『和泉式部日記』の中の「有明の月の手習い文」と呼ばれる箇所は古来名文として名高いが、暁の空のただならぬ気色の描写がそのまま屈折した震えるような心模様の表現となった、まさに景情一致、有情の世界の文学的表現として傑出している。
「風の音、木の葉の残りあるまじげに吹きたる、つねよりもあはれにおぼゆ」という一文で始まり、その中に四首(地の文に紛れ込んだ歌を含めれば、五首)の和歌が織り込まれた「手習い文」は、歌文融合体とも称すべき、和泉式部の詩魂によって生み出された新しい表現方法である。
「消えぬべき露のようなわが身ぞあやふく、草葉につけてかなしきままに」、奥にも入らず、縁に伏していると、目が冴えかえって、眠れない。そんな私の心を知るべくもなく、侍女たちは皆すやすやと寝てしまっている。たった独り、「名残りなううらめしう思ひふしたるほどに」(己の悲しい運命をただひたすら恨めしく思いながら臥せっていると)、雁がかすかに鳴くのが聞こえる。他の人はそうは思わないのだろうけれど、私にはそれが耐えがたく切ない。ただ、このように雁の声を聞くよりはと、妻戸を押し開き、外を眺めると、「大空に、西へかたぶきたる月の影、遠くすみわたりて見ゆるに、霧りたる空の気色、鐘の音、鳥の音一つに響きあひて」、過ぎにし日々のこと、これからの行く末のことどもが、このようにしみじみと思われることはあるまいと思うと、涙に濡れた自分の袖の雫さえ不思議なほどに珍しいもののように見える。
この手習い文を帥の宮に届けさせたら、宮からあたかも打てば響くように返書が届く。そこに連ねられた式部の心に感応した想いやり深い歌を読んで、式部は、やはり宮にお贈りしただけのことはあったと喜ぶ。
しかし、この詩文のやりとりによって両者が憂き世から救済されたわけではない。救済なき暗き世の中にあることの深い孤独が、「手習い文」に表現された「空の気色」を介して、互いにさらに深く自覚されたと見るべきだろう。