先週の某日
昼頃、弟から連絡
老人施設にいる母が『大分命が混濁している状態!』と....
連絡があったのですが
そして前々から約束していた懐かしい友人と連れ合いと会食を始めていました。
そして一時間程すると二度目の連絡が入り慌て身支度をして
溝の口迄二時間半かけて....たどり着いたのです。
ベットに横たわっている「母に声かけをしてください」
とナースに言われ....
耳元で「田鶴子が来たよ!タズコだよ」と声をかけると
突然目を見開いて
大きく口を開いて思いっきり空気を吸って「ガオ〜〜〜」と言ってそのまま
顔の血の気がみるみる無くなっていきました。
「もう心臓の音がしません!確認のためにドクターを呼びます」
私を待っててくれたのです。
そして50分後ドクターが施設に到着して午後6時に死亡確認がなされたのです。
享年98歳 老衰 穏やか顔でした。 皆さんに看取られ幸せな最後でした。
その時、これで本当に母と永遠の別れが来たと大泣きしました。
そして22日34年ぶりの大雪の日の中お葬式が行なわれたのです。
施設ではパジャマ状態の感じの身支度
私は私なりに考え
着物をかけてください......と亡き父の趣味で彫っていた仏像も仏壇から選び係りの人に渡しました。
最後のお別れの花を棺に一杯入れた時の風景を写真に残したたかったと思うぐらい
美しく、厳かで、綺麗でインスタ映えしました。
「とても綺麗と!!」義理の妹は言ってくれたのです。
1月22日は何をも美しく全てを覆う雪
そんな日のお葬式
忘れる事がないでしょう。
連れ合はアイスッピックのついたブーツをある理由で履いていました。(それは又、後日に)
私は新横浜の葬儀場近くで頭から「スッテンコロリン」
ホームは人が溢れ、電車内はすし詰め、つくば駅のバスはなかなか来なく
タクシーは長蛇の列、やっと来たバスは走り出すと「ガリガリ、ガリガリ」
雪国を走っている感じ.....
疲れはってやっとの思いで家に帰ってきました。
少し都会がかった田舎つくばは
雪が深々降っている夜の風景は本当に別世界で幻想的です。
音もなく人にも会わず 雪道を歩き......
母さまも今、こんな道を歩いて星になって行くのだろうと....
心静かな葬い隣ました。
本当に昨日は生涯記憶に残る1日でした。
今は鞭打ち症の時に使うコルセットをしながらブログを綴っています。