内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

個体が生きる場所としての〈自然〉 ― ジルベール・シモンドンを読む(78)

2016-05-22 12:56:57 | 哲学

 今日は、ILFI第一部「物理的個体化」の最後の段落を読む。まず原文を引用する。

On comprendrait ainsi pourquoi ces catégories d’individus de plus en plus complexes, mais aussi de plus en plus inachevés, de moins en moins stables et autosuffisants, ont besoin, comme milieu associé, des couches d’individus plus achevés et plus stables. Les vivants ont besoin pour vivre des individus physico-chimiques ; les animaux ont besoin des végétaux, qui sont pour eux, au sens propre du terme, la Nature, comme, pour les végétaux, les composés chimiques (p. 152-153).

 昨日まで読んできた第一部最後の箇所からだけでも、以上のように結論づけるシモンドンの議論の道筋はおおよそ理解できる。
 あるカテゴリーに属する個体群は、それらがより複雑になればなるほど、その意味でより高度な存在になればなるほど、しかし、他方では、より未完成なものとなり、それだけ安定性を欠き、自己充足性が乏しくもなる。それゆえ、それらの個体群が結びつけられた環境として、より完成度が高く、より安定した個体群の層を必要とする。
 生物は、生息するために物理化学的諸個体を必要とし、動物たちは植物たちを必要とする。植物たちにとって化合物がそうであるように、植物たちは、動物たちにとって、語の本来の意味において、〈自然〉である。
 こうシモンドンは第一部を締め括っている。そこで見逃すわけにはいかないのは、« la Nature »(〈自然〉)と特に大文字にしていることである。単に生存の条件として与えられたものが〈自然〉なのではない。個体がそこにおいて生まれ、形を与えられ、その構造が複雑化すればするほど、それに伴い機能が高度化すればするほど、その個体は己がそこから生まれてきた環境に依存する存在となる。この依存関係は、しかし、単なる一方的な従属関係ではなく、異なった個体カテゴリー間の情報交換の現場であり、動的な相互性である。この意味で、〈自然〉は、異なった大きさの次元に属する個体群間の絶えざる情報生成と流通の〈場〉そのものだと言うことができるだろう。
 〈自然〉は、己の内に不定形なものとして無尽蔵に含まれている潜在性に、高次化する個体化過程を通じて、ある一定の仕方で限定された種々の構造と機能を与え、その結果として形成された互いに異なる個体群間に多様な相互媒介性を生成し続ける過程そのものだとシモンドンは言いたいのではないか、というのが私のさしあたりの解釈である。