小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

財務省の卑劣な誘導に乗るな(SSKシリーズ22)

2015年11月03日 13時10分01秒 | 経済
 埼玉県私塾協同組合というところが出している「SSKレポート」という広報誌があります。私はあるご縁から、この雑誌に十年以上にわたって短いエッセイを寄稿してきました。このうち、2009年8月以前のものは、『子供問題』『大人問題』という二冊の本(いずれもポット出版)にだいたい収められています。それ以降のものは単行本未収録で、あまり人目に触れる機会もありませんので、折に触れてこのブログに転載することにしました。発表時期に関係なく、ランダムに載せていきます。

【2015年9月発表】

 去る9月9日、2017年4月から消費税が10%に増税される件について、財務省が軽減税率に関する一つの案を提出しました。これは、2016年から実施予定のマイナンバー制と組み合わせたきわめて煩雑なもので、おそらく一般国民で賛成する人はまずいないだろうと思われます。その概要は、お店で買い物するごとに個人番号が付されたカードで金額を登録し、それがセンターに送られてポイントとして累計された結果、該当する商品につき年間4000円を上限として2%分が還付されるというものです。還付を受けるためには、スマホやパソコンで新しく振込口座も開設しなくてはなりません。
 わざと手続きを面倒にして還付されないようにするという意図が見え見えですね。そもそも自主的にマイナンバー登録する人は四分の一に満たないと言われています。返してもらいたけりゃ登録しろという脅迫まがいの提案を政府が公然としているのです。
 この案に対しては、個人情報の漏洩を恐れるとか、上限金額が安すぎるとか、手続きが煩わしすぎるとか、各店舗に設置する機械の費用はどれくらいかかり、だれが負担するのかとか、増税期までに設置が間に合うのかとか、すでにいろいろな批判が出されています。案の定この提案は与党が難色を示し、すでに白紙撤回されました。
 しかしここで言いたいのは、その種の批判ではありません。むしろこれらの批判が、最も重要な問題点を忘れさせる役割を果たしていると指摘したいのです。
 最も重要な問題点とは何か。そもそも財務省は、10%への増税を既定の事実として前提にしながらこの案を提出しています。この前提では、なぜ10%に増税する必要があるのか、これを実施すると国民生活はどうなるのかという問いがまったく不問に付されているのです。
 この間の消費税増税の動きは、このままでは「国の借金」が膨らんで財政破綻するから税収増で補填する必要があるという、財務省の間違った理屈に基づくものです。政府の負債(国債)はほとんどが日本国民の財産であり、しかも円建てですから破綻の恐れなどないばかりか、通貨発行権を持つ日銀が買い取ればいくらでも減らすことができます(現に異次元緩和で減っています)。また政府は負債ばかりでなく莫大な資産も持っています。そもそもデフレ不況時に増税や緊縮策などを取れば、消費や投資がますます落ち込むことは明らかです。現に前回の増税がGDP成長率のマイナスを引き起こした事実が明るみに出ましたね。
 もともと消費税は生活弱者に厳しい逆進性をもっています。これを増税することによって財政を「健全化」しようという政府の政策は、自分たちが打つべき景気回復策(まずは大幅な財政出動です)を何ら打たないその無策の責任を国民になすりつけようとするとんでもないペテンなのです。10%への増税を既定の事実として、その上でヘンな提案をする財務省は、自身の最愚策については何の反省もせず、その欠陥を隠すために論点をずらしているわけです。こんな卑劣な誘導にけっして乗せられてはいけません。
 これを伝えないバカなマスコミを信じることはできないので、もう一度私たち自身で、消費増税が果たして必要なのかどうか一から考え直そうではありませんか。




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5 コメント

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Unknown (原田 大介)
2015-11-10 12:17:12
小浜先生
いつも興味深く拝読しております。随分前になりますが「男という不安」を手にとって以来、先生の著作やサイトをいつも参考にさせていただいております。

まず、先生の議論には全面的に賛成です。アクセルとブレーキを同時に踏み込めば、クルマはスピンして事故につながるのは明白です。インフレ政策と消費増税というベクトルが逆の政策を同時に実施することでよい結果が得られるとは思えません。

さて、公務員ではない一社会人として、財務官僚と言えども私服を肥やすために増税するとは思いません。少なくとも、原則的には超エリートとして日本国家に対してよかれと思って、行政や政治家への振り付けを行っていると私は考えています。私服を肥やすようなモチベーションは生まれ付いての悪人でもない限り、普通は仕事の原動力にはなりえないと考えるからです。

すると、増税とデフレ政策が日本のためであると財務省や日銀が考えているということになります。しかし、現実を見ればアベノミクスで若干の改善をしているものの、需要不足による長期デフレで、日本国民(≒日本国)の大部分が幸せになっているとは思えません。
彼らがそれを分析できないほど馬鹿だとは思いません。なので、「増税こそが日本のため」と彼らが考える理由がわからないのです。小浜先生のご高察を賜りたく、僭越ながらコメントを差し上げました。
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原田大介さんへ (小浜逸郎)
2015-11-10 20:41:59
真摯なコメント、ありがとうございます。

このご質問は、日本の経済政策だけに限らず、非常に重要な問題を含んでいて、私も「なぜなのだろう」といろいろ考えてきましたが、いまだに決定打を打てない状態です。

おっしゃる通り、パワーエリートの人たちが、私腹を肥やすためにそうしているという答えは、ごく部分的には当てはまるところがあるかもしれませんが、それだけでは、はなはだ不十分な答えというほかはないでしょう。

 とりあえず蓋然的に妥当するご回答という限りで申し上げますと、次のようになるかと思われます。
①優秀・有能な言論人が少数派であり、政策に影響を与えうるだけの権力を手にしていない。
②マスコミによって作り出された間違った世論に、一般大衆だけではなく、政策担当者も惑わされている。
③構造改革、規制緩和路線という新自由主義、市場原理主義的なイデオロギーが、経済学から政策の分野まで主流を占めていて、それと財務省の緊縮財政論との相性が良い。なおこのイデオロギーは、アメリカのウォール街や金融資本のみを利するもので、敗戦以来のわが国の伝統である対米従属関係がそれを積極的に押し進めさせている。
④国民の大多数が、経済政策について真剣に考えるだけの力量、時間、意欲を持たず、パワーエリートたちの政策との距離があまりに遠いために、不況などの社会現象を災害と同じような自然現象のように受け止めてしまっている。
⑤現代のように複雑に発展した高度大衆社会、高度情報社会においては、何が正しいのかを見極める総合的な視野を確保することが難しく、学者、専門家、政策担当者といえどもそれは例外ではない。その意味で、財務官僚たちや政権担当者たちも、緊縮財政路線や増税路線が正しいと、けっこう本気で思っている。特に彼らには、庶民生活の感覚が欠落している。
⑥官僚は、プライドが高く、また融通が利かず、一度決めたこと(この場合は消費増税や公共投資削減)がデフレ脱却のためには失敗だったと薄々気付いていたとしても、それを容易に改めようとしない頑固な体質に支配されている。この体質には、出世の妨げとなるような果敢な内部改革を行わせないような事なかれ主義がかなり関係している。

これらが総合的に作用すると、いくら頭のよい人たちが集まっている部署でも、その頭の働き具合がきわめて限定されてしまって、こちらから見ているとたいして難しい事でもないのに、それが見えない視野狭窄に陥ることはあり得ると思います。構造的なタコツボ化と呼べるのではないでしょうか。たとえは悪いですが、某カルト集団に、けっこう優秀な頭脳が集まっていたことを思い出してみてください。

ご参考までに、今年の4月時点で、原田さんが指摘されているのと同じような問題について考えてみた拙稿がありますので、よろしかったらご笑覧ください。
http://asread.info/archives/1713

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ご返信ありがとうございます (原田 大介)
2015-11-12 13:26:48
小浜先生

丁寧なご返答、ありがとうございます。ご紹介のブログポストを大変興味深く拝読しました。おっしゃるように症状としては構造的な視野狭窄というように理解しました。ただ構造的なために、主原因がつかめないというというのが先生の一旦の結論でしょうか。

先生の分類で⑥「正論を認めると、権力者、関係者の規定路線を改めなくてはならず、その組織内での出世も妨げられる」と⑦「政府、マスコミなどの主流の動きにはすべて権力者、関係者、財界などの利権が絡んでいる」という分析から、旧帝国陸海軍の上層部を連想いたしました。

米軍の士官の一人が「下士官と兵士は世界一優秀だった。われわれが勝利したのは奇跡的だった。しかし士官と上層部は世界一愚劣だった。われわれが勝利したのは当然だった。」と旧帝国陸海軍を評したとか。私はいわゆる日本の大企業に勤めておりますが、会社組織でも、(難しいところですが)上に行くほど、割合と愚劣で、現場が異常に優秀という現実があると感じています。

順調の場合にはそれでもうまくいきますが、逆境や危機的状況に対応できずに墓穴を掘っていることを自覚しながら、大きくは倒産、小さくは失敗プロジェクトなどに陥るケースが多くあります。これはコンサルタントとして現場を見てきたものとしての実感です。(ITと業務改善のコンサルタントを生業としております)

その場合素朴な疑問「なぜこんな非合理なことを続けているのですか?」を口にすると、まずまちがいなく⑥と⑦の言い訳が出てきます。

どうも、日本的な組織構造に問題があるような気がしております。


また、まったく違う角度からすると、リベラルアーツ的な教養がエリートに欠如していることも大きく作用している気がします。例のカルト団体と(同列にしては申し訳ないのですが、自己陶酔という面において)戦前の青年将校(これも若手官僚ですね)がかぶるのです。

優秀な人材が集まると馬鹿集団になってしまう・・・これを何とか克服しないと日本にとって非常に不幸な気がしております。
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原田大介さんへ (小浜逸郎)
2015-11-12 23:21:12
上層部に行くほど、現場感覚を失って拙劣な判断をしがちであるというお話、とても共感できます。これはおっしゃる通り、旧陸海軍に典型的ですが、必ずしも日本的な組織に特有というのでもないようです。

たとえば、同じ緊縮政策を取っている欧州委員会がよい例で、彼らはその結果、ギリシアをはじめとした南欧の国々を破綻寸前にまで追い込んでいます。EUの場合は、イギリスやスイスを除き、ユーロという統一通貨によって金融政策の主権を独占し、財政政策とのリンケージを加盟各国から奪うことでその経済的主権をなきものにしています。加えて、エリートにありがちな「一つの欧州」という空想に耽ってきましたね。そのつけがいま、深刻な難民問題として表れているのだと思います。
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ありがとうございます (原田 大介)
2015-11-16 14:00:22
ヒントを頂きましてありがとうございます。もう少し自分なりに考えてみたいと思います。
まず、御礼まで。
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