内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「たとえ寄り添うことしかできないとしても」―沖田×華『透明なゆりかご』(7)より

2024-03-16 19:17:54 | 読游摘録

 沖田×華の『透明なゆりかご 産婦人科医院看護師見習い日記』は、ご本人の若き日の産婦人科での経験が基になってはいるが、漫画のテーマとするにあたっての医療現場の丁寧な取材と周到な情報収集、自分が看護師として働いていたときの医療事情と漫画家として約二十年後にそれをテーマとするときのそれとのギャップがきちんと説明されていて、読者が出産をめぐるさまざまなケースを単純に一般化しないようにきめ細かく配慮されている。
 全九巻を読み通して、一方では、出産をめぐる事情はこんなにも多様であることを教えられ、他方では、それらそれぞれに対応する看護師さんたちの現場での苦労についていくらかでも知ることができた。
 無事に子供が生まれ、母子ともに健康であっても、それがそのまま幸せとは限らない。さまざまな事情で中絶を選択する場合もある。独りで産んで、独りで育てていくことを選択することもある。生まれてきたのに数日しか生きられない子もいる。
 看護師として無力感に苛まれるときもある。第七巻の「出産の後で」の後編には、NICUで治療を受けていた新生児が急変して死んでしまう話が出てくる。その終わりの方に、見習い看護師である若き日の沖田×華さんと看護師長の次のような会話がある。

……私…悔しいです… こんなに近くにいたのに力になれなくて… 
無力感でいっぱいです… 
看護師ってこういう時 何もできないものなのでしょうか?

そうね… 
妊娠 出産は個人的なものでもあるから どうしても踏み込めない領域があるの
結局 どんなケアをし尽くしたとしても「それで十分」ということはないの
私たちは患者さんが背負っているものを感じとりながら 自分たちの仕事を全力で果たす… たとえ寄り添うことしかできないとしても それは大切な使命だと、私は思うわ…

 そもそも、ケアとは、ここまですればOKというものではないのかも知れない……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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