本当には愛することのできない自らの水に映った姿に恋い焦がれてしまったナルシスは、我知らず出口のない閉鎖サイクルの中に自分を閉じ込めてしまい、その中で決して触れることもできない水の向こう側にあると信じられた美しい姿を、それが自分の映しであると知らずに追い求め、ついにはその姿を捉えようとして水に飛び込み、溺れ死ぬ。これがナルシス神話の粗筋だが、古代ギリシアのナルシス神話にはヴァリエーションがいろいろあり、古代ローマではオウィディウスの『変身物語』の中のが有名であり、そこからまた同神話の数々の変奏が生まれた。
下の万葉集の防人歌は、それとはまったく違った世界を表現している。
我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影さえ見えてよに忘られず (巻二十・四三二二)
水を飲もうと思って水面に身をかがめると、何とそこに映っているのは妻の影ではないか。それくらい妻は私のことを恋しがっているのだなあ、これではちっとも忘れられないと、と言いながら、水に映った自分の姿が妻のそれに見えるのはこの歌の作者のほうである。
水が媒体となって、相思相愛の二人を隔てる物理的空間が溶解していると見たい。