小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

トランプ次期大統領に日本はどう対応すべきか(その3)

2017年01月19日 16時24分02秒 | 政治

      




⑦オバマケアの破棄と新しい保険制度の創出
 アメリカの医療保険はすべてが民間保険会社に牛耳られていて、日本のような皆保険制度はありません。しかも各州で一社が独占していて、加入すると高い保険料を払わせられます。医療費は異常に高額で、低所得層は満足な医療を受けることができません。
 そこでオバマ大統領は低所得階層にも十分な医療をという名目で、オバマケアを通しました。一見良い方向に向かっていたかのようですが、日本人の多くはその実態についてあまり知らないようです。
 オバマケアは、オバマ氏の出身州で独占的に運営している保険会社の保険を全米に拡張して、強制的に加入させたものです。したがって高額の保険料を取られるという状態が少しも改まったわけではなく、かえって全米の低所得者層が生活難に陥るという事態を招く一因となったのです。
 トランプ氏がプア・ホワイトの支持を得るためにオバマケアの廃棄を訴えたのにはそういういきさつがありました。ただ、これからどんな保険制度を提案するのかは、今のところ未知数です。

⑧いわゆる「移民排斥」と「メキシコ国境に壁建造」
 トランプ氏は、一般的に移民を排斥しようとしているのではありません。中南米からの不法移民を受け入れないと言っているので、「不法」であるかぎり、法治国歌の長として正当な言い分です。また次の三つの事実を知る必要があります。
 一つは、実際にメキシコから国境を超えてやってくる不法移民の数は膨大で、しかもその中にはコロンビアなどからの麻薬密売人が数多く含まれており、限られた国境警備隊員たちはとても取り締まり切れずに音を上げているという事実。二つ目に、米国内に入ってから犯罪を犯すヒスパニックの不法移民たちは、その犯罪対象に、白人を選ぶのではなく、むしろすでに米国民として公認されている同じヒスパニックを選ぶことが多いという事実。そして三つ目に、ムスリム移民の中にテロリストが紛れ込んでいる可能性が高いという事実。
 これらの事実にオバマ大統領を含む民主党陣営およびその傘下にあるほとんどのマスメディアは目をつむり、何一つ有効な対策を打てませんでした。代わりに硬直したPC(ポリティカル・コレクトネス)の理念を振りかざしてトランプ発言を歪曲し、「差別主義者」「排外主義者」というレッテルを貼りつづけてきたのです。
 評論家の江崎道朗氏によれば、いまアメリカの白人たちは歴史教育の領域で幼いころから「ホワイト・ギルト」と呼ばれる自虐史観を叩きこまれているそうです。黒人やヒスパニックやムスリムやインディアンなどこれまでマイノリティと見なされてきた人たち、あるいは女性に関して、少しでも「公正」とみなされない言葉を出すとPCに反するとされます。この厳しいタブーによって、アメリカ社会はまことに息苦しい雰囲気に支配されています。「メリークリスマス」はキリスト教だけを称揚するから「ハッピー・ホリデイ」と言わなければダメ、「天にましますわれらの父よ」は男性優位を示す思想だからダメ、といった具合です。アメリカが最も尊重しているはずの「言論の自由」はいったいどこに行ったのでしょう。トランプ氏は、この不自然極まる風潮に対してNOを突きつけました。
 しかも確かな入国手続きも施さずに、ヒューマニズムと過剰な平等主義に裏打ちされたPCの原則だけで無条件に移民を受け入れてしまうことは、麻薬禍や犯罪の増加だけでなく、アメリカ全土に賃金低下競争を引き起こし、階層間格差をますます広げる結果を生んでいます。これはEUの現状と同じですね。国民の間に文化摩擦や被抑圧感を高め、ルサンチマンを蓄積させ、国民間の分断をもたらします。硬直した理想主義・形式的な平等主義が生み出す弊害です。
 国境に壁を築くことは、費用をメキシコにもたせるという案はともかくとして、特に突飛な計画ではなく、こうした悲惨な状況に根差した現実的な計画なのです。これはまさに安全保障策であって、国防費の拡大と同じ意味を持っています。しかもこれも雇用創出という経済効果が見込まれるわけです。

 ここでトランプ氏の内政面における人事に着目してみましょう。
 財務長官には元ゴールドマンサックス幹部のムニューチン氏、商務長官には知日派で著名投資家のウィルバー・ロス氏、国家経済会議(NEC)委員長にはゴールドマン・サックス社長兼COO(最高執行責任者)のゲーリー・コーン氏、主席戦略官・上級顧問には同社で勤務経験のあるスティーブ・バノン氏が起用されました。「トランプ政権はさながらゴールドマン・サックス政権のようだ」との声が上がっているそうです。
 これは一見、マクロ経済にあまり明るくないトランプ氏が、グローバリズムに妥協・迎合しているように感じられます。たしかに人事だけを見ると、そういう懸念を感じさせます。
 しかし私の推測では、これらの起用には二つの理由が考えられます。ひとつは、彼の親ユダヤ感情やこれまでのビジネスを通して築き上げたユダヤ人との親密な人間関係の表れです。もう一つは、金儲けがうまく利にさといユダヤ人金融資本家を多く高官に起用することによって、私的利益の追求から離れさせて国富の増大に専念させようとの腹ではないかと考えられます。
 新財務長官・ムニューチン氏は、「法人と中間所得層を対象とした減税、規制緩和、インフラ投資、二国間の貿易協定を通じて、米国は3~4%の経済成長を達成できる」「法人税の引き下げによって米国に大量の雇用が戻ってくる」との見方を披露したそうです。この点では、トランプ氏の考えに一致しています。
 ムニューチン氏は同時に、リーマンショック後に銀行規制のために制定されたドッド・フランク法(DF法)が複雑すぎて融資を抑制する要因になっているとして、これを解体するとも述べています。
 銀行と証券取引とを分離するために1933年に制定されたグラス・スティーガル法(GS法)は資本移動の自由を阻害しているとして1999年にその一部が廃止され、代わってグラム・リーチ・ブライリー法によって、銀行の資金運用が大きく自由化されました。しかしその結果リーマンショックが起きたため、このような事態を防ぐべく2010年オバマ政権の下でDF法が制定されました。
 DF法は主として巨大金融機関の動きを監視することを目的としていますが、金融機関の抵抗が大きく、実際には骨抜きにされていると言われています。またこの法によって、かえって小規模金融機関が廃業に追い込まれた例も多いそうです。
 トランプ陣営は、選挙運動期間中にGS法の復活を訴えていましたが、これはザル法と化しているDF法の解体というムニューチン氏の主張と同一方向です。しかしGS法の復活やDF法の解体という過激な規制の方向は、おそらく金融機関の抵抗があまりに大きいでしょうから、結局DF法の修正という形に落ち着きそうです。
http://www.dir.co.jp/research/report/law-research/securities/20161115_011406.pdf
 いずれにしても、トランプ氏の反ウォール街の姿勢は、この人事によって覆されるというわけではないと考えられます。ただしなにぶん複雑な意向が錯綜する金融界のこと、ミイラ取りがミイラになる危惧は拭えませんが。

 以上、トランプ次期大統領の政策を検討してきましたが、繰り返すように、これらが彼の思ったとおり、すべて実現するわけではありません。議会には反対党がいますし、同じ共和党でも反トランプ派は多いでしょうから。また仮に実現したとしても、本当に国内に好影響を与えるのか、世界にどういう波紋を引き起こすのかは今のところ未知数です。
 しかし一つだけ確かなことがあります。それは、彼が取ろうとしている政策が矛盾しているように見えながら、じつはすべて思想的な一貫性を持っているということです。その一貫性とは、すでに述べたように、グローバリズムの行き過ぎた流れを押しとどめて、アメリカのナショナリズムの再建(アメリカ・ファースト!)を目指していることです。それは同時に、形骸化した民主主義をもう一度健全なものに戻す試みでもあります。なぜなら国家統合が崩れたところによい意味での民主主義体制は成り立ちようがないからです。
 冷戦崩壊後のアメリカの政権は、莫大な財産や資金を自分たちの周りに集めながら貧困層を救えず格差問題を解決できず、いたずらにPC、人権、自由などの空疎な精神論を振りかざしてきました。好景気はあったものの、すべて富裕層に吸い取られてきました。国民の多くはその欺瞞性に気づき、それがグローバル金融資本体制に本気で殴り込みをかけるトランプ氏を支えたのでしょう。それはいうなれば、ソフト・クーデターであったといっても過言ではありません。これが新しいアメリカの統合を作り出すかどうか、超格差社会の是正を成し遂げることができるかどうか。敵の多いトランプ氏のかじ取りは荒海での航海に似たものとなるでしょう。

 最後に、日本との関係についてまとめます。
 日本人のなかには、選挙期間中にマスメディアによって流されたトランプ氏のイメージのために、何となく彼に対して「政治経験のない乱暴な人」という軽蔑的な印象を抱いている人がいまだに多いようですが、これまで述べてきたように、それはまったくの誤りです。トランプ侮るなかれ。
 彼の政策を見ると、政治的にはこちらによい風が吹いてくる可能性が高いですが、それは日本側がいかに彼の意向にきちんと応えるかにかかっているとも言えます。また経済的には、よほどきつい闘いを覚悟しなければならないでしょう。何しろ相手は強力な国益第一主義をもって攻めてくるのです。グローバリズムの夢に酔っ払い続けて、TPP批准だの、アメリカ流規制緩和だの、移民政策だの、農協改革だの、混合診療だの、電力自由化だの、英語第二公用語化だのと、いつまでもバカげた周回遅れをやっていると、日本の健全なナショナリズムは崩壊し、遅かれ早かれ、アメリカの属州になるか、中国に併呑されるか――要するに亡国の道を歩むほかはないでしょう。
 トランプ大統領の登場は、英国のハード・ブレグジットと同じように、グローバリズムの弊害を除去して健全なナショナリズムを建て直す大胆な試みの意味を持っています。それは、世界の不安定化と格差拡大に抵抗する一つのお手本なのです。願わくはわが日本もこのお手本から多くの教訓を学び取らんことを。

トランプ次期大統領に日本はどう対応すべきか(その2)

2017年01月19日 00時40分58秒 | 政治

      



 それでは、経済に関わるトランプ氏の政策姿勢から、日本は何を読み取るべきでしょうか。
 彼が公約として掲げている経済政策の主なものは次の通り。

①TPPからの離脱
②NAFTAの見直し
③ラストベルト地域を中心とした製造業の復活による雇用の創出
④劣化したインフラ整備のために10年間で一兆ドルの財政出動
⑤米国企業の外国移転の抑制とグローバル企業の国内還帰のための法人税の値下げ
⑥トヨタなど外国有力企業からの輸入に高関税
⑦オバマケアを破棄し新たな保険制度を創出

⑧ついでにリベラルからPC(ポリティカル・コレクトネス)に反する差別だとして悪名の高い、いわゆる「移民排斥」「メキシコ国境に壁を建造」も挙げておきましょう。これは労働政策であり、労働政策はすなわち経済政策だからです。
 
 さてこれらがすべて実現可能であるかどうか、また適切であるかどうかは別として、その姿勢は見事に一貫しています。狙いをひとことで言えば、グローバリズムがもたらした弊害を一掃することであり、同時に国内需要を増大させて経済的利益を少しでも一般国民に還元させ、超格差社会を是正しようという考え方に立っています。
 一つ一つ検討してみましょう。

①TPPからの離脱と②NAFTAの見直し
 これはTPPやNAFTAに盛られた関税撤廃・自由貿易の促進がアメリカの主要産業をますます弱体化させ、またさせてきたという認識にもとづくものですが、その根には、アメリカの経済的パワー、特に製造業がなぜこんなに衰えてしまったのかという嘆きがあります。その原因を自由貿易促進を謳う各国間協定という外部要因に求めるのは、やや不適切の感無きにしも非ずですが、とりあえず、⑤や⑥と相まって、国内産業保護の効果を持つことは明らかで、グローバリズムを善と考えるイデオロギーに対しても強力なアンチテーゼになっています。その意味で経済思想として評価できます(日本にとって有利という意味ではありません。後述)。
 なお、アメリカのTPP撤退はトランプ氏が当選した時点で決定的で、すでにTPPは死んだので、その後日本国会がこれを批准したことはアホの極みですが、いまだに政府内には、「TPPの対中戦略の側面を理解すれば(トランプ氏の)立場に変化があるかもしれない」(産経新聞1月16日付)などという超アホなことを言う人が政府内にいるそうです。それぞれの国の利害の調整によって成立する国際的な経済協定が軍事同盟の絆を固くするなどということはあり得ません。むしろ経済関係が深まれば深まるほど、その内部で軋轢の可能性も増すと考えるのが自然です。
 また逆にTPPのお流れを喜ぶ向きもあるようですが、ことはそう簡単ではありません、これからの対米通商交渉において、日本における協定の批准は、かえってガンになりかねないのです。というのは、あのアメリカ流規制緩和・各分野における制度変更・国家に対する企業優先の姿勢を謳ったTPPを批准してしまった日本は、これらの拘束条件を前提として対米交渉に臨まなければならないからです。アメリカはそれにうまく便乗して、さらに厳しい条件を要求してくる可能性があります。

③ラストベルト地域を中心とした製造業の復活による雇用の創出
 これは解説するまでもなく、ニューディール政策と同じ性格のもので、⑤や⑥と連動しており、トランプ氏が彼の支持層に応えるべき最も重要な政策と言ってよいでしょう。うまく行けばトランプ氏の国内人気は一気に高まるものと思われます。

④劣化したインフラ整備のために十年間で一兆ドルの財政出動
 アメリカのインフラはその劣化が日本よりもひどいそうです。この政策は乗数効果も見込まれ、たいへん有意義な政策です。
 日本のインフラがまだ一定水準を保ちえているのは、50年以上前の高度成長時代に大規模な公共事業を徹底して行ったからで、半世紀も前のインフラがまだもっているからといって、少しも威張れません。
 すでに笹子トンネル事故、常総市堤防決壊、博多駅前陥没事故をはじめとして、全国の橋やトンネル、道路、堤防、水道管などはあちこちで壊れていっています。これからどんどん劣化の度合いは進むことは必定で、おまけに日本は屈指の災害大国ですから、トランプ政策を大いに見習って、一刻も早く大規模な公共事業の拡充に乗り出すべきです。
 ところが土木学会による点検作業はまだ始まったばかりで、橋梁で9%、トンネルで13%しか進んでいません。こんな状態でわかっただけでも橋梁、トンネルいずれも五段階評価でD(「多くの施設で劣化が顕在化。補強、補修が必要」)という危険な状態です。これから10年先が思いやられます。
http://committees.jsce.or.jp/reportcard/system/files/shakai.pdf
 しかもいまだに日本には、財務省を筆頭として公共事業アレルギーが蔓延しており、公共事業予算は1998年のピーク時に比べて現在はなんと五分の二以下に減らされています。http://www.mlit.go.jp/common/001024981.pdf
 日本にトランプ氏のような決断力のある政治家がいれば、と羨望せずにはおれません。

⑤米国企業の外国移転の抑制とグローバル企業の国内還帰のための法人税の値下げ
 これはタックスヘイヴンに大量の資本が逃げている現在、企業を国内に呼び戻そうと思ったら法人税減税競争に与さざるを得ないので、やむを得ない措置として当然ではあります。しかし税収減を消費増税のように他の面で補うとしたら、一般国民にしわ寄せがいくことは当然で、国民経済はデフレから脱却できないでしょう。無条件で減税するのではなく、国内設備投資減税、雇用促進減税、賃金値上げ減税などの条件を付けるべきでしょう。
 世界経済を健全化させるというマクロな面からは、いずれタックスヘイヴンを一掃して法人税減税競争をどこかで食い止めるような国際ルールを作る必要があります。
 しかし応急手当としてはこの政策は間違っているとは言えません。事実、フォードはこの政策を呑み、その他の有力企業の中にもこの国家的方針に従う流れが出始めています(アメリカでは国内にタックスヘイヴンが存在し、おそらく大企業はそちらのほうに逃げるのでしょうが)。

⑥トヨタなど外国有力企業からの輸入品に高関税
 これまた製造業の復活と雇用の創出を目指すアメリカの側に立てば当然の措置と言えます。しかしもちろん日本企業にとってこれはシビアな問題です。①と並んで、これから世界各国の企業と米企業との間でさらに熾烈な競争が起きるでしょう。TPPとの関連で言えば、もはやTPPは死滅したのですから、この協定のISD条項を使って合衆国政府を訴えるわけにもいきません。その意味で、トランプ氏は国益を守るためにじつに巧妙な政策を打っていると言えます。トヨタなど日本のグローバル企業はよほど臍を固める必要があるでしょう。

 ちなみに、トランプ氏のこれらの姿勢に「保護主義」というレッテルを貼る人たちが多いようですが、それは間違いとは言えないものの、単純に決めつけすぎています。彼は貿易の自由を認めていないわけではありません。TPP離脱にしても、高関税の主張にしても、自国の弱体化した部分の補修を優先的に考えているというだけで、二国間の取引に限定してそれぞれについてことを有利に運ぼうとしているのです。どこの国でもやっていることです。第一、いまさらこれだけグローバル化(グローバリズムではありません)してしまった経済を元に戻すなど不可能だということくらい、ビジネスマンのトランプ氏が知らないはずはありません。自分もそれによって大いに恩恵を受けてきたわけですから。
 要はバランスの問題なのです。

 長くなりましたので、続きは明日アップすることにします。