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「推定無罪」は口先だけか

2010年10月06日 07時57分54秒 | 法・裁判
社説:検審「起訴議決」 小沢氏は自ら身を引け - 毎日jp(毎日新聞)

検察審査会が2度目の「起訴相当」を議決し、
小沢が強制起訴される見込みとなった。

これを受けて「議員辞職すべきだ」といった声が上がっているが、
根本的に狂っているとしか思えん。
これは、いったい何なんだ?

検察審査会は「裁判の場で黒白をつけるべきだ」と言っている。
個人的には検察が起訴/不起訴を独占する状況へのチェックの役割を
検察審査会が果たすのは、
その情報公開等に課題があるとは言え、
まあ、良い方向かな、と思う。
ただ、あくまでもその強制起訴は「黒白を法廷でつけるため」のもの。
「白の可能性もあるにせよ、法廷に出せ」と言っている。
従来の検察による「有罪と認定されるだろうから、起訴する」ものとは
位置付けが異なるのではないか。
# 検察当局による起訴とてシロの可能性があることに変わりはないが、
 その点には今回は触れない。

にも関わらず、マスコミは「道義的責任があるから」とか
「有罪になる可能性があるから」とか言って
「議員辞職せよ」などと小沢が不利益を甘受すべきだ、と言う。

これは整理して言うと、
「裁判で無罪になる可能性がけっこうある(少なくとも、従来の検察による起訴よりも高い)」
にも関わらず、
「不利益を甘受せよ」と言っている訳だ。
これは、正しいのか?
裁判で有罪判決を受けていないのを、社会的に吊るし上げる行為。
これは小沢の言う通り、「魔女狩り」「魔女裁判」でしかないのではないか?
単に小沢は今までからグレーな行為をやってきている、
叩くべき(と国民が考える)けしからん存在だ、
だから不利益も甘受するべきだ、
と指弾しているように見える。
# いきなり、何の思い当る節もないのに起訴されて、
 「裁判に時間がかかるから、仕事を辞めろ」と言われる状況は、
 想像するだに恐ろしい。
 「私はそんな目には遭わないだろう」と考えるのは、
 妥当だけど正しいとは思えん。

結局、「推定無罪」と口では言っているけど、
そんなこと思ってもいないのではないか?
吊るし上げ、社会的制裁を加えるに際して、
「まだ裁判で有罪判決が確定した訳ではない」なんて抑制が効いているとは思えない。

仮に圧力が奏功して議員辞職したとしよう。
万一(よりも高い確率だが)無罪になったとき、
マスコミはどう対応するのだ?
先日、厚生労働省の局長が無罪判決を受けた時、
「復職したが、失われた日は帰ってこない」と書いたのではないのか?
同じ過ちを繰り返すのは阿呆だ。
あるいは口先だけで、自らの報道が与えた不利益を反省なんかしていない訳だ。

もしかすると、今度は「過ち」と認めないのかな。
「無罪判決だったけど、証拠がないだけで本当は有罪だ」論調で
押し切るのかも知れない。
…ますます「推定無罪」なんか口先だけだ。

まあ、仕方ないのかなあ…。
結局「手続」や「論理」を軽視する(とマスコミが認識している)国民に
相応しいマスコミなのかも知れないし。

しかし、今回の論調はあまりにも危険過ぎる。
戦前の「治安維持法」は悪法だった、と今は思っているけど、
当時の国民の大多数はそう思っていなかっただろう。
将来、何か大問題が起こった時に
「何であんなバカな時代だったんだ」と
思ってしまう可能性が高い、と漠然と感じる。
「小沢を排斥したい」と思惑から、政争の具として利用するには
あまりに危険な刀ではないか?

# 少しうがった見方をすると、
 今後小沢が無罪になり、
 「検察審査会によって政治家を強制起訴するのはやめよう」という論調に
 もっていくための下準備かも知れんな。
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