誰かの不幸を
目の当たりにしないと
自身が幸せだと
気付けないなんて
憐れだなぁと
想う
誰かの幸せを
嫉み
ましてや
其のせいで
自身は不幸なんだと
責任転嫁するのは
もっと
憐れだなぁと
想う
でも
そんな瞬間を
決して
味わってこなかったワケでは無い
誰かを憐れむ以上に
自身を憐れみ
一瞬
寄り添ったり
問うたり
少しだけ
突き放したりして
ヒトはまた
自身の扱い方を学べる気がする
この世界に
いや
人間に
喜怒哀楽が
備わっているのは
いちばんいい状態
即ち
フラットな自身
を
想い起こさせてくれるためだ
怒りや哀しみに
エネルギーを使うのはしんどいし
浮かれ過ぎたり
幸福のハプニング続きでも
ヒトは消耗していく
お風呂や
お布団が
キモチイイのは
適温であり
解き放つ瞬間だからなのだ
そんなコトを
また
改めて
感じさせてくれた一冊
思春期に
現実的な羞恥心やら屈辱感から
出来るだけ目を背け
オトナになったらしたいコトリスト。
を
せっせと空想していた自身が
育みそびれた
聴く耳。
や
見る目。
今更ながら
研ぎ澄ましていきたい
そう
想う
始める。
のに
遅過ぎる。
と
いうコトは
きっとナイ
筈だから