溝口睦子著『アマテラスの誕生 ― 古代王権の源流を探る』(岩波新書、2009年)の「あとがき」に、太陽女神アマテラスについて、こんな一節があります。
歴史の変化に翻弄されて、その時々に大きく性格を変えながら、しかし弥生以来二千年を越える時間を、日本の歴史とともにその先頭に立って歩んできた神は他にはいないだろう。私の願いはこの神が、今度こそ、誕生した時の素朴で大らかな太陽神に戻って、少し頼りないところはあるが、あくまで平和の女神として、偏狭なナショナリズムなどに振りまわされずに、彼女の好きなどこまでも続く広い海と広い空を住居に、豊かな生命の輝きを見守る神としてあり続けてほしいということである。
ちょっと頼りない神様なんて、ユダヤ教世界にもキリスト教世界にもイスラム世界にもありえませんね。古代ギリシア・ローマ神話の神々にはちょっと似たところがあるかも知れないけど。宣長は、『古事記伝』のはじめのほうで、結局、カミを一言では定義できない、って言っています。人間にはありえないそれぞれに特異な力能をもったカミたちはそれこそ無数にいるけれど、なかには人間よりも弱っちいカミもいるし、道徳的に人間よりも劣ったカミさえいるんですから、そりゃ無理ですよね。
筑紫申真著『アマテラスの誕生』(講談社学術文庫、2002年)には、こんな一節があります。
天つカミは天空に住んでいると信ぜられた霊魂で、大空の自然現象そのもののたましいでした。大空の自然現象といえば、日・月・風・雷・雲ですから、天つカミはしたがって、日のカミとも、月のカミとも、風のカミとも、雷のカミとも、雲のカミなどとも考えられていたのです。(30-31頁)
これら神様たちはヨーロッパの天空と大地の間にはお住いではないのでしょうか。今日の午後、オフィスアワーを終えての大学からの帰り道、自転車のペダルを踏みながら、日の光の眩しさ、風の冷たさ、雲の流れを五感で感じつつ、そう独り言ちていました。