今から約一世紀まえの1907年に
世界で最も高額な絵画トップ10入るそうな
「黄金のアデーレ」がクリムトによって世に発表されたのです。
1097年.138㎝×138㎝「アデーレ.ブロッホ.バウアーの肖像1」
モデルは映画のヒロインマリアの叔母アデーレ
ユダヤ系銀行の頭取の娘で夫も銀行家でした。
上流家庭の若い女性達の間では男前クリムトに描いてもらう事が憧れでもあったそうです
叔母アデーレもそれを深く望み亡き後は夫に譲渡すると言う遺言迄残しました。
グスタフ.クリムト1862~1918年
貧しい金細工師.11才の時に起きた世界恐慌で父親が失業し14才で奨学金でウイーン工芸美術学校に入学
ウイーン芸術『分離派』の設立に参加
女性達が裸でモデルになる事もいとわない程人気があったそうです
その絵画はアデーレのユダヤ人家族達の平和な日常の中にナチスの兵士が勝手に家の中に入り
絵画と共に根こそぎ財産迄が没収されてしまったのです。
その後
ユダヤ系アメリカ人マリアはオーストリア政府に対し訴訟を
ユダヤ系若き弁護士の力を借りてが最後迄諦めずオーストリアの国宝クリムト絵画を
オーストリア政府も段々不利になってくると金銭的な妥協案も示し初めるのですが..
マリアと弁護士は先の見え訴訟に心は不安で乱れましたが....
2006年にアメリカに住む正当な持ち主マリア個人に望み通り戻ったのです。
一女性がナチスにずたずたにされた一族の戻らない誇りを現在の記憶の扉に戻し
凄惨な第二次世界大戦、ユダヤ人の悲惨で悲しいストーリーでもありました。
この奪還は広大な宇宙から小さな小さな☆を探し出すのと同じぐらい
途方もない実話です....し
オーストリアの国宝がなぜ?
アメリカ国へ...大変興味を持ったわけです。
憧れのクリムト絵画を観たく1999年にベルベデーレ宮殿美術館を訪れた事があり
「接吻」等クリムトの黄金色と装飾性の面白さは今だ脳裏の隅にしっかりと記憶されています。
記憶のアルバムを開きクリムトに魅了された若かったツアー仲間がそこに笑顔でいました。
映画の中でウイーンの街も写すされ世界で始めて出来た木の観覧者を目撃した時は心がわくわくし
思い出ももらい時間を経つのもわすれました。
その後マリアは
アメリカのギャラリーに156億円近くで「黄金のアデーレ」を売却してしまいます。
なぜそんな事を???大変な裁判を乗り越えたのに!!!
彼女はる戦争とナチに愛する家族を奪われユダヤ人の迫害を目の当たりにして
そのアイデンテイーを今にもどしてその時の出来事を....記憶を.....現代に蘇られ
次の世代にその理不尽さを伝えて行きたかったのではないかと思うのです
それにしても制作されてから約100年138㎝Sの絵画に秘めた偉大なヒストリーは
今だ世界中の人々を魅了し旅を続けているのです。
私にとっても亡き後でも一枚でも歩きしてどなたかの手元で
大事にされる様な絵画を描ける事が永遠の課題です。
今年も福井田鶴子アートギャラリーを愛読下さりありがとうございました
皆様 良いお年をお迎え下さい