内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

蕾がほころびるように微笑んだからといって

2018-01-10 23:59:59 | 詩歌逍遥

 年末から年始にかけて自宅を留守にした間ポインセチアを預かってくれていた人がそのポインセチアといっしょに白百合の切り花をもってきてくれました。それで、今、ポインセチアの赤い苞葉と白百合とが清らかな華やぎを私の家の中にもたらしてくれています。
 『万葉集』にうたわれている百合の多くはやまゆりです。ゆりの花に美女の笑みの印象をうけとめたり、「後(ゆり)」を言い掛けた歌が見られます。夏草の繁みに人知れず咲く姿を「くさふかゆり」とうたったりもします。例えば、巻第七にこんな歌があります。

道の辺の 草深百合の 花笑みに 笑みしがからに 妻と言ふべしや (一二五七)

 この歌にはいくつかの解釈がありますが、男の求婚を拒否した歌と伊藤博『萬葉集釋注』は見ています。その意は、「道端の草むらに咲く百合、その蕾がほころびるように、私がちらっとほほ笑んだからといって、それだけでもうあなたの妻と決まったようにおっしゃってよいものでしょうか」となります。
 大岡信は『私の万葉集』で、同様な解釈にしたがい、この歌を面白い歌ととらえ、こんな現代語訳をつけています。

道ばたの草の繁みに咲いている百合のように、この私が花笑みに頬笑んであなたを見たからといって、それであなたの妻だなんて、とんでもない。

 そして、さらにもっと思い切った意訳を付け加えています。

でれでれしないでよ。誰があんたみたいな男の妻になんかなるもんですか。