朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
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1989-2009

2010年03月15日 06時44分33秒 | 身の回り
朝日ジャーナル別冊「1989-2009」を今更ながら読み終えた。

1989年(平成元年)からの20年間について、
思想・文化などの状況や変化を
投稿、インタビュー、対談を通して描いたもの。
最後に当時の記事の再録がいくつか。
この別冊の内容だけでは不充分で、これを基に書籍などに当たらなければ
20年の変化を本当に理解したことにはならないだろうが、
見取図にはなると思う。

以下、甚だ私的な回想。

1989年、昭和天皇が亡くなった時、私は中学生だった。
土曜の朝だったかな。
布団の中で「基礎英語」「続基礎英語」「英会話」を何となく聞いている途中で、
「天皇が危篤」みたいなニュースが差し挟まった。
直前の番組(続基礎かな?)で
「Yesterdey」が流れていたのを何となく憶えている。
ただ中1か中2か曖昧なのは(もちろん、ちょっと調べれば分かるのだが)、
さして充実した日々でなかったためかも知れない。

1975年生まれの私は「ロストジェネレーション世代」になるそうだが、
自分が「ある世代に属している」という感覚があまりない。
中にいると同年代の人間との差異の方が目に付くわけで、
外部からの視点は感覚として持ちづらいのだろう。
まして「団塊の世代」に比べると世代内の差異も大きいだろうし。
# しかし「ロストジェネレーション」って、酷い言い方だ。
 失わせたのは90年代に入学・就職した私たちでなく、もっと上の世代だろうに。
 年金で「損になる」ことも含めて、
 被害者意識は、世代内で共有している感覚かも知れない。

20年間で衝撃が大きかったのは、
個人的には「阪神大震災」よりも「地下鉄サリン事件」だった。
大阪に住んでいたから震災は体感した(飛び起きた)し、
まだ建物すら復旧していない神戸に行ったし、
前日電話で話した知人の安否が気になったりもしたが、
結局、震災は「起こり得るもの」が実際に起こった、という感覚だったように思う。

それに対して「地下鉄サリン事件」なんて、
そもそも「起こり得る」とすら思っていなかった。
京都の知人の家で飲んで泊まって、
朝テレビを点けるとニュースでやっていたのだが、
最初ドラマだと思ったからなあ。

なんて私的なことを、つらつら思い返してみた。
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