内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

天空と大地の間に住まう頼りない神様たちと共に生きている日本の私たち

2017-09-20 22:03:41 | 雑感

 溝口睦子著『アマテラスの誕生 ― 古代王権の源流を探る』(岩波新書、2009年)の「あとがき」に、太陽女神アマテラスについて、こんな一節があります。

歴史の変化に翻弄されて、その時々に大きく性格を変えながら、しかし弥生以来二千年を越える時間を、日本の歴史とともにその先頭に立って歩んできた神は他にはいないだろう。私の願いはこの神が、今度こそ、誕生した時の素朴で大らかな太陽神に戻って、少し頼りないところはあるが、あくまで平和の女神として、偏狭なナショナリズムなどに振りまわされずに、彼女の好きなどこまでも続く広い海と広い空を住居に、豊かな生命の輝きを見守る神としてあり続けてほしいということである。

 ちょっと頼りない神様なんて、ユダヤ教世界にもキリスト教世界にもイスラム世界にもありえませんね。古代ギリシア・ローマ神話の神々にはちょっと似たところがあるかも知れないけど。宣長は、『古事記伝』のはじめのほうで、結局、カミを一言では定義できない、って言っています。人間にはありえないそれぞれに特異な力能をもったカミたちはそれこそ無数にいるけれど、なかには人間よりも弱っちいカミもいるし、道徳的に人間よりも劣ったカミさえいるんですから、そりゃ無理ですよね。
 筑紫申真著『アマテラスの誕生』(講談社学術文庫、2002年)には、こんな一節があります。

 天つカミは天空に住んでいると信ぜられた霊魂で、大空の自然現象そのもののたましいでした。大空の自然現象といえば、日・月・風・雷・雲ですから、天つカミはしたがって、日のカミとも、月のカミとも、風のカミとも、雷のカミとも、雲のカミなどとも考えられていたのです。(30-31頁)

 これら神様たちはヨーロッパの天空と大地の間にはお住いではないのでしょうか。今日の午後、オフィスアワーを終えての大学からの帰り道、自転車のペダルを踏みながら、日の光の眩しさ、風の冷たさ、雲の流れを五感で感じつつ、そう独り言ちていました。













ふと気が向いたら、いつでも来ていいんだよ

2017-09-19 22:05:13 | 雑感

 最初に、ちょっとだけ、場合によっては、あるいは、人によっては、気を悪くされるかも知れないことを書かせていただきます。
 この文字通りの拙いブログの記事にたまにコメントをくださる方々がいらっしゃいます。そのこと自体は、読んでくださっているからこそと、たいへんありがたく思っております。改めて感謝申し上げます。
 その上で言わせていただきますが、そのような方たちのコメントを読むと、正直、辟易する内容が多いのです。そのような場合、とてもご返事する気になれません。どうしてそういうことになるのでしょう。詳細は省きますけれど、要するに、こちらの意図などどうでもよくて、自分が書きたいことを長々と書いてよこすからです。そういう方たちに申し上げたいことは、「それって、場合によってはストーカー行為ですよ。ご自身がそんなにご立派な意見をお持ちなら、どうぞご自分で発表の場を設けてなさったらどうでしょうか」ってことです。
 さて、今日はそんなことが書きたいのではありませんでした。
 日本の大学には、「オフィスアワー」というシステムがありますね。こちらにも同様のシステムがあります。その時間帯、教員は研究室にいて、学生たちは予約なしで面会に来ることができます。各教員、週に二時間、ということに弊学ではなっております。すべての教員のオフィスアワーは掲示されていますし、授業で学生たちに知らせてもあります。原則として、学生たちはその時間帯に教員に面会に来ます。
 でも、この九月から学科長になって、自分として密かに決めたことがあります。それは、オフィスアワーの枠に限らず、できるだけ研究室にいようということです。ちょくちょく学科の教員室に顔を出そうとも決めました。オフィスアワー以外の時間帯に面会を求めてくる学生の都合にも極力合わせます。
 なんでそんなことをするかというと、「あそこに行くとさ、たいてい誰かいるんだよね。行けば、こっちの話、聴いてくれるしさ」って学生たちが思ってくれるような場所を学科に作りたいからです。
 どうしてそんなことを考えるかとお尋ねですか。それは、逆説的に聞こえるかもしれませんけれど、こうすることでより簡単に解決できる問題が多いからなんです。つまり、「あそこに行けば誰か話を聴いてくれる」、そんな場所を人は誰でも必要としていて、それを提供するだけで解決できる問題が少なくない、ということです。
 大したことはできないけれど、我が日本学科にはそういう場所があるよ。私だけじゃない、博士課程の学生にもそんなことを考えているのが一人いるし、卒業生のなかにもいる。さしあたり、学科の図書室をその場所として提供するからさ、気軽に来てみたら。そこに来て、誰かと話せたら、それだけで楽しいじゃない。
 そういうメッセージを在学生たちに少しずつ伝えようと、今、画策しているところです。












常体と敬体の巧みな組み合わせが生み出す思考のリズム

2017-09-18 21:26:38 | 日本語について

 日本語の初歩では、一般に、敬体、つまり「です」「ます」体をまず習います。常体よりも習得が容易で、かつ、実際話すときにも、敬体を原則としたほうが無難だからです。
 ちょっと日本語に慣れたからといって、調子に乗って常体を使うと、いくら話しているのが外国人だからといっても、それを聞かされる日本人の中には、あまりいい気持ちのしない人も少なくないのではないでしょうか。
 かく言う私も、無神経に常体を使う外国人あるいはハーフは嫌いです。そんな程度の言語センスで図に乗るな、と言いたくなることがしばしばあります。まあ、そんなこと言ったってね、当の日本では、旧態依然たるそんな保守主義は、メデイアを席巻するハーフタレントたちにものの見事にぶち壊されてしまったようですけれど(ちなみに、ローラは嫌いじゃありません、私は)。
 相当に日本語に熟達した人にとっても、日本人が聞いて自然に感じられるほど敬体と常体とを適切かつ巧みに組み合わせることはなかなかにむずかしいことです。それゆえ、「教育的配慮」から、原則として両体を混ぜるな、と日本語教育者は教えることになります。
 それどころか、日本人同士だって、敬体・常体の按配はむずかしい。類まれな文章の達人である友人が、あるとき、せっかく一定の原則にしたがって両者を注意深く組み合わせて文章を書いているのに、編集者が機械的にどちらかに「統一的に」校正してしまうんだよねぇ、と嘆いていました。
 昨日の記事の最後に引用した丸山圭三郎の文章でも、敬体と常体が混用されています。しかし、それは適当に混ぜて使われているのではありません。そのまったく逆で、一般的にテーゼとして認められていることは常体、そこから筆者(もともとは話者)である丸山が引き出して特に主張したいことを述べるときは敬体になっているのです。この組み合わせが、「です」「ます」体だけの単調なリズムを破って、表現にダイナミズムを与えてもいます。
 この文章を学生たちに読ませるのは、その組み合わせの妙を理解させるためでもあります。もちろん、安易に真似をしてはいけないよと、注意はしますが。
 今日の記事の終わりに掲げる次の井筒俊彦の文章(これも学生たちに音読さる文章の一つ)でも、敬体と常体が巧みに組み合わされています。

要するに、『コーラン』は、これを読誦することが肝要だ、ということです。啓示された神のコトバは、いつも声を出して誦んでいなくてはいけない。声を出して誦むことによって、はじめてお前の心にそのコトバがしみ込むだろう。それをおこたると、せっかく啓示された神のコトバもすぐに忘れられてしまう。忘れられてしまうということは、心にしみてこない、従って働かない、何の作用も及ぼさない、ということです。「アッラーの御心ならでは忘れまい」つまり、もし忘れさせることが神の意志ならば、それはそれで仕方がない。いくら誦んでいたって、誦んだコトバが心にしみ込まないこともあるかもしれないが、そうでない限り、毎日毎日、日夜を分たず『コーラン』を読誦していれば、そのコトバが心にしみつき、やがては強力に働きだすだろうというのです。

井筒俊彦『『コーラン』を読む』、岩波現代文庫、二〇一三年、七頁。











声に出して、論理的に明晰な文章を繰り返し読む

2017-09-17 18:43:07 | 講義の余白から

 学部一年生以外の学年、つまり学部二・三年と修士一・二年の講義や演習は一つないし二つ担当しています。そのどの授業でも毎年最初に学生たちに言うことの一つが音読の大切さです。はっきりと大きな声に出して、正しくテキストを読むことがコトバの習得にとってどれほど大切かを力説するのです。でも、残念ながら、それを家で実行してくれている学生はほとんどいないようです。今さら音読なんて、小学生じゃあるまいし、と小馬鹿にしているようなところがあります。
 もちろん、中身のないつまらないテキストを声に出して読むのは気が進まないでしょう。それは私も同じです。しかし、フランス語の本を読んでいて、これはいい文章だなあと思うと、私は必ず音読します。何度もします。別に暗記しようというのではありません。その文章の美しさを感覚的に感じ取り、それを体に染み込ませたいのです。
 私の場合、そのように音読する文章は、文学作品以外のことのほうが圧倒的に多い。それは、単にその文章を味わうだけでなく、そこからいわば知的・精神的栄養も吸収して、少しでもそのような文章を見習って、自分でも話したり書けるようになりたいからです。
 ただ、外国語でそれを実行する場合、もちろん読み方の上手下手という問題はあり、さらに基本的なところでは発音の良し悪しの問題があります。音楽でも武術でも、基礎の段階で自己流の悪い癖がついてしまうと、あとになってそれを矯正するのは、あたらしい習い事を始めるのよりしばしば難しいことです。だから、最初は先生につくべきだと思います。
 人数が多いクラスでは全員一人一人テキストを音読させるわけにもいきません。全員斉唱では効果も乏しい。それでも、今年度から私の授業では学年を問わず必ず音読の時間を設けることにしました。
 先日9月14日の記事でも書いたように、修士課程で特にそれを重んずることにしました(もちろん、学部レベルでもそうしたいのはやまやまなのですが、それは時間的にどうしても無理。毎回せいぜい十人程度に読ませるだけでしょう)。修士の一二年合同ゼミでも出席者は自由聴講生一人を含めても十五名だから、毎回全員一人一人に同じテキストを読ませて、個別に徹底的に矯正することにしました。自分の読み方だけでなく、他の学生の読み方を私がどう矯正するかを聴くのもそれぞれの学生にとって勉強になるはずです。
 今日は半日かけて、五回分、つまり五つのテキストを選びました。基準は、話し言葉あるいは手紙の文体であること、言葉遣い・内容が比較的平易であり、且つ、重要な問題提起が含まれていること、議論の展開が明瞭でお手本になること、などです。これらの基準に沿って、学生たちが後で発表の際に応用できるような文章を選びました。
 選ばれた文章の中の一つが丸山圭三郎『ソシュールを読む』(講談社学術文庫)の次の一節です。

 まず、ソシュール的な考え方に立つと、「読む」という行為と「書く」という行為が、実は切り離せません。そもそも表現というものと内容は分離できない存在である。これがソシュールの言語観の根本です。すべての表現作用、すなわち「身振る」「描く」「彫る」「歌う」「話す」「書く」という行為においては表現と内容というものは分離できない。ということは、あらかじめ存在する何らかの既成の内容を何らかの手段で表現するのではないということであり、内容は表現と同時に生れ、存在するということなのです。
 私たちはともすれば、表現とは思考なり情念なりの衣だとかその翻訳であるように考えがちですが、実は思考というものが、その言語表現を見出す以前に一種のテキストとして存在しているのではありません。文学作品の場合でも、作者自身、自分の書いたものと比較対照しうるようないかなるテキストも前もって所有していたわけではない。つまり表現というものは、それ以前には存在しなかったその内容自体をはじめて存在せしめるという考え方です。(36頁)












頑張ろう、でも、頑張りすぎないようにしよう

2017-09-16 19:22:55 | 雑感

 具体的に場所や人名を書くと差し障りがあるかもしれないので、ごく曖昧に今日の感想を書きます。
 立場上、組織を代表するために行ったほうがいいだろうという公的なレセプションが夕方からあり、それに出席して今帰ってきたところです。
 私個人としてではなく、日本学科長であるという理由でレセプションの開会の辞の中で紹介され、同じ理由で企画の提案もありました。公の組織のあるセクションの責任者になるというのはこういうことなのだあと今さらながら自覚した次第です。
 本当は、こういうことは一切避けたい。教育と研究だけに没頭したい。でも、だめですよね。こういう対外的なことに対して組織を代表するのが長の役目ですから。はぁ~、溜息が出てしまう。
 今週は、月から金まで出ずっぱりでした。そんなん、当たり前じゃん、甘えてんじゃねーよって、思うかもしれないけれど、これじゃあ、肝心の教育も研究も疎かになりがち。それでも質を保つのがプロだろって? 仰る通りでございます。
 明日、日曜日だけは、自分の過ごしたいように過ごして、月曜日からまた頑張ります。でも、頑張りすぎないようにしよ~っと。











遅まきの徒弟期間

2017-09-15 21:28:43 | 雑感

 講義のためなら、それが学生たちにとってよりよいものであるように何時間でもその準備に割くことを厭いません。それは愉しくさえあります。
 大学行政にかかわる事項に関しては、それと真逆で、必要最小限の時間で効率よく済ませたいといつも思っています。
 幸いなことに、学科の現在のスタッフは皆有能かつ協力的で、とても助かっています。それどころか、彼らの有能さと献身に比べて、自分の無能と怠惰を恥じることしばしばです。とはいえ、無い袖は振れませんから、無能は無能なりに職責をできる範囲で果たしていくほかありません。人に頼らずに自分一人で頑張ってしまおう、そんなことは私にはできません。そもそも無理ざんす、私にそれは。
 それがわかるからなのでしょう、ありがたいことに皆協力的です。こいつに任せておいたら、事が進まないとわかっているから、皆自主的考えてやってくれています。
 どうしても私の承認あるいは判断が必要なときは、もちろん私に聞いてきます。それにしても様々な場合があるわけですが、聞いてきた本人が承認されること、あるいは肯定的判断されることを望んでいる場合は、基本的にOKを出します。本人が自分では決定できない、あるいはその決定が学科として下されるべき場合は、その決定が当事者の意向に反していても、私が最終的な決断を下さなければなりません。立場上、当然のことですね。
 そんなとき、自分の性格的な弱さを感じることがよくあります。判断に迷う場合、どうしても争いを避ける方向に向いがちです。しかし、それが最良の選択でないことは少なくありません。争いを怖れていては、よりよい結果をその先に得ることができないことも多々あります。
 これからの何年かは、私にとって、それぞれの事に処してより良い判断を下すことを学ぶための、遅まきの徒弟期間なのでしょう。











〈根源〉への遡行、〈根源〉からの照射

2017-09-14 19:25:05 | 哲学

 今日が学部二年生の古代文学史の初日。明日が同じく二年生必修の古代史。この二つの科目は合わせて一つの教育ユニットを形成している。教育内容の多様性という観点からはそれぞれ別の教員が担当するのが望ましいのだが、今年は諸般の事情で、三年前同様、私一人で両方を担当することになった。
 この古代文学史という科目は今年が最後になる。来年度からのカリキュラムでは、文学史はもっと圧縮された形で三年次必修になるからである。学生たちにはそのことを告げ、今年単位取っておかないと困ったことになるよ、と脅かしておいた。彼ら、笑いながら頷いていたけど、大丈夫かな。
 今日の講義では、二つの講義への全体的イントロダクションもかねて、古代へと私たちの関心を遡行させることが物事の根本への問いへと私たちを自ずと導くことを、言語・文学・国家・宗教・神話・自然などのテーマを挙げながら、一時間ほどかけて説明した。
 文学の起源、表記システムの形成と音声言語、国家意識の成立、宗教と集合意識、神話と歴史、自然と人間、これらの問題についてその根本から考える手掛かりを古代史および古代文学史は私たちに与えてくれる。だからこそ、誰にとっても学ぶに値するのだということを特に強調した。
 と、そこまではかなりの集中力を要求する抽象度の高い話をした上で、話頭をさっと転じて、言語による世界の分節化の共有がどれほど一人の人間にとって大切かということを、それが一時的に失われたときにどうなるかを自己の幼少期の経験を例として見事に語っている川上弘美のエッセイ「Monkey」を一緒の読みながら、考えさせた(このエッセイは私のお気に入りで、拙ブログの2013年12月12日の記事でも取り上げている)。
 短いエッセイだし、平易な日本語で書かれているから、学生たちも初見でも十五分ほどで内容の理解はできる。ユーモラスな表現に笑いながらも、提示した問題にとって大切と思われるところには注意を促した。
 言語による世界の分節化の共有の人間存在にとっての根源的重要性という、川上弘美のエッセイが見事に例示している問題意識をもちつつ、日本古代文学史のテキストを読んでいこう、そう学生たちに呼びかけて講義を締め括った。











知は愛であり、愛は知である。愛のない知は不毛であり、知のない愛は盲目である

2017-09-13 19:58:59 | 哲学

 今日の修士一・二年の合同ゼミは、正規登録者十四名は全員出席。パリのイナルコで日本学部課程を修了し、この九月からストラスブール大学芸術学部の修士一年に登録し、自由聴講生として出席したいという女子学生一人を加えて、十五名の出席者。正規登録者だけでも昨年より人数は多いのだが、残念ながら、昨日の記事でもひとしきり嘆いたように、正規登録の一年生の大半のレベルはきわめて低い。
 そのことについて、正直な気持ちをちょっとだけ吐露すことを許されたい。
 いくら学部を正規に(しかし、パッとしない成績で)修了して資格があるからといって、どうして修士に来ちゃうのよ。ちゃんと将来のこと考えてのことなの(おまえが言うかって?)。あなたたち相手に、はっきり言って、修士レベルのまともな演習はできないよ、どうすりゃいいのよ。もう途方に暮れそう。
 今日の演習では、そんなこと言ったってしょうがないし、そもそも彼らのせいじゃないし、と気を取り直して、演習の目的と評価基準について詳しくフランス語で説明した後、少しずつ日本語の分量を増やしながら、その他の必要事項について説明していった。
 彼らのレベルを無視してこちらの要求を一方的に押し付けるのではなく、彼らのレベルに合わせてと彼らとどう付き合っていくか、それが今年の私の課題だ(誰か学科長の仕事、代わってくれないかなぁ)。
 今日のところは、彼らに音読の大切さを理解させるのに時間を割いた。ただ読めればいいのではない。ただ理解できればいいのではない。ただ訳せればいいのではない。与えられたテキストをそのテキストの性格に相応しく美しく音読できることがどれほど大切なことか、そのために同じテキストを繰り返し声に出して読むという日々の地道な訓練がどれほど人の感性を細やかにするかを両言語で諄々と解いた。
 でも、どこまで伝わったか、正直、心もとない。だけれど、一昨日の講演、昨日の研修、今日の演習を通じて、私としては、根柢では同じテーゼをその都度違った仕方で繰り返し主張しているに過ぎないのだ。そのテーゼは次のように定式化できる。
 知は愛であり、愛は知である。愛のない知は不毛であり、知のない愛は盲目である。












研修を終えて ― 日本学科修士課程の学生たちに告ぐ、明日からのゼミが楽しみだぜ、覚悟しておきな

2017-09-12 20:13:01 | 雑感

 今日は、昨日話題にした研修のメイン・プログラムである研修参加学生六名による英語での個別プレゼンテーションであった。午前十時に開始、昼食を挟んで午後五時まで行なわれた。
 昨日は、研修参加学生たちと引率の先生以外は、研修アシスタントのこちらの修士二年の学生二名が参加しただけだったが、今日は、こちらの修士の学生全員に出席を義務づけた。一年が十名、二年が三名の総勢十三名。
 定刻前に着いていた数人の学生たちに頼んで、研修会場の机をロの字型に並べ替えてもらう。日本人研修生たちと引率の先生とは、コルマール郊外にある CEEJA からストラスブールにちょうど朝のラッシュアワーにバスで来ることになるので、定刻から十分ほど遅れて到着した。
 最初に私が一言挨拶して、すぐにプログラムは始まった。日本人研修生たちは事前に日本で何度も練習した上で発表してくれたのであろう。パワーポイントを使いながら、できるだけ原稿は読まずに発表しようと努力してくれていた。これが人前で海外で英語でする初めての発表であるにもかかわらず、よくできた内容であった。
 あまり細部に立ち入ると諸方に差し障りがあるかも知れないので、詳細は省くが、日本人研修生たちの賞賛に値する努力に比して、我が日本学科の学生たちの態度は本当に情けないものであった。私は、昨日講演で喋りまくったので、今日は途中でいっさい口を挟まず、引率の先生に司会進行をお願いしたが、正直、日本学科修士一年の学生たちの態度には暗然とせざるを得なかった。
 もちろん、全員が問題なのではない。自発的に参加してくれたドクターコースの優秀な学生一人と先月まで京大に一年間留学していた修士二年で今回の研修のアシスタントを努めてくれた超優秀な学生とが積極的に発言してくれたおかげで、なんとか間はもった。一年生の中にも、人前で話すことがとても苦手であるにもかかわらず、一人で事前準備をして何度も発言してくれた学生が一人、日本語レベルははっきり言って低いが、拙い日本語ながらも質問したり、意見を述べようとした二人、彼らは評価に値する。
 その他の一年生は、残念ながら、零点である。「おまえたちはなんでここにいるのか。ただの置物か。そういう態度自体が相手に対して失礼であることがわからないのか」と怒鳴りつけたくような態度であった。学科長として、恥ずかしくもあり、先方に対して本当に申し訳なくも思った。
 とはいえ、このような恥ずべき結果になったことの責は学生だけに帰すべきではない。いや、彼らの恥ずべき態度は、学科の学部でのこれまでの教育レベルの反映にほかならないのだ。つまり、責の大半は、学科の教育内容とその質に帰すべきなのだ。実際、このような反省に立って、次年度からの教育カリキュラム編成を今詰めているところでもある。だが、それは今後の問題であり、今年は今年で、即、なすべきことがある。
 明日、今日出席した修士の学生全員を対象とした私のゼミがある。学生たちよ、明日から、一年間、たっぷりしごいてやるぜ、覚悟しておきな。











異文化の中の変われない日本の私

2017-09-11 18:48:48 | 哲学

 ここ数年特にそうだが、日本の大学からストラスブール大学に海外短期研修プログラムで来る大学生が増えている。一週間前後の滞在期間中、ストラスブールにある様々な国際機関を訪問したり、大学でフランス人学生と交流の時を持ったりする。
 今日もそのような研修の中のプログラムの一つとして、私が日本語で講演を行った。例年だと二十名前後の学生が参加するプログラムなのだが、今年はテロの影響とかで、応募者そのものが少なく、参加者はわずか六名。だから、講演というよりも、小さなセミナーのような感じであった。
 研修の目的を考慮して、異文化理解をテーマに一時間ほど話した。その後、一時間ほど質疑応答。日本から引率としていらっしゃっている先生の的確なアシストのおかげで、学生たちも質問しやすかったのであろう、いい質問がいくつも出て、答える私の方も、講演そのもので言い足りなかったことをそれらの質問に答える形で補うことができて幸いであった。
 講演の趣旨は、具体例の違いや若干の付加・修正・変更を除けば、二〇一五年二月に行った講演のそれと同じであった。その講演の内容については、拙ブログの二〇一五年一月六日の記事から八回に分けて紹介した。
 大体すべての質問にそつなく答えることができたと思うが、一つ返答に窮してしまった質問があった。それは引率の先生からの質問で、「二十一年間のフランスでの異文化経験を通じて、それ以前の自分と何が変わったとお考えですか」と聞かれたときである。
 もちろん、渡仏以前の自分のままであるはずはないと思うが、どこがどう変わったかと改めて聞かれると、一体自分の何が変わったのか、うまく説明できない。そして、その自己変化があったとして、それがフランスでの異文化経験とどのような関係にあるのかも簡単には説明できない。
 というのも、自分の駄目なところは、渡仏以前以後で何ら変わっておらず、今もずっと駄目なままで、何も変わっていないと思い至らざるを得ないことがこのところしばしばあるからである。
 そんな変われない駄目人間が偉そうに異文化理解などよく語れたものだ。質問された先生の意図とはまったく別に、その質問は警策のように私の心身を叩いた。