内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

戦争と哲学者 ― 田辺元の「種の論理」について ―

2013-09-13 02:33:00 | 哲学

 昨晩(11日)は、12時まで講義の準備のために頑張ったが、もう睡魔のせいでそれ以上は続けられず、今朝(12日)5時起きで何とか間に合わせる。今日の2年生の講義は日本近代史。初回の今日は、昨年度1年生の講義の最終回で取り上げた幕末の復習から始め、廃藩置県と四民平等の話まで。私にとっても自分の研究の必要上普段からいろいろな資料を読んでいる時代なので話したいことがありすぎて、今日は結局準備したことの半分しか話せず、残りは来週に持ち越し。その分来週の講義の準備は楽になるから、その間に他の仕事を進めておかないといけない。
 今週末は11月のベルクソン国際シンポジウムでの発表のタイトルと要旨の締め切り。当初のつもりでは、ラヴェッソンのデッサン論から説き起こしてベルクソンのそれに対する評価へ、そして西田の芸術論へと話を繋いで、身体的所作の優雅さと受肉された恩寵の問題を取り上げようと思ったけれど、ちょっと準備不足になるおそれがあるので、それは別の機会にまわして、ラヴェッソンの習慣論に対する西田とベルクソンとの態度に違いから、両者の哲学を決定的に分かつ問題場面を明確にした上で、そこにおいてラヴェッソンのいう習慣と西田の行為的直観とが相補的な関係にあることを示すという内容に変更することにした。前者の主題のほうが魅力的だと思うけれど、ラヴェッソンのデッサン論を読み込んでから原稿を書く時間がなさそうなので諦める。
 
 以下は、アルザスの発表原稿の第2章からの再録。

 「種の論理」の形成期は、1930年代の半ば、日本がすでに15年戦争に突入して国家主義・軍国主義・全体主義が様々な法制度の形をとって社会の深部にまで浸透しつつあった時代に重なる。戦争期という、いずれの国であれ、国家権力が剥き出しの形で国民の生活に強制力を発動する時代にあって、「種の論理」は、田辺が哲学者としてその時代の課題に正面から取り組もうという真摯な姿勢から生まれてきた実践的な社会哲学理論であると言うことができるだろう。しかし、本稿では、1930年代初頭から40年代半ばにかけての日本の15年戦争下における哲学という極限的な状況への歴史的関心自体から「種の論理」を取り上げるのではない。「種の論理」にきわめて先鋭化された形で問題化されている〈人類〉〈国家〉〈民族〉〈社会〉等の集合概念と〈個人〉という個体概念との関係性は、その時代と場所を超えた普遍的な問題であると同時に、今日においてもまさに世界のいたるところで人々が直面している切実な現実問題の一つでもある。したがって、田辺の「種の論理」がそれに対してなんらかの理論的・実践的寄与をなおなしうるかどうかと問うことは、日本の特殊的歴史的条件を無視したアナクロニズムであるどころか、むしろ逆に今こそ世界的な視野の中で吟味されるべき喫緊の社会哲学的な問いの一つでありうる。そうであるからこそ、「種の論理」はそれとして〈今〉検討されるに値すると筆者は考える。
 その検討にあたっては、論理的破綻、構造的欠陥、歴史的・社会的現実認識の誤り等を単に指摘し批判することがその目的ではないことはすでに述べた。しかしまた、全体としての整合性を欠いた「好意的」解釈や時代状況あるいは個人的事情に鑑みての「情状酌量」や一定の論理を欠いた無原則な「修正主義」によって「種の論理」を「知的遺産」として救済・保存しようというのでもない。その論理構造、理論的射程・限界・欠陥、そして可能性をそれとして厳密に検討すること、これが第一の手続きでなくてはならないことは言うまでもないであろう。しかし、それだけに留まれば、問題とする事柄の性質上、哲学的研究として不徹底との謗りを免れることはできないのではないだろうか。なぜなら、国家・社会・民族等に対する個人の関係性という問題は、個人としてそれを問う者自身の問題としても問われざるをえないからである。とりわけ、国家に対する個人の主体的自律の根拠、実践的批判の論理、社会的抵抗の現実的拠点の構築は、現在における哲学的実践の問題としてきわめて重要であると考える本稿は、特にこれらの観点から「種の論理」を吟味することになるだろう。