小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(1)

2013年11月11日 20時21分56秒 | ジャズ

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(1)


 私が高校生以来のジャズファンであることは、以前このブログでもお伝えしましたが(「落語の魅力」http://kohamaitsuo.iza.ne.jp/blog/entry/3108338/)、ある知人からの勧めもあって、ジャズについて書いてみることにしました。といっても、音楽知識に詳しいわけではありませんし、最近のジャズシーンについては、ほとんど知りません。ただ自分のこれまでのささやかな鑑賞履歴に沿って好き勝手なことをあれこれ言ってみようと思います。そぞろ歩き、道草、連想の赴くまま、いつ終わるか見通しなし。読者の皆さんが、この気ままな旅に付き合ってくださって、ジャズに興味を持っていただければ望外の喜びです。

 まず、いま日本でジャズというと、普通はモダンジャズのことを指すようです。けれどもじつはジャズというのは、20世紀初頭にアメリカ南部の都市ニューオーリンズで黒人を中心に発祥してから、すでに100年の歴史を閲しています。その間、多様な発展の仕方をしてきました。初期のラグタイムに始まり、カントリーウェスタン、黒人霊歌、ブルース、クラシック音楽、ブラジル系音楽など、様々な要素が混入して、一言ではくくれない様相を呈するに至っています。
 しかし中心的な流れは、次のようになります。
 ニューオーリンズから、やがてあのアル・カポネが暗躍したシカゴにその中心が移りました。すぐにニューヨークにも波及し、両大戦間に繁栄を謳歌したアメリカ、大都会の歓楽の巷で、ナイトクラブやキャバレーでのダンス音楽として栄えたのです。このころのジャズは、ビッグバンドが中心で、クラシックのメロディアスな要素を取り入れながら、「踊れるジャズ」として多くの人の人気を集めました。白人が大挙して演奏に加わり、当時のポップスとして隆盛を極めたのです。ベニー・グドマン、グレン・ミラーなどが有名ですね。もちろん黒人の名ミュージシャンとしてその名を欠かせない人もいます。デューク・エリントン、カウント・ベイシーは双璧です。前者二人と、後者二人との間には、やはり白人と黒人のスピリットの違いが明白に感じられます。
 やがてこういうビッグバンド系の流れに飽き足らないミュージシャンも出てきました。ダンスのため、一般公衆のための音楽ではなく、自己表現のための音楽を追求しようとした人たちです。若くして死んだ黒人アルトサックス奏者、チャーリー・パーカーがその代表です。彼はビバップという音楽様式を発展させて、強いアクセントをもつハードバップという独自の領域を切り開いていき、今日モダンジャズと呼ばれる流れを作り出しました。彼の演奏は速いテンポでゴリゴリとハードに吹きまくるものが多いので、とても恋人同士が甘い雰囲気で踊るというわけにはいかず、出てきた当時は、一部でひんしゅくも買ったようです。

 モダンジャズの演奏スタイルは、ピアノ、ベース、ドラムのリズムセクション、プラス、トランペット、サックス、トロンボーンなど、計4人から6人くらいの小編成がメインで、これをコンボと言います。このスタイルがジャズ界の一角を占めるようになってからは、かつての主流は、スタンダードジャズと呼ばれるようになりました。
 私は、華やかなビッグバンドにはあまり興味がなく、初めからコンボによるモダンジャズに惹きこまれていきましたので、これから語るジャズ話も、もっぱらモダンジャズにかかわるものです。
 ちょっと我田引水かもしれませんが、いま日本の居酒屋などでBGMとして流れている音楽は、じつにモダンジャズが多いですね。ある年齢以上の日本人には、西洋の習慣である、あの大きなホールで華やかな楽団をバックに踊るというスタイルはあまり似合っていないのかもしれません。私もその口で、モダンジャズの流れるちょっとおしゃれな居酒屋で友と語らいながら、日本酒をちびりちびり、というのが一番趣味にかなっているようです。
 ジャズという音楽形式の基本は、四拍子(フォー・ビート)のリズムで、二拍目と四拍目にアクセントが置かれる形をとります(アフター・ビート、またはオフ・ビートと言います)。これによって独特のスウィング感(躍動感)が出るわけです。その点は、ビッグバンドでもコンボでも変わりません。ロックはエイト・ビートですが、やはりアフター・ビート(三拍目と七拍目に強打)ですから、その点ではジャズのリズム様式を継承しているといえます。なお、モダンジャズも、比較的早い時期からワルツ形式を取り入れたり、ボサノバのようなラテン系のエイト・ビート形式を取り入れたりしています。
 コンボによるジャズ演奏の構成は、一番オーソドックスな形としては、次のようになっています。
 まず、テーマが出てきます。これはたいていの場合、リズムセクションに支えられながらトランペットやサックスなど、ホーンによって奏でられます。トリオの場合は、ピアノが奏でます。曲目は、何でもありです。映画音楽、シャンソン、その当時はやった曲、スタンダードナンバー、ジャズメン自らが作曲したオリジナル曲などなど。
 テーマ演奏が一通り終わると、それぞれのプレイヤーのソロ・パートになります。トランペット、テナーサックス、ピアノ、ベース、ドラムのクインテットなら、初めの三つが交代してソロを奏でるのが標準ですが、ベースソロやドラムソロもあります。ソロパートは、コード進行にのっとった即興演奏です。これは、それぞれのプレイヤーたちの出番ですから、だれがどんなふうに吹いたり弾いたり叩いたりするか、ここがまさにジャズの醍醐味です。ジャズの鑑賞では、クラシックと違って、だれが作ったなんという曲かはさほど問題になりません。プレイヤーの個性をこそ聴き取って、しだいに彼らのファンになっていく。そこがキモです。また、アンサンブルの妙味も大いにありますから、あのグループが演奏しているあのアルバムがいい、というようなかたちでの「好きになり方」もとても大切です。
 ソロパートは、仮にテーマ曲が32小節だったとしたら、これを1コーラスとして、一人が1コーラス分、2コーラス分、というように受け持つわけです。そうして最後にもう一度テーマに戻って終わる。だいたいこういう流れなのですが、テーマに戻る前に、フォアーズと言って、二人あるいは三人による四小節ごとの掛け合いを挟むことも多くあります。これもたいへんスリリングで、聴きどころの一つと言えるでしょう。
 ただし時代が進むにしたがって、こういう形式にこだわらないもっと自由な発想で演奏される曲もたくさん出てきました。しかしこれについては、またの機会に述べることにしましょう。

 さてここで、しばらく思い出に耽らせていただきます。
 1961年、「モーニン」「ブルース・マーチ」で大ヒットを飛ばしたドラマーのアート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズが初来日、日本に一気にモダンジャズブームを巻き起こしました(ファンキーブームと呼ばれました)。



当時私は中学2年でしたが、それまでラジオからシャワーのように流れるアメリカンポップスが日常的な音楽環境でした。パット・ブーン、ポール・アンカ、コニー・フランシス、ニール・セダカ、エルビス・プレスリーといった人たちですね。ちなみにこの人たちはみな白人です。
 そのさなかに入り込んできた黒人ジャズのサウンドは、何かまったく異質で新鮮な興奮を覚えさせるものでした。ことにブレイキーのお得意、「ナイアガラ・ロール」と呼ばれる嵐のようなトレモロ・プレイは、「カッコイイ!」の一言でした。トランペット奏者やサックス奏者のソロ演奏を見事にインスパイアする効果があるのですね。

 ではここで、モダンジャズ曲でもっとも有名な「モーニン」を聴いてみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=VKXsnDvILmI&list=RD02eZacqCfAvEI
 当時、家にはテレビがなかったのですが、テレビ放映を見た同級生が、ブレイキーのドラムソロ演奏場面を下から仰ぐように撮るカメラアングルに驚いたと言っていました。なおアート・ブレイキーは大の親日家で、何度も日本に来ており、「オン・ザ・ギンザ」など、日本を素材にした曲も作って吹き込んでいます。
 中3になったころ、兄が大学に入り、さっそく東京の大学文化を家に持ち込んできます。その流れのなかで彼はジャズ・メッセンジャーズのLPレコードを買ってきて聴かせてくれました。学生がLPレコードを買うということ自体、普通の貧乏家庭では、かなり冒険だった時代です。
 これを聴きながら、私はますますジャズの世界にあこがれるようになっていきました。私の実家は横浜ですが、たまたま渋谷経由で東京の高校に通うことになり、裕福でオシャレな趣味の持ち主と浅い友達になります。彼が私のジャズ好きを知って、「四大ドラマー夢の競演」というのがあるから行かないか、と誘ってくれました。マックス・ローチ、フィリー・ジョー・ジョーンズ、ロイ・ヘインズ、シェリー・マン(彼のみ白人)……。今から考えると、ちょっと想像できないほどのメンバーです。まさに「夢の競演」。ただ残念なことに、期待していたフィリー・ジョー・ジョーンズが麻薬不法所持の疑いで入管に引っかかってしまい、出演不能。当時日本で一番人気だった白木秀雄が急遽代役を務めました。それでも私は大満足。モダンジャズ・ドラミングの完成者と言われるマックス・ローチにぞっこんほれ込み、サインを求めて追いかけたのですが、彼は「ゴメンナサーイ」と言って取り合ってくれませんでした。



 それからしばらく経って、ある日の学校の休み時間。たまたま近くにいた一人の同級生K君が、「俺のこの有り余るエネルギーをどう発散しようか」と独り言のようにつぶやいているのに接しました。そばにいたもう一人の同級生S君が、すかさず「ドラムやりゃあいいんだよ」。私はそれを聞いて、「四大ドラマーというのを聴きに行ったんだけど、その時のパンフレットがあるから明日持ってこようか」と言いました。
 さあ、それからがK君と私との悪友関係の始まりです。彼も完全にジャズにはまってしまいました。授業をさぼって音楽室の準備室に勝手に入り込み、タイコのまがい物のようなものを叩きまくったり、スティックを持ち込んで休み時間にかちゃかちゃやったり、放課後、渋谷の斎藤楽器店というところに何度も行ってベースをいじくりまわし、お店の人に嫌がられたり――しかし何といっても、このころジャズ鑑賞に深入りしたのは、当時、渋谷の百軒店に集中していたジャズ喫茶に通いづめた経験です。
 ブルーノート、サヴ、ディグ、ありんこ、スウィング、少し離れてデュエット、なんと6軒もかたまっていたのです。関係ないけど、デュエットでコーヒーを運んでくれたお姉さんはとても素敵でした。MJQ(モダンジャズカルテット)の「フォンテッサ」というアルバムをリクエストした時、「フォンテッサですね」ときれいな声で応えてくれたのをいまでもよく覚えています。
 私たちはこれらの店をはしごしながら、さまざまなジャズメンたちの演奏に接することになります。それについては、次回以降、だんだんとお話ししましょう。

 思い出話はまた折を見て続けるとして、いま取り上げたジャズメンたちの何人かについて、いまの時点での私なりの感想を簡単に述べておきたいと思います。チャーリー・パーカーは、その偉大な功績は認めますが、あまりにゴリゴリし過ぎていて、初心者にはお勧めできません。ほどなく登場したトランペットのディジー・ガレスピーやクリフォード・ブラウンのほうが、まだ聴きやすいかもしれません。二人とも天才的なテクニシャンです。クリフォードは、20代で事故死してしまいました。
 先に、アート・ブレイキーに魅せられてジャズを聴き始めたと書きましたが、彼のドラミングは、いまにして思えば、それほど個性的ではなく、むしろ、親分としての役どころを心得ていて、あまり出しゃばらない黒子的存在と言ったほうが適切です。
 マックス・ローチは、正確無比のドラミングですが、聴きなれてくると、少し定型的で特に伴奏時の遊びの要素が少なすぎる。しかし彼がいなかったら、その後のドラマーたちは存在しなかったでしょう。彼については、ソニー・ロリンズ(テナーサックス)について語るときにもう一度登場してもらいましょう。
 ロイ・ヘインズは、たいへんなテクニシャンで精妙なドラミング。彼はとても器用なたちで、時代が移ってかなりアヴァンギャルドふうな共演者が出てきても、それにきちっと合わせることができる人です。意外と知られていませんが、やはり器用貧乏の気があるのかな。お勧めは、チック・コリア(ピアノ)のアルバム「NOW HE SINGS NOW HE SOBS」の一曲目「STEPS-WHAT WAS」。

http://www.youtube.com/watch?v=Ga-M6LDmZzA

 シェリー・マンは、白人らしい繊細なタッチで、特にブラッシュ・ワークがいいですが、ちょっと迫力に欠けて物足りないか。
 フィリー・ジョー・ジョーンズは、私が一番好きなドラマーです。一見荒々しく聞こえるのですが、いつも計算されつくした演奏をします。ワイルドでありながら、音楽的な完成度が非常に高い。伴奏も出しゃばらず、ソロ・プレイヤーをじつに適切にインスパイアします。また、彼自身のソロは素晴らしいの一言です。マシンガン・ドラムの異名をとっていました。彼についても、マイルス・デイヴィスについて語るときにまた登場してもらいましょう。
 MJQについては、いろいろ語りたいことがあり、ここでは短くまとめられません。次回、自分のライブ鑑賞体験と合わせてじっくり語ってみたいと思います。
 それでは今日はこんなところで。



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