内的自己対話-川の畔のささめごと

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戦時下の日常を生き抜く―『この世界の片隅に』についての秀逸感想集

2019-11-07 19:43:25 | 哲学

 一昨日火曜日、「日本文明・文化」の中間試験を行った。この授業は、すべて日本語で行う。試験も同様。試験の主題は「戦時下の庶民の日常」とした。この問題について考える材料として、ヴァカンス直前の授業で片渕須直監督『この世界の片隅に』の前半を観ながら、この優れた作品の細部の歴史的正確さへの注意を学生たちに促しておいた。試験準備として、ヴァカンス中に映画全編を観ておくようにと指示した。
 試験問題は全部で十問。まず、映画の前半についての細部の理解を問う小問四つ、そして、後半の重要なシーンについてそれぞれその理解を問う五問。最後の一問は、「戦争の中の日常を、広島と呉で、さまざまな困難を乗り越えながら生き抜いた北條すずとその家族の姿を見て、あなたはどんなことを感じましたか」という、自由に感想を書かせる問題。ただし、日本語で書かなければ、零点。
 この最後の問題への解答の中から、内容・文章ともに秀逸なのをそのまま掲載する。

北条すずと彼女の家族の生活を見ると、映画が思ったよりもはるかに深いことがわかります。この映画は戦争についてではなく、すべての普通の人々の内部の闘争についてです。その人生は、どんなに不幸であっても、悲惨さや絶望のときでも続きます。これらすべての人々の日常生活の例を使用して、映画は、最も困難な時代でも愛は戦争よりも強くなる可能性があると考えさせます。

映画を見ながら、私は北条の家族とすずを気の毒に感じました。食糧不足、空爆、死ぬ人など、彼らが経験した不幸にもかかわらず、北条の家族は強いです。すずは、人生が再び美しくなることを願っています。人々が苦しんでいるのを見た時、私は泣いていました。無実でありながら戦争の犠牲者です。映画のキャラクターが感じている苦痛と恐怖を認識しています。私は空爆や戦争を経験しなかったことは幸運だと思います。

すずの日常を見る時に、人生の本当の意味を考えました。戦争でも、すずの生活は普通でした。家族があったり、夫があったり、姪もあったりした。日常の中に幸せがあります。料理とか、裁縫とか、描くこととか、何処にも面白いことがあります。戦争がもたらすのは、痛みや飢えや破滅ですが、それだけではありません。本当の戦いは生き抜くことです。すずの力は普通の生活を生きることです。映画のおかげで、その小さな喜びを見つけながら、戦争の無残も見ました。

いままでよく戦争映画やドキュメンタリーを私は見てきました。そのため、広島で起きた事は詳しく知っています。けれども、この映画のような、戦争中の市民の生活というものは初めて見ました。『火垂るの墓』も見ましたが、この映画はまたちがう生活を見せます。家があっても、家族が残っていても、戦争中生きるのはとてもたいへんでつらい事が多いことがわかります。いまでもすずたちのように一生懸命生きている人たちがいると思うと、胸が痛みます。そして、この映画を見ていると、なぜあのようにむごい事をしたアメリカのことを許し、いまでは偉大な国だとみな言うのだろうと私は思ってしまいます。アメリカ人のことをすぐにうけいれたところが私には理解できません。けれども、このように、過去の生活や日本人のみなさんはその時何を思っていたのかを知ることができてとてもうれしかったです。

悲しみを感じた。彼らの運命は非常に残酷で不公平だったと思う。彼らは民間人だけた。戦争をすることを選択しなかった。日本政府の決定だった。しかし、最も苦しむのは、すずとその家族のような民間人だ。でも、私は喜びも感じた。なぜなら、困難にもかかわらず、すずとその家族は笑顔を続けるからだ。それは美しいものだと思います。彼らの勇気に感心する。

戦争の時代を経験していない人として、私は戦争がどれほど残酷であるか知りません。しかし、映画の終わりに、非常に悲しくて泣きました。普通の人として、私たちの日常はとても貴重だと思うからです。すずさんの家族と周囲の生活のように、困難があるとき、暖かさがあるとき、悲しみがあるとき、幸せがあるとき、全部の愛する人と過ごすときは大切ですが、戦争はこのすべてを簡単に奪うことができます。私は、最後、すずさんが敗戦を聞いたときの怒りの理由を理解します。彼女は戦争で多くのものを失ったので、自身のすべてを捧げたので、実は、すずさんは、怒りで悲しみを隠しています。映画を見ながら、私の家族と友達と彼らと一緒に過ごした暮らしを思いました。普通で正面から幸せに生きたいです。












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