内的自己対話-川の畔のささめごと

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色川大吉の古典的名著『自由民権』(岩波新書)紙版はなぜ品切れのままなのだろうか

2023-04-15 03:30:54 | 読游摘録

 いつからなのか知らないし、近々新しい刷が出るのかも知れないが、自由民権運動史の古典的名著である色川大吉の『自由民権』(岩波新書、1981年)の紙版が品切れのままである。私が所有しているのは電子書籍版で、2015年9月18日発行の第9刷に基づいている。
 『自由民権運動 〈デモクラシー〉の夢と挫折』(岩波新書、2016年)の著者、松沢裕作氏も同書の「文献解題」の中で、色川書について「自由民権運動史の古典であり、いまなお学ぶべき点は少なくない」と評価しており、色川書から「とりわけ結社の歴史的意義を強調する視点」を継承していると明言されている。理由は詳らかにしないが、こういう基本図書の紙版は常に入手可能であってほしいものである。
 ついでだが、笠松宏至の名著『徳政令』(岩波新書、1983年)も品切れのままだったが、昨年、講談社学術文庫の一冊として復刊された。原本が岩波新書として刊行され、講談社学術文庫として復刊されたケースが他にあるのかどうか知らないが、あまり多くはないのではないだろうか。他社からの復刊でも、読む方としては一向にかまわないし、新たに付された解説が有益な場合もある。が、岩波新書のロングセラーは同社から出し続けてほしいなあと長年同新書のお世話になってきた身としては密かに願っている。
 さて、自由民権運動の思想的リーダーといえば、教科書や一般的な参考書には植木枝盛と中江兆民の名が必ず挙げてある。色川書にも両者の思想について少なからぬ頁が割かれている(ちなみに、上掲の松沢氏の本には、中江兆民の名がいっさい出て来ない。テーマへのアプローチの仕方の結果といえばそれまでだが、一言の言及もないのがちょっと気になる)。
 色川書に「寛容」という言葉が使われている箇所があるかと検索してみたら、一箇所だけヒットした。植木枝盛の万国共議政府論に言及している箇所である。
 この論には西欧に先蹤があるとはいえ、今から百四十年前、当時日本が置かれていた国際政治的に厳しい状況の中で打ち出された植木の万国共議政府の構想は今でも傾聴に値する。植木や兆民について、色川は、「植木や中江ら日本の民権家たちは、目の前のきびしいアジア情勢と政府の軍事化路線とのはざまに立って、それらの理想主義[十七世紀のサン・ピエールの恒久平和論、十八世紀のカントの世界平和思想、十九世紀スイスの万国平和会を指す]を少しでも現実に近づけようと悪戦苦闘したのである。」と高く評価している。
 色川によれば、植木が「無上政法論」(初出、愛国社の機関誌『愛国志林』1880年3‐8月、その三年後の1883年に単著『通俗無上政法論』として刊行)の中で唱える万国共議政府は現代の「国連以上のもの」である。
 その構想において、万国共議政府は各国の主権の一部を制約する力を有する。つまり、各国間の紛争時にその解決のために介入することができる。例えば、大国が小国を不当に圧迫するようなとき、共議政府はその訴えを受けて、不正な国家に集団で制裁を加えることができる。一方、「共議政府に対して敵対するものは処分するが、その国を没収するようなことまではしない。寛容を主とする。」と、ここで「寛容」が出てくる。
 「共議政府は各国の内政に干渉はできないが、未開国や発展途上国を保護し、国の独立を求める人民には援助をあたえる。」
 確かに、このような万国共議政府の諸権能は現在の国連の実質的な機能を超えている。そして、その実現は、当時同様、いやそれ以上に、現在困難になっている。
 この共議政府は、小国を統廃合した世界市民の「世界国家」とはまったく異なっている。なぜなら、次の二つの原理の上に成り立っているからである。(一)小国自治主義の原理と、(二)「世に良政府なるものなし、人民ただこれを良政府とならしむるのみ」とする民主原理である。
 この二つの原理それぞれについて、明日の記事で、色川書の解説に依拠しながら少し考えてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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