小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

トランプ次期大統領に日本はどう対応すべきか(その1)

2017年01月15日 23時52分30秒 | 政治

      



 トランプ氏の大統領就任もあとわずかに迫りました。彼のデビューが世界にどんな衝撃をもたらすのか、いろいろと取りざたされています。ここでは国際政治と世界経済の二つの面から、今後予想される趨勢と、それについて日本がどう対応すべきか考えてみましょう。

 まず国際政治ですが、彼が「アメリカ・ファースト」を強く訴えていることから、保護主義に走り、内政面に精力を集中して中東問題や東アジアの緊張から手を引くのではないかと見る向きもあるようですが、それは当たらないと思います。
 対外関係に関わる重要ポストの人事を見ると、次のような戦略が見えてきます。
 国務長官に決定したティラーソン氏はエクソンモービルの元CEOで、エネルギー面でロシアと太いパイプを持っています。彼が政治面ではなく、経済的にロシアと関係が深いという点が重要です。よく知られているように、トランプ氏は選挙運動期間中からロシアに対するこれまでの敵対姿勢を根本から見直すことを訴えています。おそらく彼が対露経済制裁を解除することは確実でしょう。
 アメリカはこれまで、人口一憶四千万、GDP12位と、さほどの大国ではないロシアにことごとく敵対姿勢を取ってきましたが、現在自由主義対社会主義といったイデオロギー上の対立は意味を失っていますし、経済的な利害も特に衝突しているわけではありません。ただしサイバー攻撃など、情報戦争の面でいまだに黒い探り合いが続いていることは確かですが、これは冷戦時代を引きずったアメリカの側の過剰なロシア危険視によるところが大きい。
 ロシアのクリミア併合に対して、アメリカは欧州諸国(および日本)を巻き込んで厳しい経済制裁を課してきましたが、クリミア併合はロシア側からすれば当然の措置と言ってよく、しかも、一応公式的には国民投票という民主的な手続きを取っています。これはアメリカおよびNATOの東進政策の脅威に対抗したもので、事実グルジア(現ジョージア)のバラ革命、キルギスのチューリップ革命、ウクライナのオレンジ革命などには、アメリカの強い関与があったことは周知の事実です。ロシアがこれに脅威を感じて対抗意識を燃やさないはずはありません。
 要するに、自国の「自由と民主主義」イデオロギーを普遍的価値として世界全体に押し広げようとしてきたビル・クリントン政権以来のアメリカの独善がもたらしたものといってもよいのです。そこには実質的には、各地域の特殊事情を無視した身勝手な覇権拡張の意思以外、何の必然性もありません。
 オバマ大統領は、彼特有の理想主義から、「アメリカは世界の警察官ではない」と宣言して徐々にこの戦略から身を引く構えを取りましたが、ロシアとの間に融和の関係を打ち立てるには至りませんでした。それどころか、オバマ氏も含めた民主党陣営は、トランプ候補攻撃のために、しきりにロシアの介入を喧伝してきました。
 ところがトランプ氏は、ロシアとの積極的な協調体制を考えています。大統領選に敗れた民主党陣営のほうがロシア敵視にいまだに固執しているのです。その表れの一つが、大統領選にロシアが関与しており、しかもそれにはプーチン大統領自身の指示があったという国家情報長官室の報告書です。これは事実かもしれませんが、真相はわかりません。
 いずれにせよ、最近のトランプ氏に関するつまらぬ「セックス・スキャンダル」についてのBBCやCNN報道と合わせて、ここにはロシアとの関係改善を目論むトランプ氏を追い落とそうとする勢力の強力な動きが感じられます。おそらくこの勢力の中には、民主党のみならず、共和党のエスタブリッシュメント、つまり反トランプ派も含まれているでしょう。報告書やスキャンダルの出現は、事実の存否の問題であるよりは、アメリカの政治社会がいろいろな意味で分裂状態にあることを意味します。言い換えるとそれは、民主党対共和党というわかりやすいヨコの対立であるよりは、理念派対現実派、富裕なエスタブリッシュメント対トランプ支持層、グローバリスト対ナショナリストといった複雑な乖離現象や亀裂現象であり、それがいよいよアメリカ統合の危機をかつてないほど深刻なものにしている状態と捉えられるでしょう。
 トランプ人事に話を戻しましょう。
 ティラーソン氏はトランプ氏と同じようにビジネスマンですから、ロシアが経済制裁で苦しんでいる現状を軽減して、その見返りにロシアとの協調関係を作り上げる目論見にとってまさに適役というべきでしょう。トランプ氏は、この経済交渉という手を使って、すでに意味のなくなった米露の政治対立を解消に向かわせようとしているのだと推定されます。なぜそうするのかは後述します。
 次に国防長官に任ぜられたマティス氏は、「mad dog」の異名をとっていますが、これを「狂犬」と訳すのは適切とは言えません。要するに戦争において作戦能力や戦闘能力に秀でていて、部下の士気を高めるのがうまい「荒武者」と呼ぶのがふさわしい人です。彼は、後に仲たがいはするもののすでにオバマ大統領によって中央軍司令官に任ぜられており。その軍人としての力量は誰もが認める所なのでしょう。
 つまりトランプ氏はオバマ大統領の平和主義志向に飽き足らず、戦闘的な実力者を復活させて、安全保障上の最重要ポストに配置したということが言えます。これを見ると、トランプ氏が「敵」に対して容赦しない構えを固めていることがうかがえるでしょう。
 では「敵」とはだれか。いうまでもなく中国です。
 彼は一方で、駐中国大使に、習近平氏の「旧友」であるアイオワ州知事のブランスタド知事を起用しています。ブランスタド氏は中国指導部とのつながりが深いため、国営新華社通信は米中関係にとって前向きだと歓迎しているそうですし、専門家の間では、米中間の貿易摩擦の逓減に寄与するとの見方が出ているそうですが、私は、これらの見方は甘いと思います。
 国防面で有事における体制をがっちりと固め、外交面では相手国の指導部に深く食い込んでパイプを太くしておく。中共政府の本音を探り、時には巧妙に懐柔し時には断固たる対抗措置を取る。この硬軟両面での作戦はすぐれた戦略的思考の表れで、いわば中国との緊張した知恵比べ、力比べがこれから始まることになるでしょう。親中派のヒラリー氏が大統領になっていたら、およそ考えられないことです。
 そこで先ほどのティラーソン氏の国務長官起用の狙いは何かといえば、これまでの米政府の惰性によるロシア敵視を清算し、その経済的関係を深めることによって、中露分断の意図を鮮明に打ち出すものだと考えられるわけです。
 以上のことから、トランプ氏はけっして内向き志向になっているのではなく、むしろ無駄な方向に戦費や国民の生命を費やすことを停止し、「敵」を一本に絞ってエネルギーをそこに集中させることを考えているのだと思われます。
 それは、オバマ氏の優柔不断さが、シリアの反アサド勢力(≒反ロシア勢力)に加担しながら結果的にISのような過激派の跋扈を許し、ロシアにIS対策をゆだねる格好になった事実、また中共の強引な南シナ海侵略に対してほとんど口先だけの「航行の自由」作戦を唱えただけで、ずるずるとアジアにおける中共の覇権主義を許してきた事実などに対する、明確な批判を意味しています。
 じっさい、トランプ氏は、「アサド政権は悪いが、ISはもっと悪い」と表明してIS掃討を優先させ、ロシアとの間でこの問題で協力しあう約束をしています。中東情勢を安定化させる主役をロシアに託したのです。そこには、アラブ諸国の混乱からイスラエルを守るという思惑も見え隠れします。イスラエルのネタにエフ首相は、プーチン氏とトランプ氏の両方と会談しています。
 またトランプ氏は、中共に対しては、南シナ海での膨張主義を許さない姿勢を鮮明に打ち出し、さらに台湾の蔡英文総統と電話会談を行って、中共の意図を挫く挙に出ています。
 トランプ氏のこうした安全保障政策は、日本にとって好都合で、日本は彼が日本に対して発信しているもろもろの自主防衛の要請を奇貨として、中共の脅威に自ら対処するために、国防体制をいち早く整えるべきなのです。基地費用など細かい点で認識の齟齬があるものの、それはよく説明して理解してもらえば済む話です。基本線において、トランプ氏の東アジア問題、対露問題に対する発言は、中国を共通の敵として真に対等な同盟関係、協力関係を築く方向に大きく一歩を進めたものと理解できます。日本はこれに対して国防費の倍増をもってきちんと応えなければいけません。それは投資や消費を活発化させ総需要の増大をもたらすので、デフレ脱却にも寄与するでしょう。しかし情けないことに、いまの日本政府にそれを期待するのはどうも難しそうです。
 一方、世界経済に関する彼の姿勢は、日本にとって安穏としていられない厳しい面を示していますが、これについては、次号で展開しましょう。