「3教会合同キリスト教研究会」になり、内容もいちからのスタート。この冬は、うつ病の具合が悪かったし、その前は京都の実家に長く帰っていたので、去年は夏以降、殆ど欠席していた。基本的な話から、また勉強出来るというのが、洗礼を受けて数年の私にはとても嬉しい。今年は体調がこの調子でキープ出来れば、続けて出席出来そう。

今日の話は、やはり新法王のことから。新しく教皇になられたヨゼフ・ラツィンガー枢機卿、改め、ベネディクト16世は、「カトリック教会の頭脳」と言われる人だそうな。単に‘頭がいい’というレベルを超えて超人的な頭の良さ、別の言葉では‘人間業とは思えない程の情報収集能力、情報処理能力’を持つ人、 ‘ばけもんみたいな頭のいい人’とも。私が、テレビで見た印象は「78歳には見えないなぁ」。お年より若い感じがした。サンピエトロ大聖堂のバルコニーからの挨拶「私は主のブドウ園の単純な、つましい労働者となる」の言葉が印象的だった。

今日の勉強会は、世界の宗教事情の概論、キリスト教が起こってから、いろいろな教派に分かれて現在に至るまでの概略。次回は、ミサの中身について、それぞれの内容について、成り立ち、意味を改めて考えるのがテーマ。また少しづつ聖書を読んでいこう。

(聖書には、私がパッチワークで作ったカバーがしてあります。)

東京カテドラルでの追悼ミサ

2005-04-08 | 信仰 キリスト教
聖堂内は既に人でいっぱいのようで、私は、大型スクリーンに映し出されるミサの映像を見て、ミサに参加した。受付で頂いたパンフレットの中に、パパ様、教皇ヨハネ・パウロ2世の優しいお顔の写真がはさまれていた。私がヨハネ・パウロ二世と出会ったのは5年前のある本。それからいろんなことを教えてもらった。パパは私達の中心。あなたを通して神に出会い、イエス・キリストを知った。
パパ様、ありがとうございました。今日、ここで同じ思いを抱く人達と一緒に祈れて本当によかった。

父の死。

2005-04-04 | 信仰 キリスト教
ヨハネ・パウロ2世のご遺体がサンピエトロ寺院に移された。
本当に亡くなったのだ。という切ない実感が自分の中に満ちてくる。涙がこぼれる。
一昨年には義父を、去年は父親を亡くした。今年はパパ様が亡くなった。

最後の様子や今後の葬儀の予定、コンクラーベについて伝えるテレビキャスターの声がうるさい。
サンピエトロ広場で静かに祈る人々が映し出される。静かに蝋燭が置かれる。テレビの前で、その人と共に祈る。
バチカンの様子だけを映像で伝えてくれる放送はないのだろうか。

日本での追悼ミサの予定がカトリック中央協議会のホームページで発表されているのを見つけた。
葬儀と同じ日に行われるようだ。

故教皇ヨハネ・パウロ二世 メモリアルミサ(追悼ミサ)開催について
2005年4月8日(金)11:00から 
東京都文京区関口3-16-15
TEL 03-3943-2301, 2277 FAX 3944-8511
主催 日本カトリック司教協議会

祈りに行こうと思う。

ヨハネ・パウロ二世と出合った本。

2005-04-02 | 信仰 キリスト教

私は、「ヴァチカン―ローマ法王、祈りの時」(著:南里空海、野町和嘉)で、初めてヨハネ・パウロ二世という存在を知った。1999年12月24日、ヴァチカンの聖ピエトロ大聖堂、お琴の「さくら」が流れる中、三千年紀への「大聖年の扉」がヨハネ・パウロ二世によって開かれた。二千年を迎えるローマ教皇の深い祈り。。
もちろん一般的な知識として、その存在は知っていたのだけれど、ポーランド人として初めて教皇となったヨハネ・パウロ二世の誕生から人生の歩み、教皇になってからの精力的な活動を始めて知ったのだ。

自らに与えられた使命を深く認識し、自らの能力を最大限に使い、与えられた使命を積極的に生きる人。

それが、この本を読んだ私のヨハネ・パウロ二世像。それから彼が私にとって最も尊敬する人物になった。それまではソニーの出井さん(先日会長を退任)だったのだから、かなりの方向転換。この本が発売された2000年6月。私にうつ病の症状が現れはじめ、自分の人生、生きる意味を深く考え始めた頃だ。その時は聖書を読んだこともなく、教会も知らなかったが、その数ヵ月後、導かれるように、キリストを知ることになった。

今、危篤状態にあると報じられている新聞やネットの記事を読む限り、回復を望むのは困難な状況のようだ。とても悲しい。パパ様のために祈ろうと思う。

イースターエッグ

2005-03-27 | 信仰 キリスト教
ご復活の主日の朗読役も“強力耳栓”のおかけで無事果たせて安堵。
ミサのあと、お御堂を出ると子供たちがイースターエッグを配っている。私も体調のいいときは、作り手になったけど、今年はもらうのみ。子供ちゃんが書いたっぽい素朴な卵ちゃんを2個もらった。最近は「お湯につけたら、はい完成!」の卵シールもあるけど、こんなココロおもむくままのアートっぽい?卵ちゃんには負けると思う。

うちに帰って、ちゃぶ台の上に転がしてみたら、猫のユッケがいきなり遊びモードに入った。

そうそう今年初めて知ったこと。ヨーロッパなどではイースターのシンボルとしてウサギのチョコレートをプレゼントするそう。イースターエッグを3年前に知った私、まだまだ知らないことが多い。日本でも売っているのかな。来年は復活祭前に捜しに行きたい

洗礼

2005-03-27 | 信仰 キリスト教
私は3年前の復活祭に洗礼を受けた。これは、私にとって「私にとってこんなことが起こるとは…!」的な出来事。なんといっても、生まれたのは寺だし、よって、父はお坊さんだし、近所には神社があって、春祭りや秋祭りにはそこでお琴をひいてたし、高校は仏教系だったし、という感じでキリスト教には全く縁がない世界で育ったわけで、聖書も手に取ったことがなかったし、キリストの生涯は、中学高校がカトリック系の学校だった、つれあいのりんの方が詳しかったぐらいだ。

初めて教会にいたのは、5年前の夏。うつ病で休職して、自宅療養で安静生活のあと、やっと外に出られように頃だ。今までも会社の行き帰り、最寄駅まで自転車で通っていた道沿いにある教会のそばを自転車でフラフラと通りかかった。そのとき何故か「この建物の中に入りたい」と思った。
それで、教会の門を開け、たまたまそこにいた信者さんに「すいません、この建物の中に入りたいんですけど…」。「ここ?お御堂ですか?」 なつ「あ、お御堂って言うんだ…」信者さん「どうぞ、どうぞ、ご自由に」 ということでお御堂の中に入った。

そこには、正面に十字架に架けられたイエスキリストの像。
それを見たら、わんわん泣けてきた。「この人なら私が今とても辛いというのをわかってもらえるかも…」と。それが出会い。人生というのは、どこに出会いがあるかわからない。

「この中にまた入るにはどうしたらいいんだろう」「そういえば教会にはミサというものがあったような気がする」ということで、ミサに出るようになり、そこにいらしたカテキスターの先生の話を聞くようになり、神父さんの聖書入門勉強会に出るようになり、「キリストさんのお弟子さんになりたいかも…」と思うようになって、2003年、3年前の復活祭に洗礼を受けた。洗礼式では、嬉しくてわんわん泣いた。

昨日の復活徹夜祭で、私が通っている教会ではお二人の方が洗礼を受けられた。お二人とも70歳を過ぎておられる。そのお年で(といっては失礼かもしれないけど)洗礼をされるには、何か強く思われることがあったのだろう。洗礼を受けられたお二人は「本当に嬉しいです」とニコニコ顔。とてもいい顔をしておられた。受洗おめでとうございます。