小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

倫理の起源55

2014年12月13日 13時08分49秒 | 文学
倫理の起源55





 父性と母性について述べたことを蒸し返すが、平均的な女性性が持つ倫理的な意義を掬い取るために、次のように端的に女性性と男性性とを比較しておこう。
 すなわち、女性は一般に、日常性に対する細やかな配慮を持つが、反対に公共性にはあまり関心がない。彼女は具体的なエロスの対象(恋人、夫、子どもなど)とのかかわりに心を注ぐが、反対に、それ以外の一般的・社会的関係の動きにはあまり興味を示さない。したがってたとえば著名人の私生活的な動静には耳をそばだてるが、それらの人々が公的にどんな言動をしていてそれが社会のなかでどんな評価に値するのかについては、さほど研究熱心ではない。
 彼女たちの多くは、チェーホフの『可愛い女』に描かれたように、恋しく思う相手であればその人の仕事のすべてを肯定的にとらえる傾向を持つが、その裏返しとして、相手のことをいけ好かないといったん思ったら、その人がどんなに優れた仕事をしていようが、公平な評価などまったくしない。しかしでは、惚れた男性の仕事ぶりや人格の核心部分について誤解した判断をするのかといえば、けっしてそうではなく、彼女たちは直感によってそれを鋭くつかむのである。
 これは、彼女たちが、人間社会を扱うのに最も抽象度の高いターミノロジーを武器とする「哲学」や、多様な人々の欲望や意志をいかによくまとめるあげるかを目的とする「政治」に強い関心を持たない事実と通底している。
 ところで男性の場合はこの逆である。彼は一般社会の動きや政治に強い関心を示すが、反対に、観念談義に傾倒するあまり、日常性やエロス的な関係への配慮を忘れがちである。あなたは、男女がまじりあって宴を張っている折に、男が酔っ払って床屋政談にうつつを抜かしている一方で、女がその話題には入らずに、新しい化粧品の話や知人のうわさ話や子どもの教育の話に興じている光景にしばしば接しないだろうか。そうして帰りの時間や明日の予定を気にして元をきちっと締めるのはたいてい女性ではないだろうか。
 これらの一見他愛もない差異は、公共性の倫理、すなわち「義」を問題にするとき、明瞭な、そしてきわめて重要な価値観の違いとして現れてくる。
 男性は一般に女性を公共精神や公共的理性が不足した存在としてとらえ、その点だけを拡大解釈して人格的により劣った存在とみなしがちである。最近見られる過度なほどの女性尊重の風潮や女性の力の活用の動きなどは、一見すると、この男性の女性観が時代に応じて変化した結果であるかのようにみえるが、じつはこれは同じことの裏返しなのである。自分にとって重要な存在ではあるが、そのうまく理解できない部分に対しては棚上げするにしくはなしという心理の表れなのだ。男性の女性を見る目が根底から覆ったわけではない。
 多くの男性の本音あるいは潜在的な意識としては、公共的理性、義を尊重する精神において女性は男性よりも劣っている、あるいはあまり関心がないと感じている。このこと(公共的理性や義を尊重する精神において女性が男性よりも劣っている、あるいはあまりそれらに関心がないこと)自体は、かなり普遍妥当的な事実である。
 しかしこの事実は、単に人生のどの領分に価値を置くかという点での両性の違いをあらわしているだけであって、別に全人格において女性が男性よりも劣っているわけではない。男性はとかく公共精神や義に殉ずる精神、武士道、大和魂などを、最高の人倫性とみなす傾向が強いが、ここに自分をアイデンティファイしすぎてしまうと、他の人倫性もまた負けず劣らず意味を持っているということが見えなくなる。
 そこで、ただ私情を捨てて国家社会のために尽くすことを最優先に立て、そこに伴う犠牲をやむを得ないこととして受け入れる。しかし当然それは取り返しのつかない哀しみをともなうので、その感情の収拾のつかなさを、美学によって鎮撫せざるを得なくなるのである。いったん美学的な構造が心理的な破れを補綴するものとして成立すると、今度はそれをそれ自体として肯定する傾向が根付いてゆく。
 わが国の一部に特攻隊精神を称揚する向きなどがあるが、すでに述べたとおり、これははじめから死や滅びや散華などの非合理的な美学を織り込んだところに成り立つ人倫精神であって、したがってそれ自体としては、「勝つ」ことにとって役立たないし、女子どもを守ることにも役立たない。誰か、女性で特攻隊精神を心から応援している人を見たことがあるだろうか。「どうか私のために立派に死んできてちょうだい」などと本心から言う女性がいるだろうか。 女子どもや同志を守るために男は命をかけて闘わなくてはならないことがあるし、戦闘の現場からけっして逃げない態度はぜひ必要である。これらの共有こそが士気を盛り上げるのだし、戦いの勝利にも貢献する。また、死へと運命づけられた者の最後の言葉が文学として人々の心を強く打つことも事実である。歴史の中にこれらの言葉が残っていくことの意味を私はけっして否定しない。
 しかし「国家」という超越的・抽象的な観念に過度に自分を憑依させてしまうと、何のための闘いであったかが忘れられがちになり、いったん敗北局面に迷い込んだときに、合理的な戦略思考を欠いた無謀な作戦に頼らざるを得なくなる。加えて過度の憑依の感情がそれに肯定的な意味づけをさせることを強いる。そのために死の美学、滅びの美学が駆り出される。特攻隊作戦は、作戦としては、こうした本末転倒の典型である。そうしてこの過度の憑依の感情は、男性特有のバランス喪失(一種のホモセクシャルな酔い)に根差している。

「義に殉ずる精神」をテーマにした作品で、女性が主人公のものがないわけではない。
 たとえば伊達騒動に材を取った歌舞伎『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』の「御殿の場」では、若殿・鶴千代の乳母・政岡が、その子・千松にかねてより鶴千代の毒見役を果たすように教え込んでおく。千松は政敵より送られた毒入り菓子を、鶴千代が手を付ける前に手づかみで食べる。苦しむ千松を見て陰謀の発覚を恐れた政敵一味の八汐が千松を殺害するのを政岡はじっと耐えながら静観する。一味が去ったのちに、政岡は、千松の遺骸を抱きしめて激しく嗚咽しながら、「でかしゃった、でかしゃった」と、息子の「義」をほめたたえるのである。この作品の最大の見せ場とされている。
 ここでは人形浄瑠璃によってその一場面を味わっておこう。



 しかし、この場面で観客はどこにどのように共感しているのだろうか。政岡母子が立派に君主への「義」を貫いたことそのものに対して拍手を送っているのだろうか。そうではあるまい。愛するわが子を「義」のために犠牲として差し出さざるを得なかった、その母親の引き裂かれた悲痛な思いそのものに感動しているのである。殺されるわが子の姿を目の前にしながらその場では懸命に平静を装い、乳母としての職務をまっとうできたと知るや一転して母の真情を直接に表出する――観客は、政岡のこの際立った感情表現の落差のうちに、この世の習い(武家社会の掟)が強いてくる理不尽を一身に背負わざるを得なかったひとりの女の悲劇を見出してともに泣くのである。けっして「義」そのものが肯定されているわけではない。
 つまりここに提出されているのは、公共性と肉親の情愛という二つの人倫性の根本的な矛盾をひとつの身体が背負った時、その身体はどうすればよいのかという問題なのである。特にこの場合には幼子を思う母心という女性性が中核の主題とされているだけに、問題の思想的な意味は鮮明にあぶりだされている。こういう問題の提出のされ方は、はじめからエロスが排除された男性集団である軍隊などの内部で「義」のあるなしを探究している限り、浮かび上がることがない。そこでは公共精神を貫く(お国のために命を捧げる)ということだけが最高の人倫性とされてしまうからである。




 日露戦争に出陣してゆく弟の生還を願って謳われた与謝野晶子の、有名な「君死にたまふことなかれ」も、やはり同じ問題をストレートかつ大胆に提出している。ここにその全章を引用しよう。

  君死にたまふことなかれ   
    旅順口包圍軍の中に在る弟を歎きて
    
 あゝをとうとよ、君を泣く、
 君死にたまふことなかれ、
 末に生れし君なれば
 親のなさけはまさりしも、
 親は刃(やいば)をにぎらせて
 人を殺せとをしへしや、
 人を殺して死ねよとて
 二十四までをそだてしや。

 堺(さかひ)の街のあきびとの
 舊家(きうか)をほこるあるじにて
 親の名を繼ぐ君なれば、
 君死にたまふことなかれ、
 旅順の城はほろぶとも、
 ほろびずとても、何事ぞ、
 君は知らじな、あきびとの
 家のおきてに無かりけり。

 君死にたまふことなかれ、
 すめらみことは、戰ひに
 おほみづからは出でまさね、
 かたみに人の血を流し、
 獸(けもの)の道に死ねよとは、
 死ぬるを人のほまれとは、
 大みこゝろの深ければ
 もとよりいかで思(おぼ)されむ。

 あゝをとうとよ、戰ひに
 君死にたまふことなかれ、
 すぎにし秋を父ぎみに
 おくれたまへる母ぎみは、
 なげきの中に、いたましく
 わが子を召され、家を守(も)り、
 安(やす)しと聞ける大御代も
 母のしら髮はまさりぬる。

 暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
 あえかにわかき新妻(にひづま)を、
 君わするるや、思へるや、
 十月(とつき)も添はでわかれたる
 少女ごころを思ひみよ、
 この世ひとりの君ならで
 あゝまた誰をたのむべき、
 君死にたまふことなかれ。


 
 さてこの詩は、戦後、左翼イデオロギーの枠に取り込まれて、反戦思想詩という「名誉ある」地位を獲得することになり、教科書にも必ず取り入れられて今日に至っている。そういう扱いに対して、男性保守派の多くは、その左翼的な読みそのものにからめとられて反発し、あるいは文字通り公共精神を欠いた「女々しい泣き言、恨み言」として軽蔑しようとする。
 しかしこの詩は素直に読めば、別に反戦思想や平和思想を一般的に歌い上げているものではないことは一目瞭然である。また国運の行き先に最も威力を示す「すめらみこと」に対して「女々しい」泣き落としをかけようとしているのでもない。
 この詩を読み解くポイントはいくつかある。
 まず、可愛い末っ子に対する両親の切ない親心を代弁していること。
 次に、夫を失った老母の心細い心境に触れていること。
 次に、「とつき」も添えずに別離してしまった新妻の心境の辛さを思いやっていること。以上は、普通の人の人生にとって、身近で親しいエロス的な関係がいかに重い意味を持っているかを切実な調子で解き明かしたものである。これは公的な大義名分が人の実存や運命を変えようとするときに、どんな人々の間にも沸き起こってくる、しかしあからさまには口に出せない抵抗の感情である。特に子を産み育てる性である女性にとっては、当然の感情であると言ってよいだろう。
 さらに重要なのは、商家に生まれ、その跡継ぎを担わなくてはいけない長子にとって、人を殺すような行為は、その「あきびと」として生きてゆくのに必要な規範からは無縁であると指摘している点である。これは、公共的な人倫の命令するところが、特定の職能や職業倫理とは合致しないことを端的に語っている。
 突き詰めていえばこれは、戦争処理は政治の専門家(政治家、外交家)や戦争の専門家(軍人、兵士)に任せておくべきではないかと言っているに等しい。たしかに「獣の道に死ねよとは」といった言葉遣いに、男たちの殺し合いに対する女性特有の忌避感覚は出ているが、しかし別に戦争そのものを頭から否定しているわけではない。だから見方によっては、これは、ホッブズがその理論的基礎を敷いた、市民相互の武装解除によって成り立つ契約国家観によくかなうものであるとも言える。いかにも自由商業都市・堺の菓子問屋の娘にふさわしい感性である。
 晶子は、天皇陛下はよもやご自分が陣頭指揮もせずに他の人をむざむざ死地に追いやるようなことはしないでしょうねと、辛辣な調子で訴えているが、これは最高指揮官たる者のノブレス・オブリージュを喚起していて、古代の勇猛な天皇一族のことを考えれば、当然の指摘である。しかもこの詩が詠まれた当時の天皇(明治天皇)は、まさか前線にのこのこ出ていきはしないものの(そんなことをするのは指揮官として失格である)、勇猛果敢な英雄精神の持ち主だった。立憲君主としての拘束さえなければ、率先して剣を抜いて陣頭に立ったかもしれない。率直な抒情の表出を好む晶子がもしそれを見たら、「すめらみこと」の男らしさを褒め称える詩や短歌のひとつも書いたのではないかと思う。
 最後に、「死ぬるを人のほまれとは、/ 大みこゝろの深ければ / もとよりいかで思(おぼ)されむ。」という部分に注意しよう。これこそは、死ぬこと、滅びることそれ自体を「ほまれ」として肯定するような特攻隊的美学精神の否定である。勝って帰らなくて何のための戦争だろうか。
 じっさい、晶子がここで「すめらみこと」に託しているように、「大みこゝろ」は、伝統的に民の平安な生活を祈ることを本質としているので、ぎりぎりの必要悪としてしか犠牲死を認めない。昭和天皇は、二、二六の青年将校のような血気にはやった秩序攪乱の試みを非常に嫌ったし、先の大戦で国民が次々に死んでゆく事態に心を痛め続けた末に、ついにたまりかねて終戦の「ご聖断」を下したのだった。
 こうして、「君死にたまふことなかれ」一篇は、エロスの関係を最も大切と考える心の表現であり、女性が持つ人倫精神の典型なのである。これを「公共心を理解しない女々しさ」などと軽蔑し去って平然としている男性がいるとしたら、その人は、人間という動物が人倫精神の深刻な分裂をはじめから内在させているということに対する想像力を欠落させているのである。