小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(3)

2013年11月12日 16時31分06秒 | ジャズ

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(3)


 時計の針を大学入学前に戻します。
 渋谷のジャズ喫茶に通っていたころ、よくかかっていたのは、楽器別に言うと、次の通りです。もちろんそれぞれのプレイヤーが共演しあっている場合が多いのですが、アルバムによって、だれをフィーチャーしているかということがほぼ決まっており、その人の名前が前面に出ているわけです。
 ピアノ: ホレス・シルヴァー、バド・パウエル、ソニー・クラーク、ウィントン・ケリー、オスカー・ピーターソン、セロニアス・モンク、マル・ウォルドロン、マッコイ・タイナー、ハービー・ハンコック、デイヴ・ブルーベック、そしてビル・エヴァンス。
 トランペット: ディジー・ガレスピー、ドナルド・バード、アート・ファーマー、ケニー・ドーハム、リー・モーガン、フレディ・ハバード、そしてマイルス・デイヴィス。
 テナーサックス:  コールマン・ホーキンス、ソニー・ロリンズ、デクスター・ゴードン、ウェイン・ショーター、スタン・ゲッツ、チャールス・ロイド、そしてジョン・コルトレーン(彼はソプラノサックスも吹きます)。
 アルトサックス: ジャッキー・マクリーン、アート・ペッパー、リー・コニッツ、ポール・デスモンド(と、なぜかこの楽器、白人が多い。柔らかい音質だからか)、キャノンボール・アダレイ(黒人)、そしてエリック・ドルフィー(黒人)。彼はバスクラリネットとフルートも吹きます。チャーリー・パーカーの嫡出と言えるでしょう。
 いま挙げた中で、それぞれの楽器の最後に置いた人たちはみな巨匠なので、いずれゆっくりと語りたいと思います。
 その他、脇役的な立場で共演していながら目を見張る出演者がたくさんいるのですが、きりがないのでこのくらいにしておきましょう。
 さて、大学受験も押し迫った高3の11月、文化祭の折に、友人K君(先のK君とは別人)と語らって校内でジャズ喫茶をやろうという話になり、私はそれまでに小遣いをはたいて買い集めたLP10枚ほどを持ち込んで、店内に好き勝手に流しました。これはなかなか好評で、そのころコルトレーンのソプラノサックスにいかれていた級友のT君が、私のささやかなコレクションを見て、「小浜、それはすごい財産だな」と言ってくれました。得意満面。しかしこういうことにうつつを抜かしていたせいか、第一志望には見事に不合格。
 ここで、当時爆発的にヒットしていたデイヴ・ブルーベック・カルテットによる「テイク・ファイヴ」を聴いてください。このメロディ、きっとどこかで聞いたことがあるでしょう。

http://www.youtube.com/watch?v=vmDDOFXSgAs

 軽くソフトでいいノリですね。白人らしい洗練されたセンスです。スコッチやブランデーなどをかたむけながら聴くとゴキゲンかも(ちょっとクサいか)。
 でも正直な話、当時、私はこの曲の大流行があまり面白くありませんでした。エラそうに言うと、ジャズに対する自分の感受性はもっと激しいものを求めている! と感じるところがあったのです。
 この曲が有名になったのには、テーマが親しみやすいことのほかにもう一つの理由があります。ジャズはふつう四拍子ですが、これは四分の五拍子という変則リズムなのです。ツダッツダッ、ンダッ、ツダッツダッ、ンダッ、とブルーベックのピアノがそのリズムを打ち続け、それに乗せられてポール・デスモンド(as)が軽快にソロを奏でます。それが何ともオシャレな雰囲気を醸し出しているのですね。一種の知的な操作の勝利でしょうか。
 しかしこの楽団は、ほとんどこれ一曲しかヒットがなく、やがてジャズのメイン・ストリートから消えていきます。「一節太郎」というヤツですね。お聴きになってわかるとおり、リーダーのブルーベックは、何にもソロ・パートを弾いていません。一説によると、彼は魅力的なアドリブができないのだとか。ジーン・ライトのドラムソロも、どうってことのないつまらないものです。まあ、いまでもよく聴かれているようなのでいいですけど。
 悪口を叩きましたが、これって、ジャズ鑑賞における私自身の「白人差別」かも。でも、同じく白人のビル・エヴァンスについては、最高級の評価をしていますので。

 その頃さかんにもてはやされて、いまはあまり聴かれなくなってしまったピアニストに、セロニアス・モンクがいます。「真夏の世のジャズ」という有名な映画に出演して世界的に人気を博しました。ちなみにこの映画には、ゴスペルのマヘリア・ジャクソン、ジャズ・ヴォーカルのアニタ・オデイらが出演しています。この二人は、それぞれ素敵です。マヘリア・ジャクソンは、のちのホイットニー・ヒューストンなどに大きな影響を与えた大歌手です。
 脱線しました。
 モンクのピアノは、極端に訥弁型でイレギュラーな不協和音を意識的に使うので、それが何やら神秘的、哲学的に感じ取られたようです。本国ではいざ知らず、日本ではエキセントリックな若者に妙に受けていました。しかしじつを言えば、私は当初からこの人の何がいいのか、よくわかりませんでした。でもほら、若い時って、自分の感性に自信がない分、なんだかわかったふりをしたがるところがありますよね。私は、「モンクはいい」と積極的に人に説いた覚えはありませんが、なんとなく周りの雰囲気に押されて、これっていいのかなあ、みんなが言うからいいんだろうなあ、くらいに思っていました。
 いまの時点で遠慮なく言わせていただくと、この人は歌えない人だし、聴衆を乗せない人だし、他のプレイヤーとのスリリングなインタープレイができない。でも、ひとりで弾いている「ソロ・モンク」というアルバムはちょっといいし、何を訴えたいのかがなんとなくわかります。
 要するに他のプレイヤーと共演することに向いていないなあ、と思います。マイルスとの共演がうまくいかなくて喧嘩別れしたという話もあります。この喧嘩別れでは、私はマイルスに断然軍配。同時代のピアニストなら、バド・パウエルのほうがずっと天才的で個性的です。シャブ中のためか、最盛期は短命に終わりましたが、彼についてはまたのちに紹介しましょう。
 モンクの才能は、むしろ作曲に活かされています。「ラウンド・アバウト・ミドナイト」「ストレイト・ノー・チェイサー」など、ジャズスタンダードナンバーとして有名な曲は、彼の手になるものです。
 
 当時よくかかっていた曲に、マル・ウォルドロン(p)の「レフト・アローン」、リー・モーガン(tp)の「ザ・サイドワインダー」があります。
 前者は、黒人女性歌手、ビリー・ホリデイの伴奏者だったマルが、亡きビリーを偲んで作った曲。ジャッキー・マクリーンの悲哀のこもったアルトサックスが妙に肉声に近く、日本人にはとても人気があります。ジャズで哀悼を表現した曲というのはあまりないので、貴重といえるかもしれません。素朴な心で聴いて、きっと泣けると思います。よい意味での「浪花節」ですね。浪花節は大切です。
 では「レフト・アローン」。
http://www.youtube.com/watch?v=E7lIffL3xaQ
 後者、リー・モーガンは、前にご紹介したアート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズでも花形スターでしたが、オリジナルアルバム「ザ・サイドワインダー」で一躍、一般のポップス界でも人気を勝ち得ました。この人は、ちょっと不良っぽい風貌ですが、早い時期から才能をきらめかせ、若々しく華やかなラッパを吹きます。



「ザ・サイドワインダー」は、ジャズとロックの中間のようなリズムで、とてもポップなイメージです。これなら、ジャズに興味がなかった人も、思わず体を動かしたくなるでしょう。私の友人、K君もA君も当時これを聴いて、ノリまくっていました。
http://www.youtube.com/watch?v=T5jFPrx51Dc
 このノリのよすぎる明るい曲は、ジャズを静かに聴く、という立場からは、少し邪道に感じられるかもしれません。事実、本格派を気取っていた私自身は、こういう方向にジャズが開かれていくことに、多少の不満を抱いたものです。
 しかしリー・モーガンは、一見やんちゃで派手に見えますが、ジャズが持つリリシズム(抒情性)や即興演奏での緻密な構成力をきちんと表現できる人です。オーソドックスなジャズ曲の中での彼の演奏を聴きたい人には、ジョン・コルトレーンの「ブルー・トレイン」がお勧めです。
 この曲でリー・モーガンは、初めから終わりまで、起承転結のある完璧なソロを吹いています。もちろんコルトレーンも大したものですが、彼については、言いたいことが山ほどあるので後回しにし、ひとまずこの曲では、リー・モーガンの演奏をお楽しみください。二人以外のパーソネルは、カーティス・フラー(tb)、ケニー・ドリュー(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)。フィリー・ジョー以外のすべてのメンバーがソロパートを受け持っています。

http://www.youtube.com/watch?v=S1GrP6thz-k
 アトランダムにいろいろ紹介してきましたが、ほかの世界と同じように、ジャズの世界はたいへん奥が深く、とてもとてもこんなものでは本道にたどり着いたとは言えません。次回は、モダンジャズの栄枯盛衰ということについて私なりの考えを語ってみたいと思います。ただし気ままな旅なので、ここで予告したことは、その通りになるとは限りません。もしみなさんがまだ飽きていらっしゃらなければ、どうぞもう少しお付き合いください。


コメント(2)

2013/09/08 01:39
Commented by ogawayutaka さん
60年代のジャズシーン、私には懐かしい名前ばかりでしたが、懐かしいというだけでなく、挙げられている音楽家の独自性は、普遍性を持つと思います。次の世代に人にもぜひ、イントロデュースをお願いします。
ところで、そもそも、世間での評価以上に評論家という存在の役割はとても大きいと思います。ジャズ評論家もしかり。評論家は、芸術家と受け手の媒介をしてくれます。評論家と言っても、その名を職業としている人とはかぎりません。ときには、編集者、教師、それに音楽の場合、レコード会社や放送局の人、オーケストラの音楽監督と言われる人もそうでしょう。ジャズ喫茶のおやじもそこに入ります。
こういう人たちは聴き巧者であるとともに、多く場合、言語表現の達人です。この人たちが、音楽を「発見し」、大衆に伝えてくれます。偉大な芸術家は最初は、なかなか理解されないのですが、こういう人たちが熱心に説得するおかげで、人々は聴いてみようかなと気を起こします。または、放送局に働きかけて初めて多くの人の耳に達するということもあります。バッハは、メンデルスゾーンが広報活動をしなければ、発見がずいぶん遅れたでしょう。その間に多くの楽譜も失われてしまったかもしれません。
ついでに、個々のプレイヤーについてですが、たしかにブルーベックはつまらないです。しかし、数年前に大統領も出席して誕生日が祝われ、昨年亡くなったときは「偉大な芸術家」としてみなされたようです。芸術家を褒めるのは大切ですが、これで若い人へのメッセージなるのかどうか、疑問に思いました。
ところで、ポールデスモンドは、世間ではイージーリスニングとみなされがちですが、私は天才だと思います。


2013/09/08 14:35
【返信する】
Commented by kohamaitsuo さん
To ogawayutakaさん
たびたびコメントを寄せていただき、ありがとうございます。
おっしゃる通り、芸術・文化にとって紹介者・媒介者の役割はとても重要ですね。バッハが人口に膾炙するのにメンデルスゾーンが大きな役割を果たしていたとは、不覚にして初めて知りました。
編集者、教師、音楽関係者、ジャズ喫茶のおやじなどの広報活動や意見が貴重というお考えに賛成です。
評論家と言っても、当時「スウィングジャーナル」誌で活躍していた人たちの中には、名前は挙げませんが、あまり共感できない人も何人かいました。あるジャンルに心から惚れ込んでいること、趣味にあまりぶれがなく日和見主義に陥らないことが何よりも重要かと思います。油井正一さんがよかったですね。彼はジャズ評論界の淀川長治です。
私もこういう試みで、少しでもよき紹介者の末席に連なることができればと、少々身の引き締まる思いでおります。
デスモンドが超名プレイヤーだということは、もちろん認めます。彼がいなかったら「テイク・ファイヴ」もあれだけヒットするはずがないですよね。
今後ともよろしくお願いいたします。

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3 コメント

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『レフト・アローン』聴きました。 (ランピアン)
2014-01-07 23:28:28
大変遅くなりましたが、新年おめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

当ブログでご教示いただいたジャズ・アルバムのうちから『レフト・アローン』のCDを選んで購入し、折に触れて聴いております。

かつて角川映画で使われていたこともあって、さすがに無知な私もこの曲は知っておりました。批評を加える能力もありませんが、マクリーンのサックス、まさに肉声のような響きですね。

元来音痴でもあり、音楽方面は苦手でした。クラシックは多少聴くのですが、情けないことに、演奏の良し悪しは今もわかりません。

かつてマタチッチが、カラヤンの演奏を「高級ムード音楽」とこき下ろしたと聞きますが、彼の演奏のどこが「ムード音楽」なのか、演奏が流麗に過ぎて通俗に堕している、ということなのか…今もってよくわかりません。やはり、一つの曲を違う指揮者で聴き比べるような経験を積まなければ、理解できないものなのでしょうか。

おかげさまでジャズ入門の第一歩は踏み出せましたので、今後もご紹介いただいたアルバムに挑戦したいと考えております。ありがとうございます。
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ランピアンさんへ (kohamaitsuo)
2014-01-08 01:23:52
いつもながら、コメントありがとうございます。
CDを買っていただいたとのこと、とてもうれしく思います。

クラシックについては、私も同様で、演奏者によって聞き分ける資格はありません。ジャズとクラシックとの重要な違いはそこにあって、クラシックの場合は、まず曲そのものに魅せられ、やがて耳が肥えてくると、同じ曲でも演奏者によってこんなに違うのかという話になるのでしょう。ジャズの場合はだれが演奏しているのかだけが問題だといっても過言ではありません。お店でのレコードやCDの分類の仕方が、クラシックでは作曲家別、ジャズではプレイヤー別というところにそれが一番よく表れていると思います。

カラヤンについてちょっと知ったかぶりを言いますと、彼はいい意味でも悪い意味でも万人受けを狙っているという感じがします。そのぶんだけ「俺はこの曲をこういうふうにやる」というのがあまりないのではないか。フルトヴェングラーと聞き比べていただくと、そのへんがなんとなくわかるような気がします。フルトヴェングラーはものすごく情熱的で個性的です。

ではまた。
返信する
ありがとうございます。 (ランピアン)
2014-01-08 20:46:43
早速のご返事ありがとうございます。

ジャズはプレイヤーの個性がすべてということでしょうか。個々のプレイヤーの特徴が聞き分けられるまで、耳を鍛えるしかありませんね。気長に続けていきます。

なるほど、カラヤンは独自の解釈をせず、最大公約数的な演奏をしているということでしょうか。

お恥ずかしいことに、フルトヴェングラーは聴いたことがありませんが、対照的な演奏家を聴き比べれば、私のレベルでも理解しやすいかもしれませんね。ありがとうございます。

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