内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

問題の端緒を開く ― 丸山眞男の書評を手がかりに

2013-09-12 01:27:00 | 哲学

 今日水曜日(11日)は今年度最初の授業だった。学部1年生の「日本文明」のCM1コマとTD2コマ。前者は cours magistral のことで、階段教室での講義。出席者およそ70名。後者は travaux dirigé のことで、35人以内のクラスでの演習。この両者が相俟ってひとつの教育ユニットを形成する。昨晩午前3時までパワーポイントでのプレゼンテーションを入念に準備しておいたので、どちらも思い通りにしゃべることができたし、学生からの手応えも十分であった。今日の授業は12時15分で終了。午後は修士2年進学希望者の日英仏の3ヶ国語による面接試験。受験者2名。どちらも内部志願者。1名合格。今晩はこれから明日12日の2年生の「日本近代史」の授業の準備。去年の資料と手書きのノートを基にパワーポイントでのプレゼンテーションを作成する。午前2時前には寝られないだろうな。
 以下は、昨日その「序」を掲載した発表原稿の第1章前半(脚注はすべて省略)。これが「序」になるはずであったが、長くなりすぎたので1章として立て直したことはすでに9月8日の記事で述べた。後半では、丸山の書評を手がかりに、10項目に分けて、「種の論理」の問題点を列挙しているが、そちらは記事にするには長すぎるので省略した。

 丸山眞男は、務台理作の『社会存在論』が出版された1939年にその書評を『国家学会雑誌』(昭和14年9月号)に書いている 。この書評は、務台の著作をその直接の対象としているが、丸山自身が書評の終わりの方で認めているように、務台の論理の「内在的な批判」ではなく、むしろ「種の論理乃至ひろく近時の社会存在論についても妥当する部分があろう 」と言っていることからもわかるように、当時の哲学的社会存在論一般に妥当しうる、より一般的な射程を持った問題提起をそこに見ることができる。そこで私たちは、この書評で丸山が「種の論理」一般について提起しているいくつかの問題を提示することをもって、田辺元の「種の論理」の批判的検討を主目的とする本稿の主題への導入とする。
 この書評の中で、丸山は、哲学界の当時の著しい傾向として、西田哲学以来「具体的な歴史的=社会的存在に集中するようになった」ことをまず指摘した上で、「田辺元博士の「種の論理」の提唱はこの趨勢に向かつて画期的な一石を投じたもの」と評価する。務台の「社会存在論」については、「この「種の論理」は務台教授によつて受継がれ、教授独自の立場に於て展開 」されたものと位置づけ、両者の方法論的な違いを指摘した上で 、「種の論理」の「最初の完結せる叙述」としてのきわめて重要な意義を認める 。
 しかし、哲学的・論理的考察と経験的・実証的考察とが区別されるべきという点については務台に同意しつつも、丸山は、社会科学者の立場から、両考察がいずれも歴史的世界に関わり、現実社会の構造の闡明に向けられる以上、そこに「必然的な関聯」が生じることに注意を促し、「この関聯を無視し、哲学的思惟が社会科学の立場より得られた成果を飛び越して、社会科学の対象そのものに直接結びつくとき、そこに悪しき意味における哲学の現実化、政治化の危険が胚胎する。この書に於てもこうしたかうした傾向が絶無とはいへない」と指摘する 。
 その例として丸山は「種的社会」の定義を挙げる。務台が「歴史的世界の中に於いて種的社会を基体としない如何なる現象もありえない 」と主張することは当然と認めた上で、その直後に唐突な仕方でその「種的社会」が「地霊の力」としての「民族」と等置され、それのみが歴史的世界の生産の基体であり主体であると、何の論理的根拠も示さずに断定されていることを厳しく批判する 。
 さらに丸山は、この民族と同一視された種的社会に対する個体の関係を問題とする。「種に対して一方的に「従属」しその「優勢的圧力」を蒙る個体は如何にして種の疎外性を転向せしめうるか 。」種の「この限りなき強大性に面して個体の限りなき実践性の要求は単なる当為に止まらないだろうか 。」このように、務台の社会存在論に見られる、個体に対する種的社会の優位性と、種的社会に対する個体の立場の脆弱性についての疑問が提示される。
 そして、丸山は、国家乃至民族の全体性が当然の前提とされ、民族と国家とがつねに同一視されていることも問題として指摘し、その全体性と部分としての個体の自由なる文化的活動とが如何にして両立するのかと問う 。
 書評の締めくくりとして、丸山は、「哲学畑の人の社会的=政治的関心の傾向はこよなく喜ばしい」とその傾向を好意的に受け止めながら、哲学者たちに対して次のような方法論的配慮を要求し、彼らが陥りやすい理論上の逸脱とその結果としての現実的な危険に目を向けさせようとする。「哲学者は社会科学の成果を出来るだけ顧慮することが望ましい。さもないと純粋論理が一足とびに現実と抱合し、「存在するものの合理化」に終る懼れなしとしないのである。」
 丸山が東京帝国大学法学部助手だった25歳の時に書かれたこの書評には、それが京都学派に対しての外在的な論評であることでかえって「種の論理」をめぐる諸問題の所在が冷静かつ客観的な仕方で明示されており、そこからさらに一般的な問題群を引き出すこともできる。他方、それがまさに同時代における批評であるがゆえに、当時の時代状況をいわば内在的に反映しており、どのような歴史的文脈の中で「種の論理」が登場してきかという一つの時代の証言にもなっている。私たちもまた、方法において外在的でありかつ歴史的には内在的であるこの丸山の立場に仮に身を置くことを議論の出発点とする。