朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

桂米朝、死去

2015年03月20日 04時47分32秒 | 落語・講談・お笑い
時事ドットコム:桂米朝さん死去、89歳=上方落語復興に尽力-古典再演出、ファン拡大

米朝師死去。

お年もお年であり、いつかこの日が来るのは分かっていたので、
枝雀や吉朝、喜丸が亡くなった時のような衝撃はないが、
それでもいざその日が来ると様々な思いが浮かぶ。

「百年目」や「地獄八景」から、
それこそ「紀州飛脚」や「重箱丁稚」に至るまで、
師のネタは殆ど(テープなどが多い)聞いていると思うのだが(「浮世床」とか聞いていないか)
では「米朝の落語が好きか?」と聞かれるとけっこう難しい。

私自身、米朝から聞き始めているのだが、
そのうち6代目を聞くようになって
米朝は「整い過ぎている」「破綻がない」「噺家らしくない」「面白くない」と思って
一時的に離れた。
しかし改めて聞くと、やはり理屈では割り切れない面白さがあったりする。
「メートル原器」「教科書」というのは正しい表現なのかも知れない。
現在の上方落語を考えていく上で、「離れたら、とりあえずここに戻ってこれる」
基準になっているのかな、と思う。

「桂米朝なかりせば」という表現がある。
「上方落語ノート」「落語と私」を始めとする米朝の残した多くの書籍は非常に有意義。
また、例えば、上方落語が全国的に広がることはなかっただろうし、
様々なネタの「復活」もなかっただろうし、
上方の噺家がテレビやラジオのタレントとして活躍することもなかったのでは、と思う。
そういう意味で、上方落語・噺家の現状を作ったのは米朝だろう、と感じている。

ただ、それが正しいのかどうかは分からない。
6代目に言わせれば、姫路の出身である米朝の言葉は
必ずしも本当のいわゆる「船場ことば」「大阪ことば」ではないと云う。
しかしそれが「上品な大阪弁」「船場言葉」と思われて広まっている。
そんなことに思いを向けても意味はないのかも知れないが、
大阪土着の「上方落語」が全国に広がり、マスコミで受け入れられる際に
希薄化されてしまっているのではないか。

そんなことを考えて憎まれ口を叩いてみても、
今自分が落語を好きなのはやっぱり米朝のお陰なのだと思う。

感謝を込めつつ、合掌。
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姉様キングス「クリスマス夜会」~落語は1人ミュージカルだ!~

2014年12月28日 16時53分50秒 | 落語・講談・お笑い
あまり落語会に行けない1年だが、
今年もクリスマスイブは例年の如く姉様キングスのライブへ。
今年は前半落語4席、後半にシャンソンショー等という構成。

二番の後、最初にPV(喬介作らしい)が流れる。
個人的には、うーん、別に、という感じのPV。
何となく素人くさく(素人なんだろうけど)、
上手いともそこまで面白い(独創性が高い)とも思えない代物でもなかった。


「動物園」(あおば):△+

PVに軽く触れ、軽くマクラ(電車の中の話)を振ってネタヘ。

いきなり動物園での会話から始まる。

上手くないが、本人が楽しんで登場人物を演じているのがよく分かる。
上下も深いし、動きが大きいので着物がやたら崩れてくる。
何となく、良い落研(落語クサくない)の1,2回生みたいな感じ。
勢いがあって、そこは良かった。

テキストは恐らく南天ライン。
個人的には、虎の皮を被るところはちと長いかな、という印象。
あと、最後は明らかに人間になっているのだけど、
それはそれで良いのかな、とも思う。


「アナと聖子と沙也加」(あやめ):△+

いつもはあやめが中トリなのだが
(染雀の方が着替えるのに時間がかかるので先に染雀が出る)
今年は究斗が入るのであやめに先が出られたのかな。

久しぶりに見るとかなりの金髪(黄色?)になっていた。
マッサンに憧れて脱色したらしい。
そのあたりや「ドクターX」などに触れてネタへ。

今年流行った「アナと雪の女王」にかけて、
松田聖子と神田沙也加母子の会話、
ところどころに歌が入るネタ。
あやめの新作の中では良い方かな、と思う。
あやめの新作は長くなると薄くなってしまう印象があるのだが、
短い分、元のアイデアが良い具合にネタに反映できていたように思う。


「昆布巻芝居」(染雀):△

軽くあやめの体調や時間などのマクラを振ってネタヘ。

好きなネタなんだが、うーん、あまり満足できなかったなあ。
一言で言えば「緊張と緩和」の、
芝居の話に集中させて芝居の場面になぞらえて鍋蓋を家主に取らせ、
「昆布巻がある」という現実に戻してウケを取る、というネタだと思うのだが、
客が「昆布巻」を忘れる程芝居に集中させることが出来ていなかった。

それは家主とやもめの会話で
芝居から現実に引き戻す話が多かったためであり、
現実に引き戻した後すぐに芝居の世界に戻せるほど、
元々の芝居の雰囲気が作れていなかったためだろう。
「緊張と緩和」の「緊張」が弱いから、
「緩和」が充分に効かなかったように思う。

そうなると、あのクソ下らないサゲ
(褒め言葉。上方落語で最も素晴らしい「地口落ち」の一つだと思う)
の台詞も効かない訳で。
勿体なし。


「ミュージカル落語「レ・ミゼラブル」」(三遊亭究斗+伴奏フランシー堺):△+

究斗は前名「亜郎」。一度見たことがあったんじゃないかな。
マクラで一つ歌って見せる。

おじいさんが子どもに対してミュージカルや「レ・ミゼラブル」の粗筋の説明をする、
その中で「レ・ミゼラブル」の実際の歌を歌って見せる、というネタ。
細かいクスグリも入っているが、歌を歌う場面も長く、
全体的には「笑わせる」よりも「拍手させる」ネタ、という印象。
ただ拍手を受けてからネタに戻る辺りの処理がイマイチで、
流れが損なわれているように思った。
後から振り替えるとトータル30分足らずだったのだが、けっこう長く感じてしまった。

フランシー堺は、恐らくこのネタの伴奏は初めてだと思うのだが全く問題なく、
この人は凄い人なんだな、と感じた。


「音曲漫才」(姉様キングス):○-

クリスマスらしく、赤と緑の衣装で登場。

今年で結成15周年らしい。
「深川くずし」でお互いの紹介と今年の時事ネタ、
「どんどん節」で時事ネタいくつか。
個人的には「都々逸」などに比べてどちらも節が長いので、
ウケが次第に大きくなる、というような流れは作りづらかった感じ。
また「どんどん節」で最後の「どんどん」の前に間を入れていたのだが、
個人的には、合わせにくいかも知れないが、
「ハア」を入れて詰めた方がリズミカルで良いと思う。

15分くらいやっていのだが、
例年に比べてあっさりしていると感じてしまった。
そういえば、サゲのテーマ歌っていなかった。


「音曲漫才」(れ・みぜらぶるず):△+

「歌が変わっていく」というのがパターンの音曲漫才ではある。
聞いたことがあるのが多い(「ジングルベル」の後半から「青い山脈」は初めてかも)が、
これはこれで偉大なるワンパターンで、
色物としては悪くない。

「目玉オヤジの真似」は長いので、
個人的には入れなくてもいいかな、と思う。

最後は例年の如く「ヨーデル食べ放題」。
上手く2番で切り上げていた印象。


「シャンソンショー」(ミス・ジャクリーヌ&マダム・アヤメビッチ):○-

「デザート」という名のメインディッシュ。
今年はミュージカルの曲、というテーマ。

1.「アナと雪の女王」より「生まれてはじめて(上方弁バージョン)」(ジャクリーヌ&アヤメビッチ)
2.「レ・ミゼラブル」より「スターズ」(究斗)
3.「サウンド・オブ・ミュージック」より「私のお気に入り」(ジャクリーヌ)
4.「エリザベート」より「私だけに」(アヤメビッチ)

1.は、まあ、ごく普通のパロディー。
もう少し上方落語に出る台詞に置き替えられた気もする。
2.はまともな歌。パロディーではない。
3.はジャクリーヌ(染雀)のキャラに合わせて「この人(男)がお気に入り」を
歌い上げていくパターン。
4.は「オーストリア王室」を「日本」に置き換えたパロディ。
去年の「父親は××党」よりもヤバい代物。素晴らしい。
ただほぼミュージカルと同じらしいので、
如何に現実がヤバいか、というところか(笑)

最後に「インジャモンdeコマンタレブー」で締め。
入りが少しズレて、最初、伴奏が微妙に合わなかった。


仲入に入った時点で20時を過ぎていたのでどうなるかと思ったが、
結局21時10分頃にハネた。
個人的には前半をもう少し軽く、後半をこってりする方が好みではあるが、
前半の落語会の構成を考えると仕方ないのかも知れない。


# シャンソンショーの元ネタ。
1.生まれてはじめて リプライズ in博多 博多弁ver アナと雪の女王 完全版 For The First Time In Forever



2.『レ・ミゼラブル』♪スターズ/星よ/川口竜也



3.My Favorite Things - Julie Andrews



4.私だけにー蘭乃はな(2014年花組公演「エリザベートー愛と死の輪舞ー」より)


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第135回雀三郎つるっぱし亭

2014年09月28日 09時55分13秒 | 落語・講談・お笑い
つるっぱし亭

金曜は「雀のおやど」へ。

久し振りの落語会。


「つる」(米輝):△

この人の落語を見るのは初めて。
「ヨネキ」と読むんやね。「ベイキ」かと思っていた。

マクラは「笑うお稽古」やお仕事でウケなかった話など。
正直、若手がこういったマクラを振るのは好みではない。
もっとダイレクトに「面白い」と思った話を振ればいいのに。

ネタは思ったよりはきっちりしていた。
何となく吉弥っぽい。
全体に無駄と感じる若干説明的とも思えるような台詞が入っていたり、
逆に面白い台詞が抜けていたり、と、
少し雑な印象ではある。

「南京虫は脚気患うか」を「水虫」に変えていたが、
それだったら「南京虫」も伝わらんだろうから全部変えてしまっても良いのでは?
何がしたいかよく分からない。
恐らく元のテキストのせい。

「雄がツー、雌がルー」まで端的に言ってしまったら、
流石に間違えないのでは、と感じてしまったり。

細かいところだが、まっちゃん(だったか)が鉋を掛ける仕草、
小拍子でやっているのだが
それを見台に打ち付けて鉋を掛け出すので
いちいち小拍子を打っているようでちと鬱陶しいし流れを損ねる。
個人的には小拍子は置いたままで掛け出す方が良いと思う。

「ツー」「ルー」の言い方はそこまでクサ過ぎず、
まあまあ良い感じ。


「植木屋娘」(雀三郎):○-

パンフの誤字の話から
軽く「昔は字が読み書きできない人がいた」という話を振ってネタへ。
このあたりのスムーズさは流石。

ネタはそれぞれの登場人物の第一声はきっちり描写し、
後は軽く流す、という感じの作り方なので
あまりもたれずに聞ける。
枝雀ベースで聞き慣れていると若干不足感もあるだろうが、
個人的にはこれくらいで良いかな、と思う。

ただあまりやり慣れていないネタなのか、
ところどころ台詞の順序や強弱の付け方に
違和感、或は「勿体ないな」と感じる部分が散見された。
特に幸右衛門が覗く際の台詞回しで、
お光が伝吉さんに注がれるのを断るところが早いように感じた。
その後で「おとっつぁん、きょとの慌て者」が入るのだが、
個人的にはこの台詞が先の方が良いように思う。
まあ、どの程度既に親しくなっているのか、
どこでどの程度気まずくなるのか、という判断の違いかも知れないが。

サゲにつながる「継ぎ木、根分け」は
最初に伝吉さんを貰いに行った際に話すパターンが多いような気がするが、
そこでは言わずに結局サゲの直前。
これはこれで、伝吉さんを貰いに行く場面の台詞数が元々多いので
気を盛り上げにくいと判断すれば、
最後に回すのはアリなのかも知れない。
まあ、忘れて最後に回した、という可能性もあるかな。
聞いていて思ったのだが、仕込みなしで
「うちの商売が植木屋、接ぎ木も根分けも秘伝」と言い切ってしまって
良いのかも知れない。

あと全体におかみさんの比重が高い印象。
お光に養子の話をするのもおかみさんだし。
ふと思ったのだが、おかみさんは「のの字」って読めるんやね。
それだったら手紙もお寺に行くのではなく、
おかみさんに読ませたら良いのでは、と思ってしまった。
これは恐らく、
おかみさんが「のの字書いているし」と言ったことに対して
「のの字ってどう書くんや」と幸右衛門が返したため、
「おかみさんが字を読める」点に注目してしまったからでは、と思う。

お光の妊娠を知ったおかみさんが帰ってきての慌て方を
幸右衛門に似せていて「夫婦だな」と感じさせるところなど、
色々興味深いところも多かった。


「ペッパーラッパー」(たま):○-

前座と雀三郎から「ハゲ」を巡るエピソード。
面白いのだが、4人登場すると少しごちゃごちゃするなあ。

ネタは「くっしゃみ講釈」であれば講釈師であるところ、
ディスクジョッキーに酷い目に遭ったので
それに仕返しをする、という設定。
「くっしゃみ講釈」のパロディーとしての部分と、
この新作のオリジナルとしての部分とがあり、
どちらもまあ楽しめる。

ディスクジョッキー志望だった男と
その兄貴分という若い二人の男の会話の仕方や価値観など、
何となく福笑の新作を思い出しながら聞いていた。
「渚にて」や「キタの旅」といったネタのような雰囲気。

胡椒を買いに行き、なければ唐辛子、
サークルKに買いに行く、というのを忘れて
「ピンクレディーの歌で思い出す」という話。
これはこれで無理から感もあって悪くない。
結局買えずに一度戻ってきて、
さらっと「胡椒を手に入れて」と言って進めるあたり、
ちと竜頭蛇尾の感、無きにしも非ず。

クラブに入ってDJが踊る動きは良かった。
その後フリップで「ポーカーフェイス」の和訳版を見せていくのだが、
ここは少しクドい印象。
字面で見て面白いのだが、
長いのと同じ歌詞の繰り返しになるのでダレてしまう感じ。
個人的には、DJが踊る動きの中に胡椒をまいて
踊りながら胡椒まみれになっていく、という方が
絵面として映えるように感じた。
全体に面白いことが詰め込まれているのだけど、
聞く側としてはちと消化不良になるのでは、と思った。


「質屋蔵」(雀三郎):○

軽く質屋の話をマクラに振ってネタヘ。
旦那と番頭の会話、
最初の番頭の喋り方に(何となくだが)「幽霊が怖い」という
小心な雰囲気が既に出ているように感じられた。

旦那の最初の一人喋りが長いネタだが、
そこについて特に長さは感じられず。
「立ち聞きしていた」丁稚が叱られて熊さんのところに行く、
熊さんに対して「旦那がエライ怒っている」というあたり、
丁稚の鬱憤晴らしの雰囲気が出ていて悪くない。

熊さんと番頭が怖がりながらの色々が面白いが、
若干、熊さんと番頭がどちらがどちらか、分かりづらいところがあった。

三番蔵から音がして旦那がやってくる。
「相撲」「浴衣が踊っている」「道真公の絵姿」の3つ。
「浴衣が踊っている」は初めて聞いた。
まあ、華やかな絵面になるので悪くないと思う。
もっと派手な設定があっても良いかも知れないが、
蔵の中の「暗さ」もあった方が良いので
これはこれで良いバランスなのかも知れない。
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第109回出没!ラクゴリラ

2014年05月05日 12時06分19秒 | 落語・講談・お笑い
先週月曜は仕事の後、
久し振りの落語会へ。
太融寺の「出没!ラクゴリラ」。

開場時点では満員という程でもなかったが、
椅子を追加で出していたので
結局100人くらい入っていたのではなかろうか。


「ふぐ鍋」(染吉):△

軽く「ふぐ」「てつ」といった話をマクラに振ってネタへ。

強弱の付け方など、何となく亡き松葉っぽい。
そこがこの人の喋り方だと若干会話として調和が取れていない
(過度に強く聞こえる)印象になり、
あまり快く聞けなかった。

大橋さんはあまりクサくなり過ぎず、悪くない。

旦那と大橋さんが奥で鍋を挟んで喋っていく。
旦那がまずコノワタを勧めるのだが、
鍋には目を向けずに大橋さんがコノワタを取っていくのと
どちらが良いかな。
「早くてっちりを食べさせたい」旦那の気持ちを中心にすれば
コノワタは旦那が勧めるのではなく、
勝手に取っていく方が自然かも知れないし、
そこまで気にしなくても良いかも知れない。

ふぐを食べさせようと旦那が押していき、
大橋さんが次第に乗せられていくところ、
もう少し丁寧に一言一言作っていく方が良いと思う。

乞食に食べさせ、戻って来て二人で食べる。
食べる場面・仕草はまあまあ。
終わって再度乞食が出るところ、
「どないもおまへんか」でウケをとっているが
個人的にはこの台詞はなしで、
いきなりサゲの台詞に持っていく方が好み。
どうしても「どないもおまへんか」でウケが分散してしまうこと、
若干説明過多になってしまうのが良くない。


「長短」(生喬):○-

前の染吉の「ふぐ鍋」を受けて、
学生時代にてっちりを食べに入った話を軽く。
特に面白い話、でもないが、
自分の感情を含めてきっちり伝えるのでウケていた。

色々な性格の人がいる、といった話からネタへ。
気の長い男がアホに見える傾向にあるのだが、
以前見た時よりは気にならなかった。
それでもやはりアホっぽく見え、そこには違和感がある。

二人の関係に、若干ホモっぽい印象を受けてしまった。
一つの原因は「子どもの頃からの友達付き合い」のエピソード
(待つのが嫌いだから、一度学校に荷物を置いてまた家の前で待っていた)が
「待つのが嫌い」よりも「そこまでの友達付き合い」のニュアンスを
強く感じてしまうエピソードだからなのかも。

気の長い男はある意味「丁寧」「拘り過ぎる」「きっちりしている」人間であり、
だから饅頭を食べる時にどちらから食べるか迷い、
キセルはきっちり火を点け、きっちり吸い、
火玉が袂に入って燃える際も誤解がないように伝えている。
これはこれで良いのかも知れないし、
「気が長い」と「きっちりしている」は違うのでは、という気もする。
単に動きがゆっくり、という作り方もあるかも知れないが、
それはそれで見ていると客としてイライラしてしまうかも知れない。

気の短い男の言葉遣いに、落語の登場人物の台詞として崩れているのでは、
と感じるものが散見された。
何となく権太楼みたい。

全体には面白かったしよくウケていたが、
江戸の印象が強い私としては、
「長短」というネタの作り方としてどうなのかな、という気がする。


「饅頭怖い」(花丸):○-

好きな食べ物への細かい拘りの話をしてネタへ。
最初の若い連中のワチャワチャは、まあ悪くないけど、
この人だったらもっと弾けて無茶な設定を入れても良いのでは、と思う。
「一番が酒」という男は「一番が酒」という感じの豪放な男だし、
「二番目が酒」という男は女好きに見える男。
こういったところ、当然と言えば当然なんだがきっちり作られている。

怪談がきっちりと締まっており、非常に良かった。
口調もそうだし、おやっさんがきっちりと情景を浮かべて喋っている様子で
そこから情景が客にも伝わっていた。
もう少し、全体に暗い必要があるのかも知れない。

終わってみっちゃんが出てくるが、
そこまで嫌な人間、人を鼻で笑う、という感じの人間でもなかった。
個人的には雀三郎(だったっけ)の「まあ、よろし」という台詞が
如何にも好きではある。

饅頭は(551のような)特に妙なものを入れる訳でなく。
放り込まれてみっちゃんが1個全てを食べきらず、
それぞれ半分くらい齧っていく(へそ饅頭は放り込んで一口だが)のは、
初めて見たが自然かも知れないな。


「軽業講釈」(文三):△+

文枝の思い出やネタを付けてもらった(付けてもらわなかった)話など。

ネタは「軽業」の発端から屋根替えの白髭大明神の裏に入り、
小屋掛けの講釈小屋へ。
講釈師の紹介を軽く振る。
講釈師はある程度尤もらしいが、若干愛嬌もある、という作りで、
単に偉そうにするよりも野天の講釈師として自然だろう。

お囃子を止める「軽業~」の怒声がポイントになってくるネタだと思うのだが、
基本的に声の細い人なのでどうするか、と思っていた。
止める声を大きくしていく、というよりは、
止める際の仕草を大きくして徐々に激しくしていく、という作りになっていた。
最初は普通に止め、
2回目は首を大きく揺すりながら止める。これは一つのやり方かな。
ただ3回目は、2回目との差があまり大きく出ていなかったように思う。
その直前のお囃子の大きさに声も負けている。
まあ、講釈師が「負けている」「飲み込まれている」感じが出て、
それはそれで面白かったが。

軽業の部分は説明を増やしていた。
意図的に説明していたのだろうけど、
この軽業の部分のバカバカしさが弱くなるので、
個人的には特に説明せず、真面目な顔して馬鹿なことを
仕草だけでやる方が良いと思う。

サゲのあたり、もう少し何か手を付けた方が良さそう。
サゲが発散する台詞ではない(そのサゲを聞いて笑いに繋がりづらいし、サゲと分かりづらい)
から良いサゲがあれば変えてもいいだろうし、
変えないにしてもその前の講釈を聞いていた客の気持ちから繋がりやすい、
もう少し良い持っていき方があるのでは、と思う。


「桜の宮」(南天):○-

特にマクラを振らずにネタへ。

登場人物が多く、ツッコむ側が2人、ボケる側が2人、
そして年齢的にもあまり差がない様子(多少年齢差を付けた方がいいかも)なので、
そのあたりの人物描写が厄介なネタではある。
かと言って「若いもんのワチャワチャ」で済ませるには
それぞれの人物描写も要るしねえ。
南光に比べて抑える側のトーンが全体に高く、抑え切れていない印象。
それが南天らしいといえばそうだが。

全体に、少し噛むところもあったが、特に気にならず、
勢いよく進めていた。

桜の宮の花模様、さらっと地で喋っているが絵が浮かんで良かった。
ここで桜の宮の様子を印象付けられているので、
後で花見の客が蜘蛛の子を散らすように逃げていくところも
賑やかな中での立ち回りで騒ぐ周囲の様子が見え、
そこを掻き分けて無骨な侍二人が走ってくる絵が面白かった。

一つ引っ掛かったのは、
桜の宮で立ち回りに入るところで喜ぃさんがきっちり喋らず、
笑いながら台詞を言ってしまうところ。
自然と言えば自然かも知れないし、そこに対するツッコミでウケも取れるけど、
流れが悪くなり、また、ウケが分散してしまうように思う。
個人的には、ここはストレートに台詞を進めていき、
まっちゃんのクサい台詞に対するツッコミでのウケに集約させる方が好み。
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第13回雀三郎・出丸ふたり会

2014年03月08日 18時18分20秒 | 落語・講談・お笑い
働き出してなかなか時間がとれなくなったこともあり、
今年最初の落語会は3月に入ってからになってしまった。


「いらち俥」(小鯛):△+

「乗り物が進化している」マクラ。
新幹線とリニアモーターカーのよくある比較。
新幹線で「富士山を撮る」というのであれば、
リニアで何か「撮れない」話を入れないと平仄が合わないだろう。

ネタは全体にリズム良く進んでいた。
若干流れているきらいもあるが、
間を詰めており、台詞そのもののスピードだけでなく
慌てている感じをよく出していた。

遅い俥屋は、特に最初に遅い様子を見せており、
後は(時に遅い部分を入れているが)そこまで遅くはしていない。
ずっと遅いとネタとしてのテンポは悪くなるので、
その方が良いだろう。
ただ、時に客のスピードに流されているところがあった。

降りた客が「新しいカツアゲ」と言うのは面白かった。

二人目の俥屋、
かなり激しくやって息切れしていた。
「しんどいから早く降りたい」といった客の言葉を演者と重ね合わせてウケをとっていた。
個人的にはあまり好みではないなあ。
元々が激しいので、
市電とすれ違う場面があまり引き立たなかった印象。
市電が来て客が「ワアワア」言い、「わあわあ言っております」のワアワア落ち。


「佐々木裁き」(出丸):△+

怪我の話、
選挙の買収の話などからネタへ。

まあ、普通にやっている。
特に雑でもなく。
四郎吉や子どもを特にクサくやっておらず、
それはそれで好感は持てるのだが、
全体に子どもっぽい口調のある人なので分かりづらいところはある。
四郎吉に「つは揃っていますか」と聞く
ちょっと憎たらしげな子どもが良かった。

親子の会話に佐々木信濃守の家来が入ってくる。
ここで年齢を訊くのに対して「四十二で」「子どもの年じゃ」の応対、
少し雑に感じた。
直前に子どもの名前を尋ねる場面があり、
家来はその流れで「子どもの年齢」を訊いているが
父親は「親の年齢を訊かれた」のギャップになる訳だが、
何故父親が誤解をしたのか?というところ、
或いは「父親の話がメイン」と思っているからそのまま自分の年齢を答えた
(だとすると、その直前の子どもの名前の回答はぞんざいであるだろう)のか、
そのあたりがざっくり流れてしまった気がする。

奉行所に呼ばれて佐々木信濃守と四郎吉のやりとり。
四郎吉にやり込められる度に佐々木信濃守が唸るのは
少しクサい印象。


「天王寺詣り」(雀三郎):○+

「暑さ寒さも彼岸まで」から天王寺の現在の紹介。
「様々な宗派が祀られている」話で
「そのうち幸福の科学も祀られる」というのは
個人的には好きだけど、客席全体としては引いていた感じ。

ネタは、やはりアホの造型が自然で良いのは当然だが、
この日はそれを受ける側(隠居?)の雰囲気の良さが印象に残った。
アホの突拍子もない言葉を受け止めつつ流しつつ、
「仕方ないなあ」と穏和に見守っている感じ。
そのあたりの普段からの関係の積み重ねが感じられた。

特に「あの犬、死んだんか」という(ごく何気ない)一言が良かった。
普段から可愛がっていた犬で、それが死んだ、という実感が籠っていた。
これがサゲの「むげっしょうにはどつけんもの」という
アホの台詞に含まれる哀感に繋がってくるのでは、と思う。

天王寺さんの中を回るところはごく普通に。
無論悪くないのだが、普段の雀三郎通り、という感じ。
裏手の見世物小屋は生き生きとしていた。
天王寺さんの宗教的な部分と裏腹なような一連のような猥雑さが感じられた。
ただこれも、特に良かった、という印象ではない。
単にこの部分で派手にやったり芸尽くしをやったりすれば良い、
という演出とは無論レベルが違うのだが。

引導鐘を突く坊さんの雰囲気が流石。
その雰囲気が「クワーン」から下げの「むげっしょうにはどつけんもの」まで
通奏低音になっていた印象。


「愛宕山」(出丸):△+

springは如何にも春らしい、といった話からネタへ。
「同意が得られないようですが」と言っていたが、個人的には賛同できる。

ネタはまあまあ、という印象。
無論噛むことも多いのだが。
京都の旦那と大阪の幇間の対照はよく出ていた。
特に最初の山の意地比べのあたり、
京都の旦那は別に特に強く言う訳ではないがそれに対して幇間が過剰に反応する感じ、
これも如何にも(若干の劣等感の裏返しもあって)大阪の幇間らしい。

山登りはまあまあ。
肋骨骨折の影響かあまり激しく動いてはいなかったが、
それでも徐々に疲れていくところなど、丁寧にやっていた。

上がって食事、タバコの件はまあまあ。
かわらけ投げは、もう少し丁寧に見せるようにやっても良いかも知れない。
少し勿体ない。

小判投げに移るところは、もう少し幇間が挑発的に言った方が、
それに然程キレるまでもなく乗っかる旦那との対照が出て良いと思う。
小判を投げる具体的な動きはなく、
一八の視点で投げられる様子(投げ終わった後)を描くことになる。
ここは一八がもう少し驚いて見せる方が好み。
あと、個人的には「かわらけ投げ」のように1枚ずつ的を狙って投げていると思っているのだが、
何となく纏めて放っているようにも感じる。

飛ぶ場面はまあまあ。
戻ってきてからサゲまでは、少し流れてしまったように感じた。


「百年目」(雀三郎):○-

マクラは「つるっぱし亭」同様、「人を使えば苦を使う」の例で
若手で落語会に行っていた時と自分が芯で行く時の意識の違い。
細かく手を付けていた。

ネタは、若干、番頭や旦那の一貫性が弱い、と感じてしまう部分が目に付いた。
番頭であれば店の連中に小言を言っていく際の落ち着き方、
その後浮かれて花見をする、帰ってきて落ち込む、
最後旦那の話を聞く。
旦那については、特に最後番頭に話をしていく際の話し方に、
もう少し人物設定の通底する描写が見えた方が良かったように思う。

番頭は最初の小言は少し早目だが、まあ悪くない。
特に「自分が別家させてもらったら後を継ぐであろう」二番番頭への言い方について、
実際には「お茶屋」などを知っているが後で大きく叱るために
皮肉っぽく尋ねていくところが良かった。

店を出て幇間。
この幇間や屋形船での女連中は、如何にも色街の雰囲気が出ていて良かった。
そこに基本的には堅い番頭が混じり、
酒を飲むうちに徐々に崩れていく、
最後は陸に上がって騒いでしまう、という流れが良かった。
ただ、もう少し陸での騒ぎを派手にした方が、
後の旦那と玄白老の「静」との対比が出て良いと思う。

旦那に見つかり頭を下げる。
あの場面、番頭はもう少し旦那の顔を見ているのでは、と感じる。
けっこうすぐに顔を下げて「ご無沙汰しております」になることが多いのだが、
意外な人に会った時に一瞬目では見えているのだが誰か(頭には繋がらず)分からない、
それが誰か分かって焦る、という流れをもう少し見せた方が良いと思う。
やり過ぎるとクサくなるのだが、ここをやっておいた方が、
最後に旦那が「妙なことを言っていたな」と転換する際に突拍子のなさが軽減され、
聞く側としてスムーズにサゲに向けて頭を切り替えられると思うし。

着替えて店に帰って布団に入る。
旦那の「薬では間に合わない」は皮肉として作っているように聞こえた。
個人的には旦那は皮肉でないが番頭には皮肉として聞こえる、
というギャップが良いのでは、と思う。

番頭が脱ぎ着する。
タンスの一番上の引き出しから風呂敷を出して開けっ放しにしており、
後でそこで頭を打つ、というのは初めて見たが面白い演出。
「閉める余裕がない」印象を強めるし、
頭を打った後の「(痛みで)涙が出るわ」という台詞が物理的な痛みだけでなく、
長く勤めていて最後に失敗した、という嘆きも含めているように聞こえる。
この場面できっちりウケていた。
着ていく場面、脱いでいく場面を徐々に短くしていく(早く転換していく)のが
リズムとして重要なのだろう。
あとはちょっとした感情が湧き出る捨て台詞。

旦那の咳は少し大袈裟かなあ。
ここも先ほどの皮肉同様、
ちょっとした咳が大きく番頭の胸に堪える、という作りの方が好み。

旦那が番頭を呼んでの法談から昨日の話へ。
この場面があまり良くなかったと思う。
全体に間が詰まって早い。
また、法談の意味も伝わりづらかったのでは、と思う。
店の仕組みとして「内」と「店」があることが伝わるように、
そして番頭が「内らでは南縁草だが店に出たら赤栴檀である」というのが分かるように
(若干クサくはなるのだが)説く必要があるだろう。
その後の「昨日はお楽しみ」の転換も、
やはり旦那は旦那としての一貫性をもう少し見せた方が良いのでは、と感じた。

トータル40分足らずの「百年目」でした。
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姉様キングス「クリスマス夜会」

2013年12月30日 10時19分29秒 | 落語・講談・お笑い
クリスマスイブは、例年の如く「姉様キングス」のライブへ。
前半が落語会、後半が漫才やショー、という構成も例年通り。

昨年はクリスマスイブに繁昌亭がとれなかったそうで、別の日だったのだが、
今年はきちんとクリスマスイブになった。
やはり、この方が何となく良い。


「子ほめ」(二葉):△+

落語を見るのは初めて。
パンチパーマに特徴のある女性落語家。

独特な声質。
アホ声と言えばアホ声で、割と得をしていると思う。
ネタはきっちりやっていた。
真ん中も上手く抜いて短縮していた。
若干、引くツッコミが多かったり同じパターンのツッコミが気になったりしたが、
このあたりは前座であれば構わないかな、とも思う。

個人的には、この人の髪型、直した方が良いのでは?と思う。
きっちりネタをやっているので、
客として落語の世界に入れそうになるのだが、
髪型を見たり髪が舞台に映る影を見たりすると、
その世界に入りきれずに冷めてしまうことがあった。
勿体ないと思うのだが。


「はてなの茶碗」(染雀):△+

軽くマクラを振ってネタヘ。

半分くらい寝ていたのであまり印象にないのだが、
茶金さんはまあまあ、
油屋の甲高い金属的な声が気になる、といったところ。


「サカイで一つだけの花」(あやめ):△+

マクラは朝の連ドラの話など。
ごく普通のありがちな大阪の「おばさんトーク」ではあるのだが、
例年に比べて整理されており、
言いたい放題言いつつどこでウケをとるか、きちんと計算されていると思った。

「世界に一つだけの花」がハメというよりは挿入歌的に入り、
ネタに入っていく。
「フラワーアレンジメント落語」と言う通り、
高座に様々な花を差したプランターを持ち込み、
それぞれの花に会話させて進めていく。
様々な花にまつわる歌やギャグを次々と入れている。
アイデア・ギャグとしては、まあ、悪くないのだが、
あまり積み上がらない、アイデア勝負のネタとは思った。
何かの花が軸になったり主人公になったりする訳ではなく、
ストーリーやシナリオはどうでも良い、という感じ。

二つの花を持って会話させているところなど、
何か鶴笑のパペット落語を思い出した。

最後は全ての花をプランターに差して高座から下りることになるので、
花だけが高座に残る状態になり、
この状態から幕が下りて仲入になる流れ・絵面は悪くないと思った。


「音曲漫才」(姉様キングス):○-

例年の如く都々逸、猫じゃ猫じゃ、アホダラ経。

「都々逸」は面白かったが、まあ普通。
割と聞いたことのあるネタが多かった。
仕方ないんだけどね。

「猫じゃ猫じゃ」は時事ネタが多く、非常に楽しめた。

「アホダラ経」は「キリキリ尽くし」。
「と思ったら」で繋いでいくところは面白かったが、
まあ、普通、と思ってしまった。
少し麻痺しているのかも知れない。

あと、「写真撮影OK」と言うタイミングがちと中途半端で、
途中でカメラを取り出したりすることになり、
客の気がやや逸れたように思う。


「音曲漫才」(れ・みぜらぶるず):○-

昨年に引き続き出演。

弾きながら違う曲にシフトしていくパターン、
クリスマスソングの替え歌やオリジナルのクリスマスソング、
お酒の歌の替え歌(「舟歌」は去年もやっていたかな)、
最後に「ヨーデル食べ放題」で締める。
音曲寄りの音曲漫才で、安心して聞ける良い漫才。
個人的には、「ヨーデル食べ放題」は要らないのでは、とも思う。
確かに盛り上がる歌ではあるのだけど、
何となく「昔の売れた歌で回る、今は売れない歌手」感が出てしまう。
そんな人でもなかろうし。


「シャンソンショー」(ミス・ジャクリーヌ&マダム・アヤメビッチ):○

フランスで歌ったと云う「オー、シャンゼリーゼ」を
日本語バージョン、フランス語バージョン(アヤメビッチがベタベタの大阪弁っぽくて可笑しい)、
繁昌亭バージョンの替え歌で歌う。

その後「松任谷由実・中島みゆき二人のビッグショー」という設定で歌っていく。

1.「ひこうき雲」(ジャクリーヌ)
2.「地上の星」(アヤメビッチ)
3.「化粧」(ジャクリーヌ)
4.「恋人はサンタクロース」(アヤメビッチ)

1.はごくまとも、と思いきや途中で松任谷由実の物真似をするめぐまりこ?の乱入あり。
2.は一番はまともに、二番以降はパロディーで。
3.は本当にまともに。
上手いのだけど、これは少ししんどかった。
4.は完全に替え歌の「父親は××党」(いちおう伏せておく)。
非常に面白かったが、これは最終兵器、だよなあ。

最後は「インジャモン・デ・コマンタレブー」で締め。



結果的に、まあ、満足できたが、自分の感覚が麻痺してきており、
この会については本当に過激なものでないと満足できなくなっているのかも知れない。
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第12回雀三郎・出丸ふたり会

2013年09月16日 12時35分41秒 | 落語・講談・お笑い
金曜は繁昌亭の「雀三郎・出丸ふたり会」へ。



このメンバー、このネタで前売2000円は安いと思うのだが、
結局150人程度の入り。


「やかん」(小鯛):△+

羽織を着て出てくる前座。
「画家の名前」「道を教えていると思ったら交番を教える」小噺を振ってネタへ。

「魚根問」のあたりなどいろいろ手を入れており
(あんこで釣る、車海老とシャコなど)
調子もトントンと運んでおり良くウケていた。

個人的には若干クサいと感じるところが散見された。
例えば「画家の名前」の小噺にしても
「分かっています、知っています」と女性に言わせたり、
同じ台詞を一度でなく二度言って
その繰り返した際に濃い目に描写して見せたり。

また、「魚根問」から「茶碗」の話に移る箇所は
少し唐突に感じた。
「魚根問」の部分に比べて「やかん」に関わる部分は
ギャグは特に追加せず、講釈の語り方をクサ目にやっている程度。
アンバランスとも感じるが、
「やかん」の部分までギャグを足していくとクドくなるので、
これはこれで良いのかも。

「圧巻やったやろ」「あかんと思いますわ」といったサゲを付けていた。
サゲを付けたのは良いし、まあ悪くないサゲだけど、
もう少ししっかり言った方が良いと思う。


「住吉駕籠」(出丸):△+

マクラで「車輪の発明」の話、落語会での旅の話。
少し長くなった印象。
「車輪」の話はそれはそれで面白かったので、
そのまま旅の話をせずに「車輪が発明される前に人を運ぶのが大変だった」
程度でネタに入っても良いのでは、と思う。

茶店の主、侍、酔っ払い、堂島の旦那。
全体に噛むことが多く、聞いていてしんどい。

色々工夫はしていた。
例えば茶店の主に罵倒されたアホの駕籠屋が
「青竹で貫かれる」ところを再現する場面を丁寧になぞって見せる、など。
噛むのが多いのでその世界に入りきれず、楽しめなかった。

酔っ払いはもう少し喜怒哀楽が大きい方が良いと思う。
特に「喜」や「楽」の描写が少ないように感じた。
感情の箍が酔っ払って外れている印象が弱い。

堂島の旦那二人は、思ったより落ち着いていた。
最初に「降りようか」と言うのは、
強気も強気の旦那の台詞としては齟齬があるのかも知れないが、
「途中で」降りるのが嫌だから、良いのかも知れない。


「天神山」(雀三郎):◎-

マクラは「変人」の話で春輔の話。
変なエピソードをきちんと客の目線で構成して、
きちんとウケを取っている。
このあたりが雀三郎の上手さ。

個人的にはあまり好きなネタではないのだが、
まあ、楽しめた。
「へんちきの源助」を道に立っている二人が紹介するが、
その描写が非常に詳細で、
また活き活きと(如何にも見ながらのように)表現されているので
リアルに伝わってくる。
源助の最初の発声は如何にも気違いじみているが、
後は少し緩めている。
それでも変人というのは伝わってくる。

源助は人前と独りの際の差があり、
人前ではサービス精神で激しくやっているキライがある。
その差が大きいのが、源助のニンがあまり好きになれず
このネタが好きでない一つの理由なのだが、
この日はかなりきっちりと狂いを描写しており、
その部分の違和感はなかった。

帰宅して幽霊の嫁さんがやってくるのはあっさりと。

隣の安兵衛がやってくる。
これが、源助と同じくらい変な人間と描写されていたように思う。
最初の源助との絡み、天神さんにお参りするところ、
その後の狐を獲る男との会話など。
独り気違い→嫁が見つかる、という流れは繰り返しなんだな。

この独り気違いの気の入り方、
その後の狐を獲る男との会話のテンポや間、
言葉の強弱や調子の作り方が良い。
特に猟師の如何にも身を持ち崩した、やや拗ねた佇まいが素晴らしく、
安兵衛との掛け合いでのリズムや感覚の違いが明確に出ていた。

両方に嫁が来てからの地の部分は、
やはり好きになれないなあ。
人情噺風に感じられるのだが、そんなネタでもないだろう。
このあたり、このネタの限界なのかも知れない。


「蔵丁稚」(出丸):○-

「住吉駕籠」に比べて噛むところは少なく(皆無ではない)、
比較的安心して聞けた。
丁稚はニンに合っていて良かった。
旦那もそう悪くはない。

猪は前足を坂田藤十郎、後足を片岡仁左衛門。
時代を考えると「坂田藤十郎」を出しにくい感覚もあるのだが、
そこは然程気にしなくて良いのかも知れない。

芝居の場面はまあまあ。
もっとそれっぽくやっても良いが、
これはこれで良いかな。


「帯久」(雀三郎):○+

あまり生で見る機会のないネタ。
これもあまり好きなネタではない。

最初、和泉屋に帯屋が訪ねてくる。
この帯屋は、それほどひねくれた感じが出ていなかった。
帯屋が金を借りに来るという弱い立場であることを考えると
この場面では直接明確に描写するものではないが、
その後成功してから性格が悪くなったのではなく
元々そんな性格だ、と印象付けるためにも、
もう少し人間性の悪さが滲み出た方が良いのでは、と思う。

和泉屋は鷹揚な感じ。
ただ微妙に、単に鷹揚でない実は「上から目線」の台詞が散見された。
これはテキストの問題だと思うが、
ここは「上から目線」ではない設定にした方が
帯屋との差が出て良いと思う。

全体に商人らしい様々な含蓄のある言葉や設定が紡がれており
(直接丁稚からではなく、番頭経由で「会う」旨を伝えさせる、など)
このあたりは興味深いネタ。
帯屋の番頭が旦那を抑えて、
和泉屋に合わせるように計らう辺りも良い。

ところどころに細かいギャグが逃げ場として入っており、
このあたりは江戸の人情噺と同じような作りなのかな。

和泉屋が没落し、帯屋に尋ねていくまでを地で運んでいく。
ここはダレそうなものだが、
トントンと運んでいた。

帯屋での会話。
個人的には、帯屋の人間性の悪さを表情混みで濃く描写し過ぎている気がする。
もう少し「底意地」の悪さ、冷たさが漂ってくる方が好み。
特に和泉屋が「金を貸した」と言い出した辺りから
徐々に不快感、怒りが増してくるような感情の変化があった方が
自然なのでは、と思う。

奉行が「思い出すまで」と帯屋の指を紙縒りで縛るのは、無茶ではあるのだが、
その前の「金に厳しい」と言った帯屋の台詞を逆にとって
「金に厳しいのだから金を持ち帰ったのだろう」
「親切から」を強調して「帯屋が悪いことをした、と責めている訳ではない」と
押しているのに対し、
帯屋がそれでも「覚えていません」と言い続ける、という前段が
濃い目に描写されているので、
「思い出すためのまじない」として良いかな、と思えた。

奉行の作り方は米朝の「自ずからなる威厳」ではなく、
低目の声と表情で作っていた。
まあ、仕方ないところだろう。

全体に「帯久」の出来としては素晴らしかったと思うのだが、
「帯久」というネタ自体、
帯屋の人間性が好きになれないこと、
奉行のお裁きも根本的には無理筋だろう、と感じてしまうので
そこまで満足はできないなあ。

このネタが「和泉屋」ではなく「帯久」というタイトルである以上
(ネタのタイトルなんて符牒に過ぎない、と言えばそうなのだが)
帯屋にも、聞き手が感情移入するような人間の弱さ、
或いは「人間なんてそんなもんでしょう」と思える点が欲しい、と
個人的には思う。
例えば、
成功するまでは特に嫌な人間だった訳ではない、
それが100両を「気の迷い」から持ち帰り、
「なくて元々」とその100両でセールを行ったら成功してしまい、
そこから性格の歪みが酷くなり、皆に嫌われるようになった、といった
人物設定にするなど。
# 20両、30両、50両と借りる高を徐々に増やしていったことと、
 多忙な年末にわざわざ返しに行っていることから、
 「100両を借りて持ち帰る」のが多少計画的なのでは、
 と感じてしまう節もあるのだが。

ネタとして、分かりやすくなる代わりに薄くなるから、
良いとばかりも言えないだろうが。

21時終演。
雀三郎の好調を再確認できた。


# 繁昌亭の物故者の写真に松喬が追加されていた。
 ダイエットする前、90年代の写真か。
 嗚呼…。
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第144回まるまる出丸の会!

2013年08月22日 09時56分30秒 | 落語・講談・お笑い
昨日は東梅田教会の「まるまる出丸の会!」へ。
久し振りか、と思ったのだが、
会そのものも暫く休んでいたようで、
実際には前回に引き続いて見に来た、という勘定になっていた。


「うなぎや」(そうば):△

夏休みの宿題のマクラは面白かった。
オチは私の予想していたものと違っていたが、
それはそれでアリ、と思う。

「中国産の鰻」の小噺は前も聞いたように思う。
「台湾猿」と同じオチなのはあまり好みではない。

ネタはあまり良くなかった。
全体にあっさりしているが、
特に前座であれば、もっと派手にやる方が好み。
例えばうなぎ屋の主人がニコッと笑って「どうぞお二階へ」を繰り返すところは
二人が入ってきた時にいきなり言ったり、
もう少しクサ目に繰り返した方が良いと思うし、
勢いの良い鰻に振り回されるように、鰻を掴む仕草も大きくして欲しい。
この部分は指の動きも小さかった。

「青背」「赤背」「黒背」を言っていく部分、
うなぎ屋の主人が自分で言って笑うが客が「白背」と言っても笑わない、
というギャップでウケを取ろうとしていたが、
理屈っぽさが先に立ってウケは小さかった。
ここは勢いで運んだ方が良いのではないかなあ。


「蛇含草」(出丸):○-

マクラは師匠とオーストラリアに行った話。
若干落語会によく来ているお客さん向き、と感じなくはないが、
出丸の自然な感情がダイレクトに伝わるように出来ており、楽しめた。

ネタもまあ良かった。
全体の構成としては、若干「曲食い」の部分が
(技も3つであり)あっさりしているかな、と感じた。

最初に男が入ってきた時に
腕の動きや姿勢などで「甚平を着ている」ように見えるのが流石。
ここは今まであまり意識して見ていなかったのだが、
薄い甚平を着ていることから触覚的な暑さがイメージできるので重要かも。

言い立てはまあまあ。

蛇含草の説明の場面、
「話の種になるやろ」と思って置いているのだったら
「えらいもんが目に止まったな」から入るよりも、
さも話したそうに話す方が自然では、と思う。

蛇含草をとる際に男が「厚かましくて済みません」などと言うあたり、
後で餅を厚かましく食べる動きとの対比になっているのだが、
個人的には別に入れなくても良いのでは、とも思う。
この部分の対比、客としては別に気にして見ていないと思う。

餅を焼き始める。
ふと思ったのだが、二人の真ん中に火鉢を置いて焼いているんだな。
引っ繰り返す仕草などがあるから仕方ないかも知れないが、
ふと隠居さんの傍らで焼いているのを
男がわざわざ手を伸ばして取って食べる、とした方が
「失礼なこと」をやっている感じがして良いかも、と思った。
いざ食べさせる、となってから火鉢を二人の間に持ってくる、という
流れにしても良いかも知れない。

餅を食べながらも引っ繰り返す動きを入れる。
これはこれで自然で良いかな。

隠居さんの怒りの溜まり方の表現が良かった。
最初はじっと押し殺して「一つ食べとでも言うたか」と言う、
男に言い募られて徐々に怒りを表に出していく流れが良い。

曲食いは「ほりうけ」「美濃の滝食い」「淀の川瀬は水車」で失敗。
出丸自身の中で「こんな技が使える訳がない」という思いがあるのか、
比較的あっさりやっている。
まあ、「出来る訳がない」と思いつつ、
遊びでやってしまっても良いのでは、と思うけど、
それはそれで一つの考え方だろう。

「3つだけ残ってしまった」まで地で言うことが多いが、
「餅箱に一杯あった餅を」までだけ地で言っている。
後で「3つ残っている」は台詞で出てくるから、
確かにここで地で説明する必要はなく、
地の文を減らす意味でも
地で安易にウケを取ろうとするのを避ける意味でも、良いと思う。
ただ、そこから餅が詰まっている男の描写に移っているのだが、
いきなり詰まっている描写よりも
隠居の「よう食ったな、あと3つや、早よ食ってしまえ」の後で
詰まっている描写に持っていく方が分かりやすく、ウケが取れるように思う。

餅の詰まった描写は、まあ良かった。
はっきり上を向いているのは詰まっているように見えやすい。
全体にもう少し体を沈めて重心を下げた方が良いと感じた。
また、若干、詰まっているにしては次の餅を食べる時の動きが素早いかな、
とは思った。

「お辞儀が出来へん」や
「ここ持ち」以後の「もち」の繰り返しはなし。

あとはサゲまで、あっさりと。
呼び掛けても返事がない、という感じの応対があり、
「何か起こったのでは」と予想させて、サゲへの流れ。
これはこれで悪くなかった。


「腕喰い」(雀松):○+

昔のお寺での夏の落語会の話、
ノンアルコール飲料の話、
京橋に住んでいた頃の思い出話など、
「昔は遊びが限られていた」という話からネタへ。

マクラでは噛むところも散見されたが、
ネタに入ると流石。

若干、若旦那の作り方が「ツッコロバシ」と「真面目」の間で揺れ動いた印象がある。
これはネタの作りの為でもあるし、
人間である以上一つに限られるものでもないが、
もう少し「大家の次男坊」、
「金がなくなったことによる苦労、裏切り」の経験から来るベースがあり、
そこから滲み出る「ツッコロバシ」であり「真面目」である、
という作りにしていく必要があると思う。
このベースが、少し見えにくかった。

全体に、非常にきっちり作られている。
若旦那と別家した番頭の会話のリズム、間の取り方、強弱、
特に軽くツッコんでウケを取れるのが
雀松の作り方の良く出来たところだと思う。
無論それは、そこでウケが取れるように
精緻に流れを構築しているからだろう。


仕事からみの電話などがあったので、
3度目になる「はてなの茶碗」は見ずに帰った。
それはまたの機会に。
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「南陵忌」講談会~中日昼の部~

2013年08月18日 21時58分50秒 | 落語・講談・お笑い
土曜、昼から「雀のおやど」へ。
上方講談協会が南陵の命日に合わせて3日間開催する
「南陵忌」の講談会。

土曜は昼夜、東京から人間国宝たる一龍斎貞水が来演するということで、
他のメンバーを考慮に入れて土曜昼に行くことにした。

開場20分前に着いて20番位の整理券を受け取る。
通し券の客が優先入場し、その後入場。
結局50人程度の満員の入りと思う。


「左甚五郎伝より猫餅の由来」(南舟)

にこやかな表情で上がり、マクラを振る。
あまり講釈師らしくはないかも。
本題に入ると厳しい表情になる。

小田原の宿の手前で「本家猫餅」と「元祖猫餅」の二つの店がある。
途中で二つの「猫餅」の店がある由来が
お百姓の口から語られる。
ここは悪くなかったが、一つ張り扇を打って入り、
終わってもう一度打って戻る方が分かりやすかったかも。

「本家猫餅」のおばあさんの話す内容は
けっこうウケをとるように作られていた。
もう少し表情を付けていると尚良かったと思う。

甚五郎が一晩かかって何かをこつこつ作って
おばあさんに見せるところで時間。


「旭堂南北伝より血染の太鼓」(南湖)

兄弟子である南北が
広島商業の応援で甲子園で太鼓を叩いていた話。
メインは達川光男の広島商と江川卓の作新学院の対決の部分。
このあたり、野球の描写と講釈の調子はよく合っていたし、
笑いもよくとれていた。


「太閤記より中国大返し」(左南陵)

高松城で本能寺の変を知り、
和平して姫路、尼崎、
山崎で両軍が天王山に陣を配しそびれた、というあたりまで。

この人、手で釈台を叩く癖があり、
見ていてあまり快いものではない。
テンポは良いので勿体ない。
もうその癖を直せる年齢ではないから仕方ないのだろうが…。
あと、筋を外して客に語り掛けたりするのだが、
その外し方、戻し方が拙く冷めてしまう部分が散見された。


「赤穂義士外伝より倉橋伝助」(貞水)

東京からのゲスト。
生で見るのは初めて。

江戸風の客に対する語り掛け方、
外し方などはやはり場数・経験を感じさせる。
本人も言う通り、表情や目の付け方に迫力がある。
若干目線がずれることがあるが、
それでも流石。

元々別の大名?旗本の次男だった金三郎が、
女遊びで父親をしくじって鉄火場に出入りをし、
さらに上総に人を頼っていったところがその人が亡くなっていたため
床屋で世話になる。
養子に、というのを断って
口入屋から浅野内匠頭の家来になって
倉橋伝助と名乗り、元の父親と対面する、といった話。
史実の倉橋伝助とはけっこう違う設定なのかな、と思う。

この床屋の人物、
或いは浅野から使者として使わされた実の息子である倉橋に対する
父長谷川丹後守の話し方などが、
表面的でなく描写されているあたりが素晴らしかった。


口上(貞水・南左衛門・左南陵)

口上というよりは、南陵の思い出話、
左南陵が一時貞水の預かり弟子になっていた、という話、
昔の東西交流講談会での酒を巡る話や
最近の交流の話。
まあ、興味深い話もあった。


「山内一豊の妻」(南海)

若き日の山内一豊と千代の話。
一豊が流鏑馬の馬の購入に充てるために、
千代が嫁入り時に持ってきた10両を渡す。
8両に負けてもらったが、残った2両も流鏑馬の衣装に使う、
という「貞女」物。
馬に喋らせる、というあたりがギャグになっている。
恐らく春蝶などはこの講釈ネタを地噺にしてやっているのだろう、と思う。


「新島八重」(南左衛門)

今年の大河ドラマ「八重」に関する新作講談。
鶴ヶ城の戦い、
京都にやって来ての新島襄との出会い、
一緒になってからの話。

うーん、全体的に散漫な印象。
一つ一つのエピソードがあまり積み上がっていないと感じる。
また、会話で進める部分が少なく、地の文、特に説明的な文が多いのも
散漫に感じてしまった理由だと思う。
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文太・噺の世界in高津の富亭

2013年08月05日 11時26分16秒 | 落語・講談・お笑い
昨日は高津の富亭の文太の会へ。
暑かったこともあり、20人程の入り。
まあ、いつもどおり、かも。


前説(文太)

素人向けの落語教室の話。
中川兄も、元々その教え子なんだな。
浄瑠璃の代わりにカラオケでやる現代版の「寝床」は私も興味がある。


「延陽伯」(文太):○

「寿限無」や「田楽食い」の言い立てを紹介して、
「ん」が多い歌、ということで「金づちで打つ」という歌を紹介。
この歌初めて聴いたが、これはこれで悪くない。
もし「田楽食い」に入れるとすると、
途中で切ってサゲに向かうように作るのが良いように感じた。

ネタは普通と言えば普通なのだが、
甚兵衛さん(家主さん?)とアホの掛け合いが
テンポ良く楽しい。
特に強くウケを取ろうとしている訳でもないのだが、
アホが引き取って被せていくリズムが良い。
「頭が宜しい勘が宜しいピーンと来ますわ」の仕草も何か可笑しかった。
風呂行って帰ってきてから掃除してまた汚れる、
というのも如何にもアホらしくて伝わっていた。

かんてきを出してきての独り喋りは、然程派手にやる訳でもないが程が良く。

言葉の丁寧な嫁はんがくる。
何となく、単に丁寧な言葉を使っているのではなく、
「いいところで行儀見習いしていたのだな」と感じた。
言葉遣いだけでない、所作に意識が向いているのかも知れない。
声も特に高く作ってはいなかった。

「偕老同穴」は「蛙のケツ10ちぎった」に聞き違えていた。
「10ちぎった」というのも悪くないな。

「ねぶかを買う」というのに対して、
「ねぎは長い、長いのは名前でこりごり」といったサゲ。
まあ、これはこれでありかな。

全体に、調子よく、特に強く押さずにストーリーや人物を描いて進めていて、
さらっと聞けて良かった。


「蛸芝居」(文太):○-

噺家と役者の顔の話、
「住んでいる町名で声を掛ける」話、
師匠と「蛸芝居」の稽古をしていた際の話からネタへ。

「芝居の真似をしている」ことを客に見せるのではなく、
店の連中が好きにやっている、という感じ。
部分部分の決めや立ち回りも、如何にも決めています、ではなく、
お囃子に乗る中で自然に決めている、と感じた。
派手ではないのだが、古風な芝居噺の風情があってこれはこれで悪くない。

三番叟で手を振るところ、
単に振っているのではなく砂糖の袋で叩いて起こしている、という
作り方のようにも見えた。
起こされている側の反応はそうでもない(叩かれていない)ので、
私の気のせいかも知れない。

水撒き奴、位牌の掃除、坊の御守りはごく普通に。
魚喜が入ってくるが、これは如何にも芝居に出てくる魚屋らしい。
旦那に説明するところ、
鱗を起こして腸を掴むところなど、
勢いがあって良かった。

定吉に「当たるかも知らんから黒豆を買ってくるように」と
指示することでサゲの仕込みにしていた。
まあ、ありといえばありだし、
「黒豆3粒食べんならんことになるかも」と言って会話するよりは自然な流れだが、
最初から「当たるかも」という前提で買わせる、というのが不自然な気もする。

蛸との絡み。
蛸が当身を食らわせるところは、もう少しクサ目にやっておく必要があるかも。


「ロボG」(三幸):△

若い人。三枝の12人目の弟子らしい。
けっこう早口で、勢朝のような感じ。

色々「上手いことを言う」マクラを振る。
バイト話は面白いが、まあ別に、という感じ。
変におさまっているよりは良いけど。

ネタは三枝作なのだろうが、良いネタとは思えんな。
「介護が必要なおじいさんロボット」
「徐々に覚えていくのではなく、徐々に忘れていく」といった発想は良いと思うが、
最近の若者言葉を喋ったり現代風の恰好をしている女子高生、
だらしない父親、
それをバカにしている奥さん、といった舞台装置が
悉く三枝が創作落語と称するものを
大量生産していく際の「雛形」通り、の印象。

演りやすいネタではあるのだろう。


「植木屋娘」(文太):○-

出囃子の「高砂丹前」が辛い。

マクラを振らずに、幸右衛門の説明をしてネタに入る。

幸右衛門は、和尚さんとの会話の最初は落ち着いた感じで、
職人とは云え「2箱」持っている裕福さ、も何となく感じさせる。
徐々に「きょとの慌てもん」で「口ごうはい」なところを出していく。

伝吉さんに書いてもらう理由は、いつになるか分からないから、ではなく、
戒名や卒塔婆の字だから。
伝吉さんは「世が世なら」家督を相続する、と言っているのだが、
それならば別に現状であれば家督を相続しないので、
別に幸右衛門の養子になれるのでは、と思ったり。

言うだけ言って帰り、伝吉さんがやってくる。
墨や帳面を出しておいて、「一服せんと早く書いて」。
その後の字の文は特になく。

それから伝吉さんが毎日やってくる。
ここで「おとっつぁん、ここはこうした方が良いのでは」と言っているのだが、
やはり個人的には、
ここで既に「おとっつぁん」と言っているのは気になるなあ。

幸右衛門が嫁さんとお光と話をつける。
お光を放り出して伝吉さんを養子にする、とか、
嫁さんと離縁して嫁さんと伝吉が一緒になって幸右衛門を養え、とか、
このあたりの幸右衛門の感覚がよく分からない。
理論でないのは当然なんだが、
それでも何らかの感情があるだろうけど。

伝吉を呼んできて飲ませる。
嫁さんが「風呂」だけでなく「髪結い」にも行ってきた、というあたり、
もう少し強く突っ込んでいけばもう少しウケにつながりそうだったが、
特にそうもせず。

伝吉がお光に進められて「駆けつけ3杯」を飲み、
逆にお光に進めて断られるところ、
裏から見ている幸右衛門の感情の動きは分かりづらかった。

風呂から帰ってきての嫁さんと幸右衛門の会話、
幸右衛門の浮かれ方が良かった。
「このおやっさん、アホでございます」の繰り返しを入れているのだが、
個人的には特に地の文を入れる必要はないと思う。

お光から聞き出し、お寺に行く。
その後の伝吉と和尚の会話から
従来どおり「根はこしらえもの」のサゲ。
やはり「1回だけ」やっていると言っている以上、
このサゲは嫌いだなあ。

全体には幸右衛門も適度に弾けており、悪くなかった。
コメント (1)
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