小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

日本虚人列伝――立花隆(その1)

2017年05月29日 00時40分14秒 | 思想

      





以下2回にわたってに掲載するのは、『正論』2017年6月号に寄せた論考にほんの少しの修正を施したものです。

 立花隆? あんな人、もう終わってるよ――そう思われた人は多いのではないでしょうか。しかし仮にそうであるにしても、なぜ七〇年代から九〇年代にかけてあれほど日本の言論ジャーナリズムでもてはやされたのか、そこには当時の日本のどんな文化風土が背景としてあったのか、こうした歴史学的、文化人類学的関心を掘り起こしてみることは、いまの日本を理解する上で一つの導きの糸となるのではないでしょうか。
 じつは今から十五年前の二〇〇二年に『立花隆「嘘八百」の研究』(別冊宝島Real027・宝島社)というムックが出たことがあります。冒頭、編集部が書いたイントロダクションの一節を引きます。

 《「教養」や「知」を盾に取った立花隆の仕事ぶりをつぶさに検証していくと、浮かび上がるのは「シロウト騙し」の手練手管、知的欲求を満足させたい読者に向けて、事実歪曲、思い込み、デタラメ解釈といった不純物混じりの情報を横流しする「知のテキヤ」ぶり。立花隆は二〇世紀のマスコミが抱えてきた恥部、すなわち、いかがわしい情報(知)ブローカー体質を象徴的に体現した存在でもあるのだ。》

 かなり激しい決めつけ方がされています。
しかし立花隆という人は、引用文に書かれたような、意識的にシロウト読者を騙してやろうといった奸智に長けた人ではありません。もっと素朴でクソまじめ、物事をひねって考えることのできない人です。つまり、批評精神ゼロ、哲学的センスゼロ、だけど好奇心とエネルギーだけは並外れて大きい、言ってみれば猪突猛進型の突撃隊員のような人です。だからこそよけい困るのです。
 さて先の本では、政治、脳死、臨死体験、IT、宗教思想、公安問題、現代物理学、生命工学、エコロジー、精神医学、宇宙論等々、彼が扱ってきた驚くべき広汎な対象領域にまたがる「知的探究」なるものに対して、それぞれの書き手が個別に批判を繰り広げています(ちなみに筆者も、「脳死」の項を担当しました)。もっとも中には部分的にほめたたえている稿もあります。
そもそもたった一人の物書きを取り上げて、よってたかっていじめてやろうという企画がビジネスとして立派に成り立つということ自体が、この人物の図体のデカさを示しています(かなり売れたらしい)。その点だけは誰も否定できないでしょう。立花氏本人にとっては名誉なことかもしれません。

 何はともあれ、彼の主要著作のいくつかについて、具体的に当たってみましょう。
 まず彼の出世作である『田中角栄研究 全記録』(一九七六年)。
 これは、田中角栄がいかに金の力によって自民党内最大派閥を形成し、総理大臣の地位を射止め、退陣後も隠然たる力を及ぼし続けたかを、ロッキード事件による田中逮捕に至るまで執拗に追いかけたドキュメンタリーです。
立花氏はリアルタイムで細大漏らさずそのプロセスを記録しました。金権政治とか田中金脈といった言葉はこの本がもとで流行したのです。庶民宰相とか今太閤とか呼ばれてもてはやされた田中角栄が二年五カ月という短期間で退陣に追い込まれたのも、この本によるところ大です。
 この本の功罪は、次のところにあります。
「功」は、これ以降、政治資金規正法がしだいに整備され、大掛かりな贈収賄事件があまり見られなくなったことです。
田中角栄の金集め、バラマキはたしかに露骨というにふさわしいものがありました。これ以後もリクルート事件、KSD事件などが起き、大きなスキャンダルになりましたが、金集めの手法、その金額、中央政治家が堂々と金で人を動かす姿勢などにおいて、いわゆる「田中金権政治」の比ではありません。
「罪」ですが、これは、著者・立花氏自身にもかかわることです。それは、この本によって、政治家というものはいつも利権のためにだけ行動するものだという印象が国民の間に植え付けられてしまったことです。
もちろん政治倫理は大切ですが、権力を握っている政治家のすべてが官僚や財界と癒着してその利権のうまみを目指して行動しているわけではありません。しかしいったんこうした印象が定着すると、国民は、行われている政治のよしあしの判断基準を、贈収賄や公金横領などの倫理的な問題にだけ置くようになり、ある政党の政策や政治家の政策実現能力などを見ないようになります。
 立花氏は、実際この固定観念から抜けられず、その後の汚職事件についての感想を求められると、判で押したように「田中金脈以来の日本政治の本質的な構造は改まっていない」と答えるようになります。
 実際にはそういう見方はもう古く、日本の政治は、さほど金の力で動くようなものではなくなっていました。最近では、むしろ国会が機能せず、タコツボに入って視野狭窄に陥った官僚や学者、一部の「民間議員」と称する内閣直属の会議の「議員」たちの間違った独裁がこの国の政治を悪い方へ、悪い方へと導いています。
 国民大衆の多くがいまだに「政治は金が動かしている」というわかりやすい図式で政治批判をする根底には、富裕層や権力者に対するルサンチマンがあります。ことに長引くデフレ不況で貧困層が増えれば増えるほど、この傾向は増していきます。
最近の例では、舛添元都知事のチンケな公金使い込みなどをこれでもかこれでもかと追及して、ついに辞任に追い込んだ例があります。国民のルサンチマンは、このようにして、現実政策の是非を判断することから目をそらさせるために常に利用されているのです。立花氏はこの本によってその先鞭をつけたと言えるでしょう。
これはこの本の「罪」というよりは、決定的な「欠落」というべきなのですが、上下巻九百ぺージ近くに及ぶこの大著で、田中角栄が議員時代、閣僚時代にどんな政策を実現させたかという、政治論として最も大事なことがらに言及した部分は、驚くべきことにほとんど一ページも見当たりません。
 少なくとも田中の政治家としての初期の活躍ぶりには目覚ましいものがあります。
 一九四九年、田中はインフラ整備と国土開発を主なテーマに活動。以後、五三年まで、三三本の議員立法に関わり、その間、建築士法、公営住宅法を成立させ、公営住宅法は後に日本住宅公団設立の基礎となります。
五二年には道路法改正法を成立させ、二級国道の制定により国費投入の範囲を広げます。また道路審議会を設置し、「陳情」の民意を反映させる方式を取りいれます。
五三年には、道路整備費の財源等に関する臨時措置法を議員立法として提出し、ガソリン税相当分を道路特定財源とすることを可能にします。
五七年、岸内閣で郵政大臣に就任。テレビ局と新聞社の統合系列化を推し進め、現在の新聞社 - キー局 - ネット局体制の民間放送の原型を完成します。
 田中はマクロ経済に無知でしたから、首相時代には高度成長後のインフレ対策を大蔵省出身の福田に丸投げしましたが、それは裏を返せば、田中がいかに日本の経済成長に執念を燃やしていたかということの証左でもあります。
以上の記述からは、戦後の混乱がまだ収まらない中で、国民が何を一番望んでいるかに敏感で、ことの要を押さえつつ、辣腕を発揮しているさまが彷彿とします。
 これらの政策のよしあしの判断は読者にお任せしますが、立花氏が信じさせたがっているように、田中が権力欲や金銭欲だけのために巨額の金を動かしたのではないことは確かでしょう。状況に応じてどんな政策を取ったか、それは正しかったかという設問なしに「田中角栄研究」など成り立つはずがないのです。
これは、立花氏自身が政治音痴であることを明かすものであり、同時に、「大衆も政治家も金のことにしか興味がないのだ」という単純なテーゼによって、国民を煽り本来の政治から目をそらさせていることになります。


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