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日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

生贄がいれば良いのか?

2009年01月05日 05時42分11秒 | 法・裁判
法務省、時効再延長・廃止を検討 重大事件の被害者配慮(共同通信) - goo ニュース

>「被害者や遺族は一生苦しむのに、加害者に公訴時効があるのは不公平」
この発想に空恐ろしいものを感じる。

公訴時効は、時間の経過とともに証人の記憶が薄れたり、
証拠が得にくくなったりすることに対応する面もある。
時効を延長したり廃止する、ということは、
不確かな証拠を元に裁判をすることになり、
現状の「自白」偏重の流れを加速させ、
冤罪の可能性をさらに高くするものではないのか。
(技術の進歩を考慮すると、「公訴時効の見直し」は、やるべきだと思うが)

「被害者や遺族が苦しむ」状態を、
その苦しむことに直接対応するのではなく(例えばメンタルな部分など)、
「犯人」とされる人物を吊るし上げ、それを叩くことで満たそう、という
(極端な話)生贄を捧げれば良い、というのか?
もしそれが冤罪だったとしたら、
被害者や遺族の苦しみは余計に大きくなるのではないか?
# それとも、とりあえず「犯人」が捧げられたのだから満足するのか?

そしてここで「公平」を持ち出すのは、
結局「殺されたのだから殺す」という、
復讐を正当化する理屈につながっていくように思う。
コメント
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