小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

倫理の起源44

2014年08月29日 22時04分58秒 | 哲学
倫理の起源44



 さてこの項の最後に、家族の共同性と他の共同性における倫理との関係はどうなっているかについて短く答えておこう。
 友情倫理との関係については先に述べた。
 性愛倫理との関係については、あまりこれまで倫理思想として語られてこなかった問題がある。たとえば和辻倫理学の「人倫的組織」論では、「二人関係=夫婦」から「三人関係=両親と子ども」への新しい展開として記述されており、後者は前者と次元を異にするものとしてとらえられている。夫と妻は、父と母になることによって、相互に子どもを媒介とした新しい関係に入り込む。そればかりではなく、母と子の関係も父によって媒介され、父と子の関係も母によって媒介される。和辻はそう言う。
 親子という三人関係のあり方を総体としてつかまえるかぎり、この指摘にまったく異存はない。しかしここには一つだけ抜け落ちている視点がある。それは、家族関係というものが、夫婦の性愛関係を捨て去ったのではなくむしろそれを包摂した構造の下に成り立っているという事実である。
 この構造が安定したものとして維持されるためには、二つの条件が必要である。一つは、すでに述べたように、親子関係のうちに性愛関係を侵入させないこと(インセスト・タブー)、そしてもう一つは、それにもかかわらず、家族全体の安定にとって、夫婦の性愛関係が良好に保たれなくてはならないということである。和辻の記述では、夫婦関係(二人関係)から両親と子どもの関係(三人関係)への展開がより高度な段階への「止揚」であるかのように読める。しかし家族的な人倫の実態としてはそうではない。夫婦の性愛関係と親子の情愛関係とが互いに混交する(あいまいに交錯する)ことなく、しかもその両方が縦横の軸として包摂される構造が成り立つところに、初めて家族の人倫が貫かれるのである。和辻の言う二人関係は、三人関係の成立によって解消されたり希薄化されたりするのではなく、三人関係が二人関係をより強化することもあり(子はかすがい)、逆に不倫などによる二人関係の破綻が三人関係をも壊す力を持つ。

 家族の人倫性と、人倫精神を形づくるの残余の三つの原理(職業、個体生命、公共性)との関係については、それぞれの項で扱うことにする。


*次回は職業倫理について書きます。