内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

FNACの馴染みの店員さんの話

2021-06-16 17:22:16 | 雑感

 書店で本を手にとって、装丁を眺めたり、ところどころ読んだりしてから、購入するということがストラスブールに来てからほとんどなくなった。それはストラスブールにいい本屋さんがないからではなくて、私の書籍購入方法が変わったためである。圧倒的にネットでの注文が多くなった。それに、ここ数年、電子書籍の購入が格段に増えた。日仏英あわせて一八〇〇冊ほどになる。
 電子書籍でありがたいことは、誤って二重買いすることがまずないことである。紙の本では、これまでに両手で数え切れないほど二重買いをしてしまった。つい先日も、Marlène Zarader, Lire Être et Temps de Heidegger (Vrin, 2012) を二重買いしてしまったことに購入してから数ヶ月も後に本棚の整理をしていて気づき、ちょっとショックだった。文庫本ならともかく、三〇ユーロ以上もする本である。四年前にアマゾンで一度購入しているのだが、今回はFNACを利用したために、二重買いを防げなかった(最近、ハイデガーと京都学派の比較研究で博士論文を書きたいというリヨン大学の学生の共同指導を引き受けたから、二冊あってもきっと何かの役に立つだろうと、わけのわからない気休めを独り呟いている虚しさよ)。
 この購入方法の変化の結果、書店での店員さんとのやり取りがなくなってしまった。ところが、面白いことに、三年ほど前からであろうか、ネットで紙の本をよく注文するFNAC の注文品引取コーナーの店員さんたちが私のことを覚えてしまったのである。こっちから名乗ったことはないのに、注文品を取りに行くと、« Bonjour Monsieur K** » と私の名前を呼んでくれるようになった。そればかりか、私の姿が見えると、私がカウンターに辿り着く前に倉庫に注文品を取りに行ってくれたり、「いらっしゃると思って、取り分けておきましたよ」と複数の注文品をまとめておいてくれたりする。
 先日はもっと面白いことがあった。注文品を引き取るために列に並んでいると、馴染みの店員さんの一人が「ちょうどよかった。お話したいことがあったんですよ」と別の受付口に私を呼ぶ。「先日の注文品(『ゴッホ書簡集』六巻本のこと)、ちゃんとお受け取りになりましたか」と聞くので、ちょっと怪訝に思いながら、「ええ、先日受け取りましたよ、あなたの同僚の一人から」と答えると、「実はおかしなことがあったんですよ。あなたとほぼ同時に同じ書簡集を注文したお客さんがいて、その方に届いた方は第三巻が欠けていたんです」と言う。
 彼がこんなことをわざわざ私に言うのには理由がある。その一月ほど前にこんなことがあった。注文しておいた『ゴッホ書簡集』が届いたとメールで知らせが来たので、取りに行った。ところが六巻本のうちの第三巻しか届いていなかったのである。そのクレームを処理してくれたのがその馴染みの店員さんだった。私の最初の注文を返品扱いにし、新たに発注してくれた。その二週間後、無事に美装箱入り六巻本が届いた。私にとっては、それで一件落着であった。
 ところが、その店員さんよると、これには後日談があって、返品になった第三巻が抜けた残りの五巻が入った箱がそのもう一人の注文客の方に届いてしまい、またしても返品、再注文となったというのである。おそらく、パリ近郊のランジス巨大倉庫の注文処理担当者が、なぜだかわからないが、六巻の箱から第三巻だけ抜き出して、私宛てに発送し、残りの五巻が入った箱をもうひとりの注文者に発送したのだろうと彼は言うのである。「連中が何やっているんだか、もうまったくわけがわかりませんよ」と笑いながら、顛末をひとしきり説明してくれた。
 その日、ただ注文書を取りに行っただけなのに、思いもかけぬ笑い話の「特典」がついて、気持ちよく店を後にしたのでありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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