小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

倫理の起源54

2014年12月05日 14時42分13秒 | 文学
倫理の起源54





 以上、「愛国心」なる概念を前面に押し立てて、その是非を論じることそのものの無効性について説いてきた。その連続線上で、次のような重要な問題を考えてみなくてはならない。
 国家なるものが公共性をその人倫精神の根幹として持つ共同性であることには疑いを入れないが、そもそも、公共的な人倫精神は無条件で正しいと言えるのかどうか。先に予告したように、他の人倫性との間で解決不能な軋みを生じさせることはないのかどうか。
 そもそもある公共性(たとえばある方向に進みつつある国家のあり方)に「義」が具わっているかどうかという問題は、歴史の審判を待たなくてはならないので、結論を出すことがたいへん難しい。歴史の審判と呼ばれるものすら、何をもってその正当性を主張できるのかについて明確な基準があるわけではない。それはしばしば後世の力関係やイデオロギーによっていくらでも歪曲されるからである(例:東京裁判)。日本は「義」のない戦争をしたと左派によってしばしば指摘されてきたが、物事はそう簡単ではない。
 ここでは、こうした歴史問題に踏み込むことはせずに、より一般的に「公的な義に殉ずることの是非」について論じたい。
 結論から先に言うと、いわゆる武士道に代表されるような「義に殉ずる」精神は、美学的・文学的なテーマにはなりえても、それだけとしてはじゅうぶんな倫理学とはなり得ない。なぜならば、これはある厳しい条件下における個人の内面や特定の同志たちの間に湧き起こる精神の昂揚状態と、その昂揚状態の中で取るべき態度とを表わしているだけであって、日常の人倫を支える原理ではないからである。
 この精神は、ふつう崇高なものとして称えられるが、先にカンボジアのPKOに参加した青年とその父の例で示唆しておいたように、それははじめから死や滅びや敗北を覚悟し、あらかじめその運命を受容したところに成り立つ美学である。それはもともと「何かに向かって命を捧げること」そのものを高潔な振る舞いとして称える態度なので、その「何か」がどんな質のものであるのか、命を捧げるに値するものであるのかどうかが不問に付され、隠されてしまう。「死を賭すほどの厳しさ」という条件が前提されているから、その厳しい条件なるものが何であり、それをいかに克服することが適切な闘い方なのかという合理的な問いがしばしば封印されてしまうのである。
 この抽象的な美学は、主として男性特有の美学であるという点に注意しよう。こうした態度は、「命も顧みずに困難に立ち向かう」「男らしい」「勇敢な」態度として無条件で賞賛されることが多い。しかし、先にニーチェが称揚する貴族道徳(男性道徳)について、和辻哲郎を援用しながら批判したように、「死も辞さないほど勇敢であること」一般がそれ自体で徳としての価値を有するのではない。その勇敢さが彼の属する共同性からの確実な信頼と承認を得ているという背景があって初めて徳としての価値を獲得するのである。そうでなければ、勇敢さは、ただの蛮勇にも無謀にも若気の至りにもなりうる。
 私はこれを書きながら、児島襄の『太平洋戦争』(中公新書)描くところの、旧日本帝国軍隊上層部の一部に見られた無謀・無思慮な作戦の継続とその無残な失敗(特にガダルカナル作戦やインパール作戦やサイパン島玉砕)を思い浮かべている。ここには、「あくまでもしぶとく生き残って敵を倒す」「無辜の一般国民を犠牲にしない」という目的合理的な見通しがまったく欠落している。そうしてこの合理的な見通しの欠落は、「潔く死ぬ」悲壮な美学と表裏一体なのである。これでは敗北が初めから約束されているようなものである。
 平時には、この種の無残さはその露骨な姿を現すことは少ない。私たちは幸いにも、身近な者たちへの愛や自分の生命と、国家への忠誠などの公共精神とを、うまく使い分けていられるのである。そもそも一般の人々にとって、自分の身や身内を犠牲にしても公共精神を貫くべきであるというような鋭い局面に立たされることはそうそうあるものではない。それはそれで悪いことではない。しかし、使い分けていられることは、その根本的な矛盾が解決されていることをなんら意味しない。戦争のような切迫した事態になれば、この根本的な矛盾は、たちまちその裸形をさらすのである。
 根本的な矛盾とは何か。ひとことで整理すれば、エロス的な絆と国家的な公共性との矛盾であり、吉本隆明の言葉を使えば、対幻想と共同幻想との逆立である。もっと下世話に、高倉健歌うところの「義理と人情を秤にかけりゃ」の問題であると言ってもいい。
 私は、「公的な義に殉ずる」美学が男性特有だと書いた。この不動の意志と操は、一見男性の強さをあらわしているように思える。緊迫した闘いの局面においては確かにそのとおりである。しかし日常的な生においては、この強さは意外に脆く、女性のしなやかな勁さにかなわないことが多いのである。よく例に出される嵐に対する大木と竹のようなものだ。
 エロス的な絆と国家的な公共性との矛盾の問題を、女性の生き方と男性の生き方とになぞらえて表現したので、ここで、これまでの哲学や倫理学では正当な地位を与えられてこなかった女性の生き方に光を当ててみよう。
 一般に女性は、身近な関係をいかに大切にするかに最大の価値を置いている。象徴的に言えば、彼女は、自分の身体を中心として半径数十メートルくらいのところに関心を集中させている。このことが人倫にとって持つ重要な意味を軽視してはならない。
 良き慣習としての日常的な人倫を支えるものの中には、こうした常識的な女性の生の感覚が重要な要因として含まれるのである。たしかに女性の感覚の中には、「自分や自分の子どもや自分の好きな人だけが可愛い」という価値意識が大きな部分を占めているが、これを単に倫理と関係のない、あるいは倫理と対立する「エゴイズム」として切り捨てることはできない。なぜならば、この価値意識があればこそ、私たちの通常の健全な社会感覚もまたそれぞれに力を与えられるからである。
 しかし多くの哲学者や思想家たちは、男性とは違った女性のこのメンタリティの独得の重要さを見抜くことができず(あるいはわかってはいても言語化することができず)、それを考察の埒外に置くか、そうでなければショーペンハウアーやニーチェのように、女性を知能の劣った近視眼の生物としてあからさまに軽蔑することになる。
 けれども滑稽なことに、彼らは自分の人生のなかでは、何度か特定の女性に夢中になり、彼女たちの愛の手向けを受けたかと思えば、時には手痛い目に遭っている。そうした惑溺や傷心の経験は、じつは彼らの哲学の生成にとって深い意味をもっていたはずである。しかしそれらの意味をどう総括すれば、彼らが下したような、「女性」なる存在一般への客観的な(哲学的な)低評価と結びつくのか、私にはよくわからない。女性は男性にとって手を焼く怖い存在でもあり、同時に限りなく可愛い存在でもあるので、自然物や人工物のように突き放した評価の画定を許さないところがあるからだ。
 そもそも哲学的な思考様式というものが男性特有の観念的なあり方を象徴しているので、例外はあるものの、女哲学者というのはほとんどいない。この観念的なあり方をそのまま日常生活に持ち込めば通用しないのは明らかであって、食卓でカントを話題にしても女房に嫌がられるだけだし、プラトンを使って女を口説こうとしてもふられるだけだろう。男性の観念的なあり方は、ほとんどいつも女性に足をすくわれるのである。
 それは哲学的な思考様式が、抽象的な概念の駆使によって、ある事柄の不動の「真理」(真実ではない)を究めようとするからである。この思考様式を持続させるためには、ふだん漬かっている日常世界からいったん離れて、身を神の立場、公共性の立場に仮想的に置かなくてはならない。そのことによって問題とされる事柄(この場合は女性なるもの)は、客観的な「対象」として固定化される。だがその代わりに、自分自身が巻き込まれていたところの異性関係という独特なモードそれ自体、あるいは女性に向き合う男性の関係意識それ自体は、視野からこぼれ落ちるのである。哲学男性は惚れている女性への自分の気持ちそれ自体を、「客観的に対象化」できないのだ。そこに哲学者が女性をとらえようとする試みの原理的な限界があらわれている。
 だがわが国では、不動の真理を探究する壮大な哲学体系は生まれなかった代わりに、伝統的に、私生活や恋愛の定めなき流れを叙する女性文学が栄えたり、本居宣長が説いたように、不動心などというものはあり得ず、時に感じてうれし哀しと揺れ動くさまこそが心の真のあり方であるといった「こころ」観が、普通に親しいものとして受け継がれてきた。一口に言えば、たおやめぶり、優男ぶりであるが、これらは「哲学」という形を取らないものの、人間の生の、特に日常性における本質的な一面をあらわしていることは確かである。そうしてこの一面は、明らかに女性のメンタリティに重なり合う。日本文化はもともと女性的であると言えるだろう。
 宣長は、その秀逸な文学論(歌論)『排蘆小舟(あしわけおぶね)』のなかで、歌は哀れ深き情の切ないさまをありのままに表したもので、善悪正邪の道を教えるものではないと繰り返し説いた後に、次のようなことを述べている。
 人情というものは女子どもの専売特許のように見えるけれども、女子どもは心を制する意志がつたないので、その本心が出てしまうだけであって、別に男に人情が欠けているわけではない。ただ男は外聞をおもんばかって心を制し、形を繕おうとするために本当の心を隠さざるを得ないのだ……。
 少し原文を引こう。

  国のため君のために、いさぎよく死するは、男らしくきつとして、誰もみなねがひうらやむこと也。又親を思ひ妻子をかなしみ、哀をもよほすは、つたなくひけふにて、女児のわざなれど、又これを一向なにとも思はぬものは、木石禽獣にはをとるべし。死する今はのときにたれかかなしからざらん。あくまで心にあはれはいだけども、これを色にあらはさず、死後の名を思ひ、君のため家のために、大切なる命をばすて侍る也。
  (中略)
 (慈しんでいた子どもが死んだ時に――引用者注)母は本情を制しあへず、ありのまゝにあらはし侍る也。父はさすがに人目をはばかり、みれんにや人の思ふらんと、心を制しおさへて、一滴の泪をおとさず、むねにあまるかなしさも、面にあらはさずして、いさぎよく思ひあきらめたるてい也。これをみるに、母のありさまは、とりみだしげにもしどけなく、あられぬさま也。されどもこれが情のありのまゝなる所也。父のさまは誠に男らしくきつとして、さすがにとりみださぬところはいみじけれど、本情にはあらざる也。
  (中略)」
  されば人の情のありていは、すべてはかなくしどけなくをろかなるもの也としるべし。


 宣長の筆は、明らかに「これを一向なにとも思はぬものは、木石禽獣にはをとるべし」や「されどもこれが情のありのまゝなる所也」を強調する所に軸足を置いている。
 こうして宣長は、歌はその心の奥深くにある人情をこそ表すものだというかたちで、徹底的な文学肯定論を張るのだが、これをそのまま受け取る限りでは、文学の道と倫理道徳の道とはもともとまったく本質を異にするものだという論理が導かれるかもしれない。だが私はここで、宣長の本意を少し変奏して、女性性が「はかなくしどけなくをろか」に表す人情のさまそのもののうちから、男性的な倫理とは異なる倫理的な意義を掬い取ってみたいと思う。