講義のためなら、それが学生たちにとってよりよいものであるように何時間でもその準備に割くことを厭いません。それは愉しくさえあります。
大学行政にかかわる事項に関しては、それと真逆で、必要最小限の時間で効率よく済ませたいといつも思っています。
幸いなことに、学科の現在のスタッフは皆有能かつ協力的で、とても助かっています。それどころか、彼らの有能さと献身に比べて、自分の無能と怠惰を恥じることしばしばです。とはいえ、無い袖は振れませんから、無能は無能なりに職責をできる範囲で果たしていくほかありません。人に頼らずに自分一人で頑張ってしまおう、そんなことは私にはできません。そもそも無理ざんす、私にそれは。
それがわかるからなのでしょう、ありがたいことに皆協力的です。こいつに任せておいたら、事が進まないとわかっているから、皆自主的考えてやってくれています。
どうしても私の承認あるいは判断が必要なときは、もちろん私に聞いてきます。それにしても様々な場合があるわけですが、聞いてきた本人が承認されること、あるいは肯定的判断されることを望んでいる場合は、基本的にOKを出します。本人が自分では決定できない、あるいはその決定が学科として下されるべき場合は、その決定が当事者の意向に反していても、私が最終的な決断を下さなければなりません。立場上、当然のことですね。
そんなとき、自分の性格的な弱さを感じることがよくあります。判断に迷う場合、どうしても争いを避ける方向に向いがちです。しかし、それが最良の選択でないことは少なくありません。争いを怖れていては、よりよい結果をその先に得ることができないことも多々あります。
これからの何年かは、私にとって、それぞれの事に処してより良い判断を下すことを学ぶための、遅まきの徒弟期間なのでしょう。