小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

コロナについてのある精神科医の見解

2020年04月02日 20時37分20秒 | 思想


以下に掲げるのは、長年懇意にしている筆者と同世代の精神科医の方からいただいたメールの一部です。
拙著新刊をお送りしたところ、その感想をいただきました。
一読、コロナ問題に対する医者としての優れた専門的な知見と、人間味あふれるその良識に深く共感しましたので、ご本人の了解を得て、ここに掲載させていただく次第です。
メールは2通ありますが、2通目は、筆者が調子に乗って、お返事の代わりに前回の拙ブログをお送りした、そのまたお返事です。


【第1信】
『まだMMTを知らない貧困大国日本』、さっそく拝読いたしました。
 日本社会が経済的にはもとより知的、文化的にも凋落の一途であること、様々なデータからわかってはいたものの、あらためて暗澹といたします。

 学生時代、国鉄の赤字が取り塵沙汰されていた頃、友人とこんな問答したことを思い出しました。下宿を訪ねて畳にごろ寝してテレビを眺めながら好き勝手な雑談にふける間柄でしたが、そんなときのやりとりでした。たぶん、たまたまテレビが国鉄赤字のニュースかなにかやっていたのでしょう。

 「国鉄って公共事業だよね。それがなぜ赤字でいけないんだ? 民間営利事業じゃないのに」
 「それを言えば警察庁も消防庁もみんな赤字だよね」
 「自衛隊も大赤字部門。採算性を求められて、あちこちに攻め込んで領地や資源をぶんどってこないと許されなくなったりして(笑)」。
 「なまじ運賃なんか取るから赤字だの黒字だの収支をとやかく言われるんだよ。運賃ゼロ、国鉄無料化すれば、赤字問題は一気に解消(笑)」

 その場かぎりの気楽な放言で、すっかり忘れていましたが、貴著を読んでいて蘇ってきました(もう少し膨らませれば八つぁん熊さんの落語にできそうです)。彼とはずっと親友でしたが、2年前、逝去しました。

 国民国家とは最大の公共事業体のはずです。黒字に固執する財務官僚や政治家たちは、君主国家の王様や廷臣が王家の財産を後生大事にするのと同じ心性に陥っているのでしょうか。公共事業体の担い手に公共的な意識に乏しいのは、「私的個人主義」の浸透によって現代日本人一般に公共意識が薄らいでいることに連動しているのでしょうか。

 わたしが医学生だった頃は、近代医学は「感染症」を克服して、コレラやペストは昔話、もはや疫病など医学のメインテーマではないという空気でしたが、グローバリズムは奥地で無害に眠っていたヴィールスを人間社会に引っ張りだし、張り巡らされた流通網によって世界に蔓延させます。恐ろしきはヴィールスよりも、あくなきグローバリズムかもしれませんね。反省の契機になればよいのですが・・・。

 各国に広まる外出禁止や都市封鎖は大昔からの疫病対策の定石で、『デカメロン』やカミュの『ペスト』の世界さながら。西欧では、最初は甘くみていた反動とペストの歴史体験が大きいかもしれません。ほかに手立てがないとしても、うーん、どうなのでしょうね。

わたしはヴィールス学の専門家でも感染症予防のプロでもない一精神科医に過ぎませんが、こんなふうに愚考いたします。

 コレラやペストはいざしらず、新型コロナは、その8割は軽症で回復している病気です(連日報じられる死者数の陰に隠れがちですが)。潜伏期が長く、さらに感染しても発病しない不顕性感染者がたくさんいます。これが、どこに感染者(保菌者)が潜んでヴィールスをまき散らしているかわからないという強い不安や疑心暗鬼を生んでいます(だから、とにかく集まるなと規制)。しかし、裏返せば、それだけ発病力の低い、ほんらいは軽い感染症だという理解が可能です。感染力の強さと疾患としての重篤さとはちがいます。感染力が強いのは、現時点ではだれも免疫をもっていないことが大きいでしょうね。もちろん、条件次第で致死的な転帰を取り、医療状況によりますが平均すれば2~3%の死亡率を示していますから、決して甘く見てはなりませんけれど。感染力が強くていっぺんに大勢が罹るため、致死率は低くても死亡者数は多くなるのです。

 現代の社会構造において感染機会(人的交流)を封じ切るなんて土台無理な相談でしょう。真に警戒して防止に力を注ぐべきなのは、「感染」ではなく、感染したあとの「重症化」です。重症化しなければ「感染」に過度に怯える必要はありません。どんな病気であれ悪化を防ぐ最善の道は「早期発見・早期ケア」なのは、だれもが知る常識でしょう。

早期発見に不可欠なのは、発見と診断のためのいち早くの臨床検査ですね。少しでも心配があれば検査して感染の有無を調べる。検査で陽性であれば、すぐに養生をする。まだ発病に至っていない段階やごく軽症の段階であれば、①保温と保湿、②滋養を十分とる、③しっかり休息する(疲労をさける)の三つの養生で、発病回避や自然治癒がかなりのところまで見込めるはずです。その間は他人に感染させない配慮(こういうときこそマスク着用や外出自粛)をすればよいのです。

養生だけでは及ばず発病に至るケース、悪化してしまうケースもむろん一定割合で出てきますから、それらはすぐに入院治療等の医療につなげる体制を作っておきます。もし、早めにこうした二段構えのシステムを用意できていたら、状況はかなり変わり得たかもしれません。

でも、厚労省や政府は、なぜかPCR検査に消極的で、口ではともかく現実にはなんのかんのと実施を制限し、早期発見と早期ケアの方策をまるで考えようとしなかった(むしろ妨げてきた)ですね。ほんとうにだめだなあと思います。小浜さんの御本のとおりです。これだけ人々が経済不安と経済危機に晒されているのに消費税減税する気はまるでないですし・・・

【第2信】
さっそくブログ拝読いたしました。新型コロナへの恐怖のあおり、自粛ムードの蔓延が、結局なにを失わせるかを述べておられますね。人々の暮らしから生き生きしたものを奪って社会がうまくいった試しがありません。江戸時代「緊縮」による改革が一度たりとも成功せず、昭和時代「欲しがりません勝つまでは」の戦争に勝ち目がなかった例で明らかですね。(ヴィールスをまき散らされては困るから)人々(とりわけ若者)を浮かれさせてはなるまいぞ! みたいな雰囲気をわたしは好きになれません。ついこの間までは「オリンピックの経済効果」だの「賭博場で一儲け」などと浮かれていた癖してね。
 新型コロナ感染の完全食い止めは不可能で、多大な感染者(と一部の死者)が出ざるをえません。現に出ているように。しかし、結果として免疫力(感染なしに免疫はできない)が人々に獲得されていき、やがて現在のインフルエンザのごとく、流行期ごとに多数の死者を出しながら誰もパニックにならないはやり病いのひとつに収まっていくのではないかと思います。早晩ワクチンや治療薬もでてくるでしょう。小浜さんのおっしゃるとおり、いずれは「あの騒ぎはなんだった」となっているでしょうね。問題はそこに落ちつくまでの間の避けられない「被害」(生命的被害だけでなく社会的被害)を、いかにして最小限に食い止めるかでしょうね。
 でも、そうした大局的な戦略を立てる力が、わが政府にはなさそうです。「政治家二流、行政一流」と言われた時代もありましたが、行政のベンチはチームオーナーたる首相たちのプロとは思えぬ下らぬエラーのバックアップに忙しく、フィールドの実動選手たちは人員削減の結果、ピンチに対して手や知恵をまわせる余力がなく、ただ目の前の業務に手一杯で疲れ果てています。「新型コロナとの戦い」などと勇ましいことを言っても、この試合の勝ち目はどこにあるのでしょうか。


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