内的自己対話-川の畔のささめごと

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関係から実体への可変性と可逆性 ― ジルベール・シモンドンを読む(63)

2016-05-07 06:37:43 | 哲学

 ILFI の第一部は物理的個体化がテーマだから、当然のこととして、個体化の例として多数の物理化学的現象が挙げられている。しかし、浅学菲才如何ともしがたく、それらの例をよく理解できているとはとても言えない。だから、それらの例示の中から生半可に原文の一部を引き出しても、馬脚を現すだけのことに終わるだろう。それらの例については、科学の知識のある方に説明を仰ぎたい。
 第一部第二章は「形とエネルギー」(« Forme et énergie »)と題されていて、物理レベルにおける個体の生成、その形態・構造、そこに蔵された潜在エネルギーなどが考察対象となっている。シモンドンがそこで挙げている具体例に即して問題を見ていくことは私の能力を超えることなので、この章でシモンドンがどんな問題を考えようとしているのかよく示されていると思われる箇所をいくつか抜書きするにとどめる。
 「序論」でもすでに大筋は論じらていたことだが、シモンドンは、関係を存在に付随的な現象とは考えない。むしろ関係こそ存在生成の母胎なのだと考えている。この関係論的存在論とも呼ぶべき思考が物理レベルでも徹底されている。それは潜在エネルギーを論じている次の箇所にもよく表現されている。

Mais la réalité de l’énergie potentielle n’est pas celle d’un objet ou d’une substance consistant en elle-même et « n’ayant besoin d’aucune autre chose pour exister » ; elle a besoin, en effet, d’un système, c’est-à-dire au moins d’un autre terme. Sans doute faut-il accepter d’aller contre l’habitude qui nous porte à accorder le plus haut degré d’être à la substance conçue comme réalité absolue, c’est-à-dire sans relation. La relation n’est pas pure épiphénomène ; elle est convertible en termes substantiels, et cette conversion est réversible, comme celle de l’énergie potentielle en énergie actuelle (p. 68).

 それ自体で存在するところの実体を最も高度な存在としてまず想定し、そこからそれに「付随する」関係を考えるのとは真逆に、関係から実体への転換の可能性を考えようというわけである。しかもこの実体への可変性は可逆的だから、実体を基礎とした世界像は、どこまでも副次的かつ暫定的なものに過ぎないということになる。この前提に立ってシモンドンの個体化論はその全体が構想されている。





















































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