女装子愛好クラブ

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バブルの時代~東京の女装シーンも劇的な変化がありました

2022年05月08日 | 私的東京女装史
今日で大型連休も最終日ですね。
私は遠出もせず、家でちんまりしておりました。
そのなかで面白かったのは「NHKスペシャル: 東京ブラックホールIII 」です。
山田孝之がバブルの時代にタイムスリップするのです。

「東京ブラックホールIII」では、日本経済のバブルが最も膨らみ、一挙に奈落の底に落ちた1989年から1990年にタイムスリップ、俳優・山田孝之演じる21世紀の若者が狂乱の時代を追体験する。
今でこそ、日本の迷走の原点と位置づけられるバブルだが、その時代、日本経済が世界の頂点に立っていたことは間違いない。経済成長率は先進国で最も高く、輸出も順調で経営者たちは日本的経営に自信を深め、もはやアメリカなど恐れるに足りずという空気だった。人々の所得も上がり続け、高級車、高級レストラン、リゾートにも手が届くようになった。未来への期待感が膨らみ、国民全体が多幸感に浸っていた。
しかし、89年12月、38915円という史上最高値をつけた日経平均株価は、年が明けると急落に転じ、10月には2万円を割る。数倍に上昇を続けた東京圏の土地価格も急落していく。東京に出現したブラックホールは、世界中の富を飲み込み、日本に束の間の繁栄をもたらし、瞬く間に泡と消えたのだった。
歴史上、日本が最も確固たる自信を持ち、陶酔感の中にあった時代を追体験していくことで、閉塞感のなかにある今の私たちの希望の手がかりを探していく。同youtubeの解説から引用


この番組を5月1日に観ましたが、いやあ面白かったですね。
当事者だった自分の記憶が次々に甦ってきます。
ディスコで踊るソバージュのお姉さまたちに改めてゾクゾクしました。
彼女たちもいまは還暦でございます。
番組のメッセージは『あきらめることに慣れすぎていないか』です。
うん、いいぞぉ...。

さて、この時代は女装世界でもターニングポイントでした。
三橋順子さんは「トランスジェンダー・カルチャーの昭和史」で以下のように書いていらっしゃいます。

一九七九(昭和五四)年、日本初の本格的な商業女装クラブ「エリザベス会館」が東京神田にオープンする。商業女装クラブとは、簡単に言えば男性客がお金を払って女装させてもらう場所である。規模の小さなものは以前からあったが、「エリザベス会館」はビル全部が女装関係の設備で、女装用品のショップ、専門のメイキャッパーや美容師が常駐するメイク室、女装姿でくつろげる談話室、プロ仕様の機材を揃えた撮影スタジオを完備した大規模なものだった。

(図9)は一九八〇年代の「エリザベス会館」の広告だが、「エリザベス」という文字の下に「趣味とストレス解消の店」と書いてあることに注目してほしい。一九八〇年代は、日本経済が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の掛け声ととともにバブル経済への上り坂を駆けのぼっていった時期である。その時代を担った「二四時間働けますか」(ドリンク剤「リゲイン」のCMソング)というコピーに象徴される猛烈サラリーマンのストレス解消のための女装趣味という路線をはっきり打ち出し、それがマスコミに取り上げられ知名度を上げていった。

実際、私のエリザベス時代の先輩には、ミニワンピースの女装姿で、当初期の肩掛け式の大きな携帯電話を使って部下にてきぱき指示を出している一流企業のエリート・ビジネスマンがいた。
「エリザベス会館」のシステムの特色は、外出の制限と非女装の男性客を排除したことである。それによって安全な女装環境が提供され、気軽に楽しめる趣味・娯楽としての女装という形態が確立された。また、非女装の男性を排除したことで、アマチュア女装者は、それまで表裏一体の関係にあった男性との性愛関係から切り離されたことも大きな変化だった。

一九八〇(昭和五五)年、「エリザベス会館」の母体である「アント商事」から最初の女装専門誌「くい~ん」が創刊される(図10)。
女装専門の雑誌媒体によって全国に散在していた女装趣味の人たちがつながり、女装趣味の普及に大きな役割を果たした。一九八三年に『くい~ん』主催の「全日本女装写真コンテスト」が始まると、全国の女装者が女装技術を磨き、グランプリや入賞を目指して女装写真の出来栄えを競うようになる。それはまさに「競技」であり、こうした女装者のミスコンを私は「競技女装」と名づけた。
出所 「トランスジェンダー・カルチャーの昭和史」 三橋順子著
   『昭和文化のダイナミクス』ミネルヴァ書房 2016年所収 
    図9、図10は引用者が同書からの転載を行っていません。


猛烈サラリーマンのストレス解消のための女装趣味というコンセプト、そしてバブル景気で男性諸氏の懐が温かくなったことがエリザベス会館そして『くぃーん』が発展していったのですね。
コメント
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