初めてフランスの地に降り立ってから今日で二十一年が経った。
先週、街の中心部に買い物に自転車で出かけたとき、少し遠回りにはなるけれど、いつも通らない道を通ってみようと、気の向くままに道を選んでいたら、二十一年前、最初の十ヶ月ほど住んだアパートの前に出てしまった。あの頃とほとんど変わっていない。相も変わらずみすぼらしい。それと対照的に、回りの建物はすっかり現代建築に一新され、綺麗なオフィスや学校になっていた。アパートの建物だけ、まるで時代から取り残されたようにそれらの建物の間に挟まれて残っている。期せずして、自分のフランス生活の「起点」に立ち戻らされた格好である。少しも懐かしくはなかった。あの頃から今まで、いったいどれほど多くのものを自分は失ったのかという痛苦がむしろ心を喰んだ。
最初の十年は、半年後、いや、数ヶ月後に自分がどうなっているのかさえわからないような不安定な生活をずっと送っていた。その後の十一年は、つまり、大学にポストを得て以後は、社会的立場としてはいくらか安定した。しかし、精神的にも経済的も余裕のない生活が続いた。
ストラスブールに赴任して四年目に入ったところだ。パリに暮らしていた八年間に比べれば、少し生活は楽になった。しかし、余裕があるというところまではとてもいかない。定年までここで細々と暮らすだろう。その先のことももう考えておかないと。
これからの何年かは、学科長としての行政的職責と一教員としての教育的職責との両方を軸とした生活になるだろう。これら公的生活のあれやこれやは、事柄の大きさの秩序に従って、感情に左右されずに、粛々とそれらをこなしていきたい。その後は、定年まで何年か、研究を中心とした静かな生活を送りたいと思っているが。
それと同時に、日々考えることそのことが生きることそのことであるように生き続けたい。これは死ぬまでそうあり続けたい。何か結果を得るために考えるのではなく、考えることのそのことが現実としての十全性を有つような思考を紡ぎ続けることを生活の根柢として私は生きていきたい。