内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

冷めた女と饒舌男

2018-01-11 11:30:48 | 詩歌逍遥

 昨日の記事で取り上げた万葉歌の次の歌にふと目が行きました。こんな歌です。

黙あらじと 言のなぐさに 言ふことを 聞き知れらくは 悪しくはありけり(一二五八)

 伊藤博『萬葉集釋注』はこの歌の意をこう通しています。

黙っていてはまずかろうと相手が口先だけの気休めに言う言葉であるのに、そうと知りながら聞いているのは何とも気持ちの悪いものだ。

 この歌は「臨時」(その時その時に臨んでの感慨)という題の下にまとめられた歌の中の一首ですが、この歌には題詞も左注もなく、誰が誰に宛てた歌とも知れませんが(あるいは宴席歌か)、注釈の多くは女性の歌と見ています。歌として優れているわけではありませんが、古代から現代まで、そして洋の東西を問わず、心が離れた男の取り繕うような饒舌を前にして無数の女性が味わったであろう心情をこの歌はよく伝えていると思います。
 『釋注』の注釈を見てみましょう。

女の心情であろう。離れ離れになった男が、二人の気まずい空気を繕おうとしてあれこれ空虚なことを言い続ける。その本心を知りながら男の言葉に耳を傾けている時の砂をかむような気持を言い表した歌と覚しく、珍しい内容。万葉の男女二人が向かい合う白けた情景が絵に画いたように伝わってくる。
 さめた女の前では、饒舌の男は道化役でしかない。

 ルネ・シフェールの仏訳の注にはこう記されています。

Vos beaux discours ne sont qu’autant de mensonges.

あなたの綺麗言は嘘ばかりね。