内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

人が日記を付け始める時 ― 自照文学成立の根本契機を索めて

2014-11-14 17:39:31 | 随想

 人が自分自身について書き始める契機は何であろうか。過去の自分を回想するためとか、後々のための記録とか、商業的なあるいは私的な理由で人から求められて書き始めるような場合は、ここでは考えないことにしよう。
 昔、日本で大学院生だった頃のことである。ある先生が、「人は不幸になると、日記を付け始めるものだ」と言い出して、それを聞いていた別の先生が、「そうですかねえ。私は別に自分を不幸だと思っていないが、毎日日記つけていますし、後になって読むと面白いですよ」と反論すると、「いや、自分はそのつもりでも、日記をつける人は不幸な人なのだ」と最初の先生は譲らない。半分本気、半分からかうような調子だったし、そこから議論が発展することはなかったのだが、もう二十年以上昔の話なのに、今でも何故か妙にこのやりとりをよく覚えている。
 その時脇でそのやりとりを聞いていた私は、小学校の頃夏休みの宿題としていやいやつけていた日記(いやいや付けていたのであるから、本人にしてみれば大いに不幸であったが)は別として、自分が初めて自ら思い立って日記を付け始めたのはいつだろうかと思い出そうとしていた。
 それは高校二年生の時だった。確かにそのころ我が家は暗かった。父は入退院を繰り返し、その進行する病状からして職場への復帰はだんだんと非現実的な話になりつつあり、自宅療養を強く望んでいた父はしばしば家におり、その姿を見るのは辛くもあったし、やりきれなくもあった。そんなときに日記を付け始めた。やはり一人心のうちにはしまっておきにくい鬱屈した気持ちをどこかに吐露したかったのであろう。
 しかし、自分がそのとき思っていることを書き出してみると、すでに書くべきことがあって書くというよりも、書くことによって書くべきこと(もちろんもっぱら個人的・主観的な意味でだが)が生まれて来るということがわかってきた。しかし、それに気づいたのは、ただ生な感情をそこに吐露しているだけではなく、そのような感情を持つ自分を観察するという態度が書記行為の中に入ってきてからのことである。それが契機となって書くことが習慣化したとも言えるし、書くことが習慣化したということは、そのような自己観察的な内的言語空間が生まれたということだとも言えるだろう。もちろん高校二年生の時にこのように考えたわけではない。今から理屈づけてみればこのように言えるだろうかという話である。
 その日記を付け始めて数カ月後に父は亡くなった。その直前には日記を付けることは一度止めていた。父の死後しばらく経って再開したが、長続きはしなかった。別に不幸ではなくなったと思ったからではなく、受験勉強で日記どころではなくなったというだけの話である。そして大学に入ってから間もなく、その日記を捨てた。読み返す気には到底なれなかったし、その表紙を見るのも嫌になって、他のノート類と一緒に捨てた。
それ以後、断続的に日記をつけ、ここ八年程はフランス語で毎日の記録を日記として残しているが、これはもっぱら過去の記録として坦々とその日の出来事を記しているだけで、感想の類は、ごくわずかの例外を除いてほとんど残さない。
 このように自分自身の貧しい経験を反省してみたところで、自照文学成立の根本契機は、残念ながら、はっきりと見えてきそうにない。自分自身の経験と問題意識はそれとして大切にしなくてはならないだろうが、やはり、基本に立ち返り、まずは『蜻蛉日記』を虚心坦懐に読み直すことにしよう。