朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

笑福亭松喬死去

2013年07月31日 16時23分17秒 | 落語・講談・お笑い
末期がんと闘いながら高座 笑福亭松喬さん死去 62歳 - MSN産経ニュース

松喬が亡くなった。

最後に見たのはガンから復帰後、去年4月の「試運転の会」だった。
少し痩せてはいたが、
闘病日記50分+「崇徳院」30分で計80分の高座であり、
元気と言えば元気、と言えるものだった。

ただ最近では高座写真の痩せ方などを見て、心配していた。
# 死亡記事に、この非常に痩せてきた頃の写真が多いのは辛い。
 もう少し元気そうな頃の写真を使用している記事を探して、リンクを貼りました。
また、休演も増えており、
特に「4年間生きること」を目標に、メインテーマとして始めた
「松喬十六夜」の中止を見て、不安になった。

退院後も入院中に覚えた「網舟」をネタ下ろしするなど、
いろいろ活動していたのに、という思いがある。
残念。

以下、思い出すままに。

私が最初に松喬を聞いたのは高校時代、
恐らく「土曜名人会」の「住吉駕籠」かサンテレビの「新春寄席」ではないかな。
松喬襲名後ではある。
その後野田阪神の「おそばと落語の会」や「高殿寄席」といったところに
通って見ていた。

「泥臭い」印象のある人で、
意図的にそういった芸風にしていたような気もする。
私が見ていた十数年の間でも、
調子が良い頃、悪い頃の波がけっこうあり、
いつ行ってもあまり良くない高座、なんて時期もあった。

松鶴に評価され、如何にも笑福亭らしい、と捉えられるようだが、
個人的には笑福亭らしからぬところが多い人だと思う。
例えば「百年目」「はてなの茶碗」「帯久」なんてネタは
6代目でなく米朝系のネタだが、
そのあたりのベストは今や米朝系よりも松喬だろう。
無論、如何にも笑福亭のネタである「らくだ」なども素晴らしいのであるが、
それとて笑福亭の古風さをそのまま残す、というよりは
時代に合わせ、観客の嗜好に合わせていろいろ実験してきた人、という印象。

そして大ネタが取り上げられることが多いが、
個人的には様々な小品をもっと聞きたかった。
例えばドモリの出てくる「寄合酒」であり「墓供養」であり、
「犬の目」や「艶笑小噺集」であり。

62歳は早過ぎるが、仕方ないのかも知れない。

合掌。
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艶ばなしの夕べ

2013年07月04日 21時45分37秒 | 落語・講談・お笑い
昨日は夜、動楽亭の艶笑落語の会へ。
夕方に豪雨などもあり、そんなに混んでいないかな、と思ったが甘かった。
ほぼ100人の満員。


「前説」(生喬)

何故この会をやることにしたのか、といった経緯。
ABCで収録したのだが、
放送されずお蔵入りになったのが引っ掛かっており、
文三を誘い、染雀に声を掛けたらしい。

会場選びの話や、
昼席の後に丁度動楽亭にいたざこばやまん我との話など。


「鼠の耳」(染雀):○

張り形の話を少し振ってネタへ。
「最初に大きいのを出す」と言っていたが、特に小噺はせず。
まあ、やらなくて正解かな。

最初の「何を使うか」という女子衆連中の話が少し長い、と感じた。
確かに、この場面の女子衆の照れつ喜びつの会話は悪くないが、
バランスとしてここに重みが掛り過ぎるのは好みではない。
まあ、後で考えてみると、
この部分の「女子衆の会話」やその後の権助の登場など、
「お店の雰囲気を描く」という意味はあるのかも知れない。
ただ、ここはメインではないだろう。

茄子、胡瓜、長芋、と言っていた。
「長芋」の「好みの形に加工できる」「ずるずるが気持ちいい」は面白い。
後で鼠が食べるものとして自然な「焼き芋」とどちらをとるか、は
好みの問題かな。

後家さんの性描写を濃くするのは難しいが、
最初の一瞬だけキツく描いておく必要があるかも知れない。
少しこの部分の説明、地の文が多い印象だが、
あまり濃く描写する訳にもいかないだろうから仕方ないか。
ただ鼠の動きの地の文での描写は、もう少し減らしたほうが良いと思う。

権助を誘う際はあっさりしており、これはこれで悪くないが、
もう少し必死さ(鼠を出して欲しいのだが、権助には飢えていると見える)が
あった方が良いかも知れない。
また、権助の逸物を入れて「抜いた時に鼠が飛びだしてくる」よりも、
「逸物に食いついたまま」の方が絵面として好み。

暇を出された権助が田舎に戻るが、
これも「下の見合い」をする、と言うよりも、
無理やり「鼠はいない」と言って婚礼させられて、
寝床から「鼠がいる」と思って飛び出す方が派手で良いかな。

全体には、やはり林家らしく、地の文が多い印象。


「金玉茶屋・揚子江・赤貝猫」(文三):◎-

今里新地の話、おばさんとの会話の話などから「金玉茶屋」。
このあたりのおばさんや娼妓が、
如何にもその世界に身を沈めた人の首まで漬かった雰囲気が出ていて面白い。
そのあたりの会話もごく自然に。
こういった雰囲気を出す必要があるネタは
なかなか演る機会がないだろうから、ちと勿体ない。
「金玉茶屋」(「狸茶屋」)も、
その辺りの下世話な空気が横溢していて良かった。

女の子が「男の子を象ったパン」を選ぶ、という小噺、
「大根と大きさ比べをする」小噺
(「大根舟」は「舟」だから嫁さんに呼ばれて「舟まで取られる」なのであって、
 車ではちと違うと思うのだが)から「揚子江」。
「息子」を大きくする部分や「娘」で吸い取る部分の描写は
然程要らないのでは、と思う。
結局サゲの「麻雀」のバカバカしさがポイントではなかろうか。

最後は軽く「赤貝猫」。
猫が息を吹く理由を「息を吹いたら口を開けるから」という説明にしていた。
サゲの部分は別に赤貝に挟まれている訳ではないから、
「さっき挟まれた赤貝の同類」を見て怒りで息を吹いているのでは、と思うのだが。
息の吹き方の調子、突然のサゲが(「何を見ましたか」と言っていたが)面白かった。


「羽根つき丁稚・宿屋嬶」(生喬):○+

軽く飛田の話をして
「しつけぼぼ」や娘が大人になるまでの「一つき」の小噺、
娘の話のつながりで「羽根つき丁稚」。
丁稚をかなりアホっぽく作っている印象。
最初に晴れ着などを「綺麗やな」と言って褒めておく方が、
「綺麗→突かしてくれ」という流れが親にとって自然に聞こえるので良いかな。
押し倒したために「着物が汚れている」、
羽子板の「堅いのを握って思いっきり突かれた」といった加薬は面白かった。

そこから旅へ出るとハメを外す、といった話で「宿屋嬶」。
初老の客の雰囲気が良く出ている。
最初に下で宿屋の亭主夫婦の営みを聞いている際に、
「いい声で泣く」といった状況を入れておいた方が良いのかも知れない。
その後嬶を客に貸して、上で二人が営んでいる様子を
下から宿屋の亭主が聞いている、
或いは3日目にはやきもきして眠れなくて寝不足の様子を見せる、
といったあたりが面白かった。


「綿屋火事」(染雀):○

軽く昔の罪や罰の話(サゲの仕込み)をマクラに振ってネタへ。

「火打石と袋を代用に使う」発想やその際の描写、擬音が面白いネタではある。
あと、納まりかえったお奉行さんの目の前での
「失火」に至る顛末の説明、という「緊張の緩和」もポイントになってくるのだろうが、
ここは店の主人(弟)が
最初は奉行所の雰囲気に飲まれている「緊張」がメインであるところが若干弱く、
最初から「緩和」が勝ってしまっており落差がつかなかった印象。

まあ、珍しいだけのことはある。


「艶笑小噺集」(生喬・文三・染雀):◎-

3人が浴衣姿で並んで、うだうだ喋ったり、本の紹介を入れたりしながら、
各々の師匠が座敷や劇場で演っていた小噺、
お互いからのリクエストを受けた小噺などを披露。

タイトルが分からないのもあるが、ざっと、以下のようなもの。

「膨らむ風船」(生喬)
「新婚旅行」(染雀)
「女漁り」(文三)
「雀の巣」(染雀)
「丸干し」(生喬)
「エロミオとジュリエット(架け橋)」(文三)
「万戸流れる」(生喬)
「電話番号~自動車修理工場」(染雀)
「時計屋」(生喬)
「子どもできますか」(生喬)
「貞操帯2題」(生喬)

「女漁り」は文枝が車の中で繰っていた、という
繰るほどでもない(笑)話。
「時計屋」はさらっと筋を紹介したくらいで、
「どれくらい嵌めているか」といったギャグはなかった。
「貞操帯2題」は「10人の内9人」と、
その前に演るという「鍵」のもの。
「10人の内9人」のサゲを地でなく仕草で演るのは、
確かにこの方が良いだろう。

最後に幾つか「ちょんこ節」を披露してお開き。

結局終演は21時過ぎ。満腹でした。


個人的に、丁度昨日は私の誕生日だったのだが、
非常に素晴らしい誕生日プレゼント、でした(笑)。
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第120回雀三郎つるっぱし亭

2013年07月03日 10時23分03秒 | 落語・講談・お笑い
先週木曜は「雀のおやど」の雀三郎の会。
毎月やっている会だが、個人的にはけっこう久し振り。


「江戸荒物」(小梅):△

梅團治の弟子であり、息子。
顔も似ているし、
マクラの喋り方や上下の間などからして、梅團治そっくり。
子どもの頃から父親に付いて演っているから仕方ないが。

ネタは、まあ、普通。
ところどころ面白い「音」があるネタで、そこは可笑しかった。
特に最後の女子衆さんの「のーぉ」と伸ばす調子が面白い。

個人的には、梅團治の風合はどこかで一度離れた方が良いだろう、と思う。
このままだと梅團治の形をなぞっただけの単なるコピーで終わってしまいそう。
まあ、師匠に付いている段階だからまだ良いとは思うけど。


「腕喰い」(雀三郎):○-

乞食の話をマクラに振ってネタへ。

色々と手を入れてウケを取る箇所を増やしているが、
個人的にはこのネタ、別にその必要もないのでは、と思う。

若旦那の乞食としての苦労とそれはあってもツッコロバシの雰囲気、
若旦那と元番頭との話、
その後の怪談がかった空気とそれを壊すサゲの台詞、といった軸が、
ウケをとるために若旦那を違う方向に崩したりしてしまうことで
歪んでしまう恐れがある訳で。

特に最初、少し若旦那の人物描写が安定していなかったように感じる。
決して知識が不足したアホではなく、
世間知らずの若旦那が遊び先でちやほやされて家を飛び出し、
裏切られて乞食になって少しは世間のことを知る
(とは言ってもツッコロバシ、世間知らずの気は残る)という軸だと思うのだが、
少しアホの感じが出てしまった印象。

養子に行くのに「よく貰いに回っていたのでこちらは避ける」というのは面白い設定。
自然かといえば微妙だが、
養子に行くハレの場で尚も乞食時代の経験を引きずっているのは興味深い。

娘さんが戸を開けて外へ出る場面、
湯を引くといった話は別になくても良いかも。
地の文が増えてしまうし、増えたマイナスに比べて克明に描くメリットは
あまりないように感じる。

娘さんが赤子の腕をかじるところや一人語る場面は流石。
そこへ若旦那が出てくるあたりの地の文も少し多い印象。
覗いて「何やってんの」で爆笑がとれているのは、
この若旦那の設定が客によく伝わっているからだろうけど、
本当はこの人物設定を、地の文でなく台詞回しなどで印象付けたいところ。
このあたりの「月が雲に隠れて」「月が現れ」のあたりは
個人的には地の文が多い印象。
もう少し地の文は減らした方が、
不気味な雰囲気が浮かんでその中で雲が割れて月が出る、
赤子の腕を持った娘さんやそれを見下ろす若旦那、という緊張感、
そしてそれを崩すサゲ、といったネタの構造が明確に出たのでは、と思う。

腕を食う「バリバリ」の後の「チュー」を入れなかったのは、
やり慣れていないネタで抜けたのかも知れないし、
ちと不気味すぎる(グロに走り過ぎる)と考えて抜いたのかも知れない。
個人的には好きな擬音ではあるのだけど。


「肝つぶし」(文都):○-

マクラで小咄いくつか。
喋り方が少し不安定。
「冷蔵庫」の話は登場人物の会話なのか演者の説明なのか、
ちと分かりづらい点があった。
「間男」でなく「殺人犯」にしたのは
「犯罪の話の紹介」として始めたからかも知れないが、
やはりこのネタは「間男」でやるべきだろう、と思う。
殺人犯を殺したのであれば、別に自殺せんでも、と思うし。

少し言っていたが、
確かに直前の「腕喰い」と同じ趣向のネタではある。

ネタはごく丁寧に。
病気の吉松の様子、訪ねてくる男の活気や励まそうとする態度とも、
きっちり描写されている。

このネタ、
「晒7尺買ったら反物を付けてくれ、しかも夜に娘が訪ねてきた」が本当、
「晒7尺買ったら反物を付けてくれた」が本当で「夜に娘が訪ねてきた」が夢、
「呉服屋が存在し可愛い娘さんがいる」が本当で「買いに行って反物を付けてくれた」が夢、
最後には「呉服屋の存在そのもの」から夢、
と男としては何段階かの誤解をしている訳だが、
観客としては大概どこかを飛ばして
いきなり「全て夢」と思ってしまう傾向がある。
あまり気にし過ぎても仕方がないが、
順々に誤解が解けていくように
最初の説明の段階でクサくないレベルの設定・台詞を入れておくか、
一段階くらい男も誤解を飛ばしてしまうようにした方が良いのかも知れない。

誰がこのネタを演ってもそうなのだが、
吉松の説明で若干「年月揃うた女の生き胆」の話が
説明しようとして説明している印象を受けた。
吉松の気持ちとしては、何もないのにここを詳細に説明するのは不自然な話であり、
例えばさらっと「年月揃うた女の生き胆」で治った話を聞いた、と吉松が言ったのを受けて
男が「年月揃うた女の生き胆って何や」と言った台詞を返す、
或いは返された態で吉松が説明して見せる、といった作りの方が良いと思う。

帰ってきて酒になる。
酒を勧めている段階では既に殺して生き胆をとる決意を固めていると思うのだが、
あまりそれを見せず。
包丁を振り上げた際には当然芝居がかりの空気があるが、
吉松の家を出た際、
或いは少なくとも「妹が年月揃っている」ことに気付いたタイミング以降は、
世話物の雰囲気は出すことを意識した方が良いだろう。
芝居がかりの所作・発声である必要までは無論ないが。

妹が目を覚ました後、男が崩すのが早い気がする。
「肝が潰れた」で初めて緩和するので、
ここはまだ緊張感を持って進めた方が良いのでは、と思う。

サゲで「薬にならん」の前に微妙な間があった。
一瞬千朝などのように「良かった」などと入れよう、なんて
血迷ったためでないことを祈る。


「どうらんの幸助」(雀三郎):○

マクラは趣味の話を軽く振ってネタへ。
最初の2人の若い男の絡み、
アホの空気や描写がやはり素晴らしい。
喋り方や間の取り方もだが、そのあたりも形から作ったものではなく、
アホの気持ちや考え方が形に表れる、という感じ。
もう一人の男も便所に放り込んで上がってくるのを棒で突くあたり、
非常に楽しそうにやっていて良い。

相対喧嘩から割木屋のおやっさんが入ってきて、
手打ちの飲み会。
このおやっさんの「尊敬されたい」メインの感情がよく出ている。
アホの説明も南天ほどではないが訳が分からず可笑しい。
そして、この手打ちの場面でおやっさんがメインになっているので、
その後おやっさんが稽古屋の前を通る、ということで
主人公が入れ替わることになっても、
特に「ネタの背骨が折れている」印象を受けずに済んだのかも知れない。

稽古屋の場面は、やはり南天に比べて義太夫が上手いのが良い。
「お半長」の説明をする側が「お半長」を身に付いてよく知っていることが分かるので、
「お半長って何じゃい」と言うおやっさんとの対比がよく出ている。

京都に行く。
南天のやっていた「大阪の人は面白い人」と言って
伏見でも帯屋でも背中を叩くのは雀三郎から来ていたようやね。
帯屋の場面もきっちりと。

このネタは元々、割木屋のおやっさんが非常に迷惑な人、という印象があり、
最初に米朝で聞いた時も、
枝雀で(これは50分ぐらいかかって非常にしんどかった)聞いた時も
周囲の人に感情移入してしまったりして好きでないネタだった。
だが最近、南天や雀三郎のを聞くと、このネタも嫌じゃない、と思うようになった。
それは「尊敬されたい」割木屋のおやっさんに好感が持てるようになったからであり、
途中で主人公が変わる出来の悪いネタ、と思わなくて済むような
手打ちの際の人物へのアクセントや変化の付け方を見ているから、なのかも知れない。

# この割木屋のおやっさん、
 「どうらんの幸助」といっていつも胴乱をしているんだよなあ。
 ネタの中では全く言及されていないのだが、
 その設定は何かに使えないのだろうか、とふと思った。
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特撰!おはよう染丸一門会

2013年07月02日 20時20分17秒 | 落語・講談・お笑い
土曜は朝から繁昌亭へ。

梅田から歩き、繁昌亭の前に辿り着いて出演者を見ると
「染丸」でなく「染二」になっている。
染丸目当てに前売券買ったのに。
染二は好きでないから帰ろうか、とも思ったが、
染左は久し振りだし花丸は嫌いでないから
まあ仕方ないか、と思って中に入った。


「平林」(染吉):△

軽く染丸の休演に触れる。
夏風邪らしい。

ネタは、丁稚も旦那も明るく演じられており、好感が持てる。
教える側の後の二人は、手紙を見せられた時の反応などから、
「難しい字が読めない」人間であり、
「平林」の文字列から自分の知っている字を見出し、
「一八十木木」なり「一つと八つと十木木」なりと言っているのかも、と感じた。
イチビっている訳ではなく。

テキストとしては、丁稚が元々「平林さんを知っている」台詞回しには違和感がある。
サゲで平林さんが定吉に声を掛けて、
「平林(ひらばやし)さん、貴方には用はありません」に
つなげるための設定だと思うのだが、
それならば最初から字を読むに及ばず
本町の「ひらばやし」さんだ、と分かっていると思うのだがなあ。


「やかん」(染左):○-

この人を見るのは久し振り。
以前はあまり気にならなかったのだが、
語尾を押す口調が少し気になった。

ネタは丁寧に演っている。
隠居の突っ込み方やそれを受けて男の言い方の強弱、
会話の間の取り方など、全体によく考えて作られている。
若干、それが見え過ぎるきらいはあるし、
登場人物の描写が薄くコント的にも見えるが。

「やかん」の言い立て、講釈風の語り方も楽しそうで良かった。


「電話の散財」(花丸):△+

営業の話など。
「話し中」と言うと混線が収まる、の例として
映画「王将」の例を出すのは良いと思う。
具体的だし、「そこまで昔の話ではないんだな」という印象が持てた。

ネタは、以前にも聞いたことがあるが、
安心して楽しく聞けるもの。
親旦那開口一番の「番頭どん」の柔らかさが
それまでの若旦那の堅さと好対照になっており楽しい。

若旦那が堅い理由として「選挙」が中心に出てくるのはあまり好きにはなれないなあ。
何か目的があって堅いのではなく、
柔らかい親旦那を反面教師として堅くなっている、という方が
根本的に融通が利かない印象がして好みなのかも知れない。
同様に親旦那が「昔は堅かった」という話をする必要もないのでは、と思った。

散財の場面はごく普通に。
親旦那もお茶屋も、もう少し浮かれた雰囲気があった方が
最後の若旦那との対比が効いて良いと思う。


「質屋芝居」(染二):△

マクラで芝居の話など。
この人、声が大きいのは良いが、活舌が悪く、
目を剥いたりするなど表情付けがクサく不自然なのが好みでない。
クサく演ればウケるだろう、爆笑を取れるだろう、という
安直な姿勢が身に付いてしまっているように感じる。

芝居の真似をする部分も不自然な印象が拭えない。
表情付けや声の出し方など、単に気違いじみているだけ。
芝居好きな人が溢れ出る思いに任せて芝居の真似をしているのではなく、
自己顕示欲から真似して見せつけているように見える。
それが演者の心根であり、落語に反映されてしまっている、
ということかも知れない。

質屋にやってくる客の喋りも流れており、
自然な人間の会話には聞こえなかった。

好きなネタであるので余計に、他の人で聞きたかった。


11時15分頃終演。
1時間少しの、コンパクトな落語会だった。
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落語・絶滅危惧種

2013年06月19日 22時13分54秒 | 落語・講談・お笑い


月曜は夜繁昌亭へ。
「落語・絶滅危惧種」と名付けられた珍品落語を集めた会。
日経でも取り上げられていたので混んでいるかな、と思ったが、そうでもなく。
半分程度の入りかな。


「忍法医者」(眞):△+

いつも通り「男か女か」といった話から
整形の話をしてネタへ。

顔色の悪い男が紹介されて医者に行ってのドタバタ、という
「犬の目」のような噺。
「裸にマントを被り、下は封筒で隠しているだけ」という
若干下がかった設定があったが、
これは「蘭方医者」の本編には別に関わりないと思う。
「誰にも見られないように「親展」と書いてある」のは面白かったので、
他で使って良いギャグかも知れない。

お腹の中に虫がいるので蛙を呑ませる。
ここで忍術を使ってお腹の中に入れるあたりが
「忍法医者」と呼んでいる所以なのかも。
蛙→蛇→鷹(だったか)→狩人の恰好をした人間、と
中に入れるものが大きくなるに連れて呪文も変えているのだが、
まあ、そこまでしなくても良いかな、と思う。

残った獣が取り付いて蛙のように跳ねたり
蛇のようにグニャグニャになったり、というのが趣向で、
この部分に絞って何か適当なサゲをつけたようなネタにすれば、
もう少し聞く機会が増えるかも知れない。


「明石名所」(染雀):△

マクラで軽く修業時代の話に触れてネタへ。

きっちり覚えて丁寧に喋ってはいるのだが、
途中で眠くなってしまった。

個人的には福笑のイメージが強いネタで、
ボケとツッコミの強弱、間のとり方、
畳み掛けたりすかしたりといったリズムの緩急、などが必要と思う。
単に喜六清八の会話としてやるには、
情景の変化が乏しいし、
人麻呂さんそのものに対する知識も皆が持っている訳ではないし。


「たばこ道成寺」(枝三郎):△+

マクラでうだうだと身の回りの話、
落語ファンをいじるような話を色々。
マニアックな客席と考えて、楽しそうに喋っている。
珍しい小咄なども聞けて良かった。

ネタは初めて聞いた。
タバコ好きな男がいろいろな家で嫌がられ、
「タバコののみ比べをする」という紀州の人間を紹介されて
そこで競争をする。
勝てないと思って逃げ出し、道成寺と絡めて、といった話。

枝三郎がダレているのか、
台詞が曖昧なところ、ハメの入り方や乗り方に雑な部分が散見された。
そのため、ネタと相俟って、
どこで楽しめば良いのか、全体に分かりづらくなってしまった。

珍しいネタではあるが、嫌煙ばやりの今日、
特に最初の色々な家で嫌がられるあたりなどは
意外に受け入れられるかも知れない、と感じるのだが。

「タバコののみ比べ」というのが、何を競うのかがよく分からなかった。
量を競うのか、珍しいタバコを競うのか。
このあたり、最初に「タバコ強いんやな」といった話を聞かせておいて、
「どちらが強いタバコを吸うか」に限定しておいた方が
客として付いていきやすいと思う。

船頭に渡してもらい、道成寺へ。
個人的には、何となく「タバコのヤニ」と聞くと
「うわばみの嫌いなもの」という(「田能久」で聞いただけか?)
イメージがあるので、そこに掛けるのか、と思ったがそうでもなく。

珍しいネタを自信を持って演じる、というスタンスで押し切れば、
もう少しウケたかも知れない、と思うのだが。
あと、もう少し「道成寺」に絡めた設定があった方が良いのでは、と感じた。

若干、勿体ない印象。


「墓供養」(三喬):○-

マクラで貴布禰神社の神主さんの話をいろいろ。
そこから日本人の宗教の話をしてネタへ。
まあ、このネタ、別に信教の話をしなくても良いかな、と思う。
「墓供養」の説明は少し危なっかしく。

「絶滅危惧種」といいつつ、よく演っているであろうネタなので、
安心して聞いていられた。
最初の「手伝いをしている連中」の中で文紅の名前を入れるあたり、
この人へのリスペクトが感じられる。

「よし、書いとこ」で転換する繰り返しだが、
以前に比べて隣の人間と会話する場面が増えているように感じられた。
それでもきちんと「帳面を付ける」とは別の話に
客を集中させられているのは流石。

最後のドモリ、その後のサゲもよくウケていた。
ドモリがメインになるから放送しづらいのだろうが、
三喬以外ももっと高座に掛ければ良いのでは、とは思う。


「さんま芝居」(九雀):△+

若手の頃南座で芝居を見た話など。

「さんま芝居」そのものは昔、文我ででも見ているような覚えがある。
演出はけっこう変えているように感じた。

旅の一座が漁村に行き、秋刀魚を出してもらうのだが大根がない、
というあたりでの騒動。
芝居は「伽羅千代萩」の「床下」がメインで、
硝煙を焚こうとしたが湿っていて煙が出ず、
仕方なく秋刀魚の煙で仁木弾正が上がっていく、という話。

いつから芝居を始めるか、や
何故「大根役者」というか、
秋刀魚を食べる場面や大根がないので食べられない、といった場面が長く、
芝居の場面はあまり長くない。
「鰯の餌にする」といった脅しは良かったが、
芝居までの場面は少しダレる感じがする。

男之助の声は良いが、
鼠を踏まえて見得をする際の首の動きが良くない。
あまり見得をしているようには見えなかった。

サゲは大根役者に大根を掛けるもので、
まあ、「さんま芝居」ならば予想通りの掛け方ではある。
サゲへの持っていき方や誰がサゲの台詞を言うか、など、
全体的なバランスを含めて、手を付けられる余地はまだあると感じた。

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オモイオモワレ。~「おもうとうごく」の落語会~

2013年06月18日 22時31分32秒 | 落語・講談・お笑い


日曜は奈良町のカフェ「カナカナ」へ。
テーマを設けて、それに合わせたネタが掛けられる落語会で、
5年で8回目くらいになる様子。


「鬼の面」(佐ん吉):△

師匠吉朝との稽古や、
大師匠米朝の家で内弟子修業をしていた頃の話から、
「昔も住み込みで働いていた」というところからネタへ。

まあ、丁寧に喋ってはいるが、
なかなか難しいネタではある。
最初の「面」という言葉が少し聞き取りづらかった。
ここが聞き取れないと、何が何だか分からなくなる。

面を買って帰って旦那の悪戯。
この旦那がイマイチ。
「遊び」は出ているのだが、ベースの旦那の落ち着いた様子が弱い。
この落ち着いたベースがないと、その後の「遊び」も引き立たないし、
後で行方不明になっている子を探す際の慌てぶりも目立たない。
後者については、慌てている様子が弱かったように思う。
朝まで帰ってこない、心配、死んでいるのでは、といった焦りが出ていなかった。

鬼の面に変わったところで「うざ」と言うのは特にウケず。
別に既存の「しょうもない悪戯ね」といった台詞で充分でしょう。

池田に向けて山道を行く。
刻限が釈然としない。
先に「1晩かかる」と地で言ってしまっている以上、
子守の仕事を終えてから出たのでは、
池田近郊の山に着いた頃には「夜中」というより「明け方」になっているのは?
と感じてしまった。

「鬼の面」を顔に添えて火を起こす、と言ってウケが来たのは宜しくない。
「鬼の面」に意図性はなく、ここは単に偶々なのであり、
「煙をよけるために」という意図を聞かせておく必要があるのだと思う。

父親と母親の会話は、位置関係が少し分かりづらくハマっていなかった。
父親が娘が「すぐに帰る」と言っているのを受けて
「早く帰らせなければならないが、それでももう少し一緒にいたい」あたりの
間の付け方や台詞回しはよくウケていた。

その後は、旦那の焦りはイマイチ出ていなかったが、まあまあ。
サゲは父親に言わせていたように思うが、
旦那が言う方が全体的には調和するように思う。
あと、直前の「この面では、いろんなことがあったんやな」に
けっこう思いが籠る(これは雀三郎でも)のだが、
別にそこまで気持ちを籠めず、さらっと言えば良いのでは、と思う。

先日の「蛇含草」と云い、どうも以前に比べて佐ん吉の高座に満足できていないなあ。
もしかすると色々と直そう、
一度壊して作り直そうとしている過渡期なのかも知れない。
それはそれで楽しみ、ではある。


「崇徳院」(南天):○-

「異性と会うハードルが下がっている」といった話からネタへ。

全体に台詞が口に付いていないところ、トチる場面が散見されたが、
特に熊さんがそれを蹴散らしていく勢いもあり、良かった。

親旦那と熊さんの会話はまあまあ。
心配している様子などがよく出ている。

その後熊さんと若旦那の会話は少し加薬が入っていたり、
「色々なものがとうさんに見える」話から
「目を瞑って熊さんに迫る」といった作りは
(うぶな若旦那としてどうか、は兎も角)面白かった。

探しに出る場面、一度帰宅しておかみさんにさらに行かされる場面は普通。
戻ってきて親旦那との会話は、
親旦那が待ちかねており、
もう相手が見つかっていると思い込んでいる様子が自然に作られていた。
「下手人として訴え出る」はなく、これはこれで良いと思う。

2日探して帰ってきて、
おかみさんが熊さんをねぎらう台詞が少し長く、情が濃過ぎる印象。
その後のおかみさんが熊さんを罵る際への転換、という側面はあるが、
転換を効かせる元にするとしても、やや濃過ぎるのでは、と感じた。

探し回る場面、裏道で練習するところや
その後の子ども連中に追いかけられる場面も活き活きとして良い。

何軒も回っての最後の散髪屋。
お嬢さんの側の出入りの職人が「そちらのお坊さん」と
全て剃られている熊五郎に呼びかけるのは面白かった。
ただそれならば、後で飛び掛ってきた熊さんに対しても
「お坊さん」といった台詞が出る方が自然だしウケにつながるような気がする。
このあたりで散髪屋に歌を紹介するのに
「割れても末に買わんとぞ思う」と口走ってしまっていたのは、
ちと勿体ないな。気にしなくても良いレベルではあるのだけど。


「うつつの人」(九雀):△+

亡くなった先輩などの話、ということで
吉朝や喜丸、歌之助のエピソード。
師匠枝雀の話をしないのは、一つの見識というか、
九雀の一つの思いなのかも知れない。

ネタは初めて聞いた。
元々くまざわあかねが歌之助に書いたネタらしい。
上勉の「名付け親」なのかなあ。
「ごかいらく落語会」初演らしい。

「大阪のおばちゃん」が事故で亡くなり、
成仏するまで天上で「大天使ミカエル」と下界の様子を見ている。
お通夜やその後の残された夫と娘の会話を聞き、
そこにツッコミを入れつつ、
最後は思い残したこと、言い残したことを言って成仏する、という設定の話。

テキストとしては、まあ、ありがちではあるが
落語的なネタかも知れない。
「大阪のおばちゃん」が出てきて、
その生態がウケるポイントの一つになる、というあたりは、
米朝系統よりも三枝系統が粗製濫造する新作のようで、あまり好みではない。
また、九雀の演技が分かりづらく、
最初「おばさん」と気付くまで少し時間がかかった。

「卵」に拘るのは、まあ、自然。
大天使の「猫を心配するとは偉い」に対して
「卵が割れていないか」で返すのは読めていたところ。
ここは客として「猫を心配する訳がない」という先入観があるから、
あまり大きな落差につながらなかった。
もう少し「猫を心配するかも知れない」と思わせるような設定・台詞廻しが
必要では、と思う。

その後お通夜の席を上から覗く。
ここは人物分けが分かりづらかった。
「変わってやりたい」と嘆くばあさんと、保険の勧誘をしまくるおばさんは、
「お通夜の場という本来緊張しているべき場」の空気を吸いながらも
もっと激しく、人物の存在感を出していって欲しい。

父娘が帰宅して、味噌汁を巡る会話。
結局母親の「最後のお願い」が何だったのか、は何となく想像できるが、
もっと露骨に描写してしまっても良いのでは、と思った。
あと、どうせならば最後も「卵」に引っ掛けたサゲにできないか、と感じた。
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動楽亭昼席~6月席10日目~

2013年06月11日 09時53分06秒 | 落語・講談・お笑い
昨日は動楽亭昼席へ。
平日ではあるが、40人程度の入り。


「動物園」(小鯛):△+

最初のアホとおじさんの会話で、
強弱や間をいろいろ付けてウケをとりやすくしている。
この男、いろいろ条件を付けているが
本当にそんな仕事があるとは思っていないんだな。
表情の付け方、話し方にイチビっている様子が見える。

動物園にやって来て園長と話し、
着ぐるみを着て檻の中へ。
着る場面は南天ほどこってりとやっていないが、
それでも丁寧にやっている。
「毛を挟む」はなし。

檻の中で仕草は軽く説明し、
あとは丁寧に「ワン」、パン。
ライオンとの一騎打ちで恐がる場面は相対的に長かった。
その後サゲへの転換は少し流れた印象。


「蛇含草」(佐ん吉):△

軽くマクラを振ってネタへ。
うーん。何となく演り慣れていない不安さが感じられ、
それが客席に伝わってしまったように思う。
全体にさらっと演っているが、それでは面白くはならない。
だいたい大食いの男や家の主を丁寧に描写したとて
爆笑をとれるようなネタではないし。

涼しいものを並べていくところ、配置がイマイチ。
金魚の場所はどこだろう。
それに対して暑いものを挙げていくところも
もう少し暑さの実感が欲しい。

そういう点から見ると、冷房が効いている環境でこのネタをやっても
客としてそこまで実感は持てないのかも知れない。

「蛇含草」の説明、「人間が溶ける」だけ伝わると
「何故男が蛇含草を食べる気になったか」が分からなくなるので、
やはり「うわばみにとっては腹薬」の一言は必須だろう。

主人は本気で怒っていない。
2人の関係からすればこれはこれで良いのかも知れないが、
「意地になって」食べる、食べさせる関係を分かりやすくするためには、
挑発、もう少し怒る、それに対してさらに挑発、という様子を
見せておいた方が良いかも知れない。

最初餅をちぎって食べるのだが、
曲食いの際には1個丸ごと食べるのだから、
最初食べる際もちぎらない方が良いと思う。
口の中一杯に詰め込む動き、表情を見せた方が良いだろう。

曲食いはまあまあ。
曲食いの名称、餅が飛ぶ様子、食べる様子に絞るためには、
投げる際の準備動作はない方が良いと思うけど。

餅がいっぱいに詰まっているところ、
もう少し充溢感、「ちょっと動けば溢れ出そう」な感じが必要だと思う。
あと2,3個ならば頑張れば食べられそうに見えてしまった。

帰ってからはまあまあ。

全体に、あまりウケず。


「桃次郎」(雀喜):△

子どもの話をいろいろ振る。
若干引いた感じがあり、大きくはウケず。
シャレた感じで自然でもあり、面白かったのだけど。

ネタもあまりウケていなかったなあ。
前の「蛇含草」もそうだが、
ダイレクトに面白いボケや
ウケを引きずり出すようなツッコミでウケさせるネタではない。
特に「桃太郎」のパロディで可笑しい設定を単発で繰り出していくという、
徐々に盛り上がるとは言えない
(下手すれば飽きて徐々にウケが小さくなっていく)類のネタ。
実際、大ウケはないまま終わってしまった。


「茶の湯」(南天):○-

前の二つで冷めてしまった空気を暖めるべく、か、
ウケを取るようにややクサ目に、押し気味に作っていた印象。
個人的には「茶の湯」のこの作り方はあまり好きではないのだが、
この日について言えば会場の雰囲気を非常に良くしていたので、
これはこれで良いのかな、と思う。
3回回す際に背中側を通して「裏千家」など、よくウケていた。

その後隣の手習いの先生が前で(縦に)回して「表千家」だけでなく、
独楽のように回す人が出てくるなど、
全体に茶碗の回し方のギャグが多かった印象。

掛け軸の「根性」、
反対側に違う掛け軸が掛かっていたのでは?と思ったが
その演出はなかった。


「一文笛」(宗助):○-

泥棒、スリの話をし始める。
「ヒザで一文笛か」と思ったら、案の定だった。

まあ、丁寧に演っている。
スリの男が煙草入れの持ち主と応対する場面、
個人的にはもう少しスリの「ひねた」「心底スリである」汚れや
臭気があった方が良いのでは、と思う。
普通に愛想の良い商人のように感じられた。

兄貴が入ってくる。
特に含みは感じられなかったが、
ここもある程度
「この男が一文笛を盗んで、結果子どもを意識不明の状態に追いやっている」
という気持ちで入ってきているのでは、と思う。
この2人の会話では、スリの(ある種の)無邪気さが出ていた。
もう少し汚れた部分も必要だと思うが、
このような無邪気さ、
他人に迷惑は掛けていない、と思い込む無垢さがあるのだな、と思った。

子どもの状態の説明に
「どこかで頭でも打ったんやろな」や「目は覚ましても頭はおかしいまま」といった
あまり耳慣れない台詞が入っていた。
単に「身を投げた、意識不明」だけでは説明不足と感じられているのかも知れない。
若干理屈に過ぎるかも、と感じたが、
まあ、元々のままで疑問を持つ人が存在するのであれば
入れても悪くないか、というレベル。

サゲは照れくさそうに。
実際には辞める気がなかったことを恥ずかしそうに告白している印象。
うーん、これはこれで悪くないか。
結局このスリ、「泥水をすすって大きくなっている」し、
辞める気はなかったのかも知れない。
このネタも単純な「いい話」ではなく、
「スリしか出来ない人間は、結局スリとして生きていく」と
(ある種)冷たく突き放しているネタなのかも。


「質屋蔵」(雀松):○-

質屋の話から、
無筆の「借りた羽織を七に置いた」小咄を振ってネタへ。

番頭が
「ほたら何ですかいな、三番蔵に化け物が出るもの無理はないとおっしゃるんですか」
と旦那に返すところから入る、枝雀ラインの形。
若干、突拍子のない印象。
雀松の穏やかな口調と、この入り方は合わないのかも知れない。

旦那の説明は、少し台詞にあやふやな部分も見られたがまあまあ。

番頭や丁稚、
熊さんの口調や表情付けが雀松らしい。
もう少し番頭は番頭、熊さんは熊さんらしさが強い方が好みだが、
雀松のニンや売りではある。
よくウケてはいた。

箸を2人で取りに行く件はなし。

旦那が蔵を覗く。
この場面で行司の声や菅原道真の喋り方に特に変化を持たせず、
2人の腰が抜けたところから旦那が覗く、そしてサゲまで
あまり空気が変わらずにそのまま進んでいった。
道真公の喋り方も柔らか目であり、表情も付けてウケをとっていた。
個人的にはここは少し堅めに演じ、
サゲの台詞でまた崩す方が好みではある。
雀松らしいと言えばらしいかも知れないが、
少し流れてしまった印象。


全体には
「蛇含草」と「桃次郎」で悪くなりかけた雰囲気を
「茶の湯」が直し、
仲入り後の「一文笛」と「質屋蔵」で満足させた、というところかな。
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天満天神繁昌亭昼席~月亭文都襲名披露特別公演~

2013年06月04日 10時27分16秒 | 落語・講談・お笑い




日曜は繁昌亭の昼席へ。
今週は「八天改め七代目月亭文都襲名披露特別公演」が開催されている。
どの日に行っても良いようなものだが、
長いこと見ていない三枝を見ようと考え、日曜を選択した。

休日でありメンバーも良いので前売完売、
当日立見まで出る大入り。


「浮世床」(方正):△+

初めて見た。
やはりテレビでそこそこ売れていた人間の
「面白いことを言いそう」な雰囲気がある。
ごく内輪の話であっても「これは面白い」と確信を持って言うのは大事。
CMの話は若干クドい気もしたが、
マクラでは無駄な間投詞などがないリズミカルな点、
強弱の付け方など、さすが。

ネタはまあまあ。
最初の将棋の場面、横から口を出す男の位置が若干遠いように感じた。

場面転換は良い。
講釈本を読んでいくところは字が読めないようには見えない。
まあこのネタ、そこに拘っても仕方ないのかも知れないが。


「犬の目」(八光):△+

マクラで父親の話を少し。
この人が八方の子どもだ、と、意外に知られていないような感じもする。

ネタは、いきなり医者に行く。これはこれで良いかな。
メインが医者になるイメージがより強くなる。

「ハイターも入れる、あまり長いこと漬けておくと黒目が白くなる」は
初めて聞いたが良いクスグリ。
「目抜きの場所」の持っていき方や拾い方はイマイチ。
別に抜いてしまっても良いかも知れない。
「目が見えなくなった」と医者を隣に連れて行って話し、
患者が「犬がどうこう」が聞こえて気になる、というのも自然だろう。

「珍しい症例などで書いておくように」と言って書き取らせるのも、
まあ、悪くないと思う。

全体に上手くはないが、明るくて良い。
何となくたい平の高座を思い出した。


「絶叫ドライブ~彼女を乗せて~」(遊方):△

マクラは「少し恰好付けた運転を若い頃はする」といった話。
ここからネタへ。

マクラであまり共感を呼べないままネタに入ってしまったようで、
特に最初、勝手に興奮して勝手に暴れている、という印象を受けた。
徐々に笑いが起こるところも出てきたが、
如何せん滑舌の悪さや人物描写のスキルの低さや、
ネタそのもののぶつ切り感などで大ウケにはつながらず。

好きな人とドライブに行く、その際にいろいろ恰好つけたい、という登場人物に
演者が感情移入しているのは分かるのだが、
それをダイレクトにぶつけられてもしんどい。
もう少し消化しやすいようにして欲しい、とも思いつつ、
まあ、それがこの人の魅力であり、
変に上手く見せられても困る、というところもある。
ただバランスとしては、
もう少し「伝わる」方向にシフトさせないと勿体ないと思うのだが。

サゲは「車酔い」だが、
クサく「貴女に酔っていて」でも良かったかも。


「南京玉すだれ」(勢朝):○

久し振りに見た。カツラ付けた?

10分ほど漫談して玉すだれ。
非常に慣れた感じ。
噺家というより、場末の芸人らしさが板に付いている。
文都は家が近いそうで、
「一緒にサウナに行く」流れで
「ものが大きい、プリンでは隠せない」と小枝を弄る話をしていた。
個人的には面白かったのだがあまりウケず。
下ネタに行っていることが気付かれなかったのか、
小枝のプリン不倫の話が意外に知られていないからか。

玉すだれは3分ほど。
色々聞いている「玉すだれ」の中では、非常にテンポが速いものだった。
その中で失敗して(わざと失敗?)「後回し」と言ったり、
東京タワーの上に絵を付けてもらって
「スカイツリー」や「通天閣」にするなど。

良い色替り。


「くもんもん式学習塾」(きん太郎):○-

派手な着物、派手なメガネ、金髪。
これがきん枝の一番弟子。
初めて見た。

ネタは三枝の新作だが、まあ面白かった。
「ヤクザが学習塾をする」という、ベタと言えばベタなネタなのだが、
どこでウケをとるかが演者として明確であり、
その部分を丁寧にやって結果としてきちんとウケていた、という感じ。
それぞれのヤクザの描き分け、「龍二」の描写、
対する子どもの恐がり方など、
分かりやすく聞けた。

テキストとしては、
個人的には塾の中での訳していく部分が面白く、
その前のヤクザ同士の会話や
成績が上がった後で母親がやって来る場面以降はそれに劣ると思う。
特に母親が帰ってサゲに至る部分は何か手を付けられないかなあ。
尻切れトンボになる印象。


「誕生日」(文枝):○

「序の舞」で上がってくる。小さん(無論先代)みたい。

この人を見るのは久し振り。
文枝襲名後、は勿論、
10年以上見ていないのではないかなあ。

少し歯の具合が悪いのか、聞き取りづらいところはあったが、
良い感じで老けている印象。
マクラから自分が病院に行ってのお年寄りの話などを振っており、
そのあたりは演者と対象となる高齢者とが一体となっている印象。
このマクラ、無駄な言葉なく、
全ての言葉を世界構築に貢献させ、ウケにつなげようとしているところが流石。
しかも無理に力んで「笑わせよう」ともしてしない。

ネタは88歳の誕生日を迎えたおじいさんとおばあさんの会話。
数多い子どもや孫がどうしているか、といった話をしていくだけ、なのだが、
淡々として可笑しい。
これも特にウケさせようと間違っているのではなく、
自然に(周囲から見れば)変なことを言っているのが可笑しい、という感じ。
おばあさんもおじいさんが日頃からこんなことを言っているのに
付き合って慣れているのだろうな、という雰囲気。

聞いていて夫婦の子にあたるのか?孫にあたるのか?
分かりづらいところは散見された。
まあ、当事者同士では(ところどころ忘れているにしても)分かり切っているから、
説明的にならないのは仕方ないだろう。


口上(遊方・八方・文都・文枝・雀松)

司会遊方。
師匠八方、桂の代表かつ会長として文枝、米朝一門代表として雀松、の順に喋る。

遊方と八方が噛みまくって、文枝から突っ込まれていた。
文枝の話は若干長かったが、まあ、良い話。
雀松は10月に自身が襲名する話に触れていた。
上から見ていると髪の毛の具合など、確かに亡き吉朝に似ていると感じた。

1週間同じ顔ぶれだったかは知らないのだが、
丁度良いメンバーの口上だったと思う。


「千両みかん」(八方):△+

口上後、師匠が上がる。

この位置での「千両みかん」はしんどかった。
「みかん」と言うまでの振りや最初に回る店を減らしたり、
磔の情景描写を切るなどで時間を短縮していたとは思う。
それでも「あちこち走り回る」「気持ちの上がり下がりが大きい」
番頭に肩入れしてしまうからか、
「金の話」「みかん商人の心意気」などがテーマと重いからか、
やはり疲れてしまった。

安請け合いしてしまった番頭に対して、
旦那が畳み込むように「訴え出る」まで言うのは悪くない。
番頭が回る場面では、恐らく時間短縮のためだろうが
八百屋1軒で次は鳥屋、そこで磔の描写なしに天満のみかん問屋を紹介される、
という流れで、少し不足感がある。
少なくとも八百屋は2軒回って3軒目が鳥屋だった、で落とす必要はあるだろう。
磔の描写は、確かになくても良いかも知れない。

みかん問屋は米朝に比べて軽め。

若旦那のみかんを持ってきてくれた番頭への応対の口調や表情、
その後みかんを食べる我を忘れて嬉しげに、必死に食べる様子が良かった。
そのあたりは番頭との対比がよく効いていた。

サゲのあたりは丁寧で良かった。
今度、もう少し余裕のある会でも聞いてみたい。


「始末の極意」(雀松):△+

「けちん坊」と「泥棒」の小咄をいくつか振ってネタへ。

若干詰まってリズムが狂う部分もあった。
時間の加減か、途中「鰻」の話まで。
ごくあっさりと。この人に向いているネタだとは思う。


「親子酒」(文都):△+

酔っ払いの小咄などを幾つか。
描写などで細かく手を入れている。
そこに意義があるとは思えないが。

ネタは枝雀或いは雀三郎ラインだろうな。
親父が眠りに落ちるところ、
或いは最後の倅が親父に躓いたり、サゲのところで倒れたり、と
オーバーアクションではあるのだが、
無理にこの人がやらんでも、と感じてしまった。

上方「親子酒」はテキストとして、
親父が帰宅して倅が帰宅するまでのうどん屋との絡みが非常に長い。
これが好きな人は好きだし嫌いな人は嫌いな部分。
この日の「親子酒」は「ボケとツッコミ」の話やその繰り返しを入れているのだが、
これはあまり好きにはなれない。
正直、入れる意義がよく分からないんだよなあ。
間の倅の絡みを不快感なく聞けるようにしているのかも知れないが、
不快感を持つ人はどうせ持つ(これで軽減されるのかなあ)し、
持たない人には却って理屈っぽくクドい印象を与えてしまうのでは、と思う。

酔っ払いの描写そのものは流石なのだが、
全体には「演技」を感じさせて平板であり、クドい印象は拭えない。
そこに枝雀ラインのオーバーアクションを入れたら目先が変わるのか、と言うと、
そんな訳でもなかろう。


折角なので、1500円でCD付きのパンフレットを購入。
サインももらいました。

【パンフレット表紙】


【サイン・千社札とご挨拶】
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小鯛の落語漬け

2013年05月29日 21時17分16秒 | 落語・講談・お笑い


月曜夜は動楽亭へ。
数ヶ月に一度の小鯛の勉強会。

30人程度の入り。
開演までお囃子などでなく、何故か米朝の落語が掛かっていた。


「二人ぐせ」(小鯛):△

マクラで軽く「21時までに終わる」話、
そのために前座をカットした、という話など。

最近「野外の仕事が続いている」という話とその余興の辛かった話を軽く振り、
「くせ」の付き物のマクラを振ってネタへ。

ネタは可もなく不可もなく、というところ。
羊羹を待っている小林先生の描写など少し変えていたが、
特に特徴的と言える程のものはなかった。
全体には、やや流れ気味。

やはりこのネタ、大ウケするのは難しいなあ。


「天狗さし」(二乗):△+

後輩の会に呼んでもらったゲスト、という話。
「かませ犬」など、若干自嘲気味な点もあるが、
全体に楽しそうに喋っている。
少し米紫にも見られる語尾の「ね」を押す喋り方が引っかかる。

ネタはアホ(イチビリ)のニンや押す様子が良く、
それを受ける甚兵衛さんの聞きつつツッコむバランスも良かった。

テキストとして
京都で「天狗の出る場所」を聞く際に「天すき」を出すのは
その前後の「天すき」を隠す台詞回しや気持ちとは整合性がとれておらず
違和感がある。
またこのネタ、京都の人には大阪弁ではなく京言葉を喋らせるイメージがあったのだが、
それはやっていなかった。
まあ、ここはどちらでも良いかな、と思う。

捕まえた「天狗」を持って街に降り、
坊さんと絡めて「天ぷら屋にする」というサゲ。
悪くないが、「天すき」に拘ってきた流れからすると少し違和感があった。
ここは持っていき方によって特に違和感なく聞けるとは思う。


「新作」(小鯛):△+

軽く「優しい先輩」二乗について触れてネタへ。

先生が学校で答案を返して、
一人の生徒の変な答えを紹介し、そこにツッコむ。
翌日は授業参観で、体育の予定だったが雨のため「保健体育」になる。
昨日変なことを答えた生徒が、
保健体育では人が変わったように細かいところまできちんと答える。

まあ、ベタと言えばベタな作りではある。
前半はどうしても羅列的になるし、
「何の科目の先生」という疑問も持ってしまう。
面白い間違え方もあったが、
ベタでどう間違えるか想像できる問題もあったし。
一つ、祇園祭の始まった年号を「ていかん」と言っていたが、
貞観は「じょうがん」だと思う。

マクラで言っていた通り、
「よく覚えた」が先に立つネタだった。


「竹の水仙」(小鯛):○

特にマクラを振らずにネタへ。

全体に登場人物がそれぞれ存在感を持って描写されており、
安心して楽しめる出来。

特に甚五郎と宿屋の亭主が非常に良かった。
甚五郎は口調や表情に浮世離れしている様子がよく出ているし、
宿屋の亭主も
おかみさんや甚五郎、大槻玄蕃に振り回される人の良さがよく出ていた。
最初に甚五郎に「金がない」と言われた場面での表情付け、
かなり濃い目だが面白く作られていた。
おかみさんも、まあ良かった。

細川越中守と大槻玄蕃は大名や侍の大きさ、おさまった雰囲気が弱く、少し不満。
ただここはテクニカルな部分も大きいと思うので、
今後見たら変わっているのでは、と思う。

テキストは梅團治ラインのもの。
細川越中守の行列でハメが入るのは、
(生喬は以前否定的に言っていたが)まあ、構わないかな、とも思う。
甚五郎と分かった亭主の「あの方をどなたと心得る」、
それに対するおかみさんの「水戸の黄門様か?」という会話は
ウケていたが個人的に好みでない。
野暮だ、という感覚がある。

サゲはおかみさんの「私の心に刻んでくれた」。
まあ悪くないが、
おかみさんを出さずに甚五郎と宿屋の亭主の会話で完結する方が、
場面転換が減るので個人的には好みである。


結局、20時40分頃に終演。
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噺家宝塚ファン倶楽部

2013年05月25日 15時05分44秒 | 落語・講談・お笑い


昨日は夜繁昌亭へ。
去年に引き続きのタカラヅカファンの噺家が集まって
タカラヅカにちなんだネタや、
仲入り後にレビューをやる、という落語会。

補助椅子も出る大入り。

幕が開くと、後ろに定式幕が下がり、
高座布団はフリルが付いている、という状態。


「もぎ取り」(染雀):△+

軽く楽屋の様子に触れてネタに入る。

入り方はごくまとも。
スムーズに喋っている。

1つ目は「1間のいたち」でまともだが、
2つ目は「タカラジェンヌ」、3つ目は「お床拝見お釜拝見」。
2つ目は若干の無理から感もあって面白かったが、
3つ目は外で聞いた瞬間に客席が
「茶道」でない方を先に思い浮かべてしまっていたので、
結局中に入らずに飛ばしてしまった。

「もぎ取り」としては、喜六清八の間の細かいやりとりが多く、
トントンと運ばれていなかったのが好みではない。

ポーズをつけながら下がる。

高座返しのお茶子さんにもメイドの恰好をさせていた。


「宗論」(花丸):△+

これも軽くマクラを振り、ネタへ。

基本的にタカラヅカに引っ掛けずに「宗論」。
十字架にかかる場面は少し掛かっているのかな。

まあ、花丸の「宗論」は普通の「宗論」とはかなり違うのだが。
どうせならば「宗論」とは言い難いかも知れないが、
タカラヅカに嵌まった若旦那と歌舞伎役者か何かの家の親旦那、
といった話にしても良かったのかも知れない。

これまたポーズをつけながら下がる。


「ヅカ丁稚」(生寿):○-

この会には今年初出演。
師匠の影響でハマったようだが。

ネタは「蔵丁稚」で芝居でなくタカラヅカにハマった丁稚、という設定。
「芝居にハマって」があるならば
「タカラヅカにハマって」もごく自然な話なので、
時代設定さえ気にしなければまあ良いのかな、と思う。

「宝塚大劇場の前で会った、船場から心斎橋に行くのに何故宝塚を回る」とか、
一家中で明後日タカラヅカに行く、と言われた丁稚が
「お弁当」「ぼんのお守り」「下足番」と何とか付いていこうとするのに対して
「具体的な食堂の名前を出す」「託児所の場所を言う」「靴は脱がない」と返すのは
「蔵丁稚」より面白いところもあるなあ。
「五段目の猪」に対して「ロケット」を出し、
「トップスターが出てくる訳がない」から「現に今まで見てた」の流れも自然。
押さえ付けられて歌うとか。

「お腹が空いているから」ではなく「5時からの番組を見たいから」も
まあ、あり得るけど難しいところだなあ。
「真似をしていたら見たいのを忘れられる」かどうか。

蔵に閉じ込められて「ロメオとジュリエット」の場面を思い出して
歌ったり剣を抜いたりする。
この場面はこの人が本当にタカラヅカが好きなんだな、と分かって、
「蔵丁稚」と同様の良さがあった。

皆が飛び込んできてサゲまでの流れは少しごちゃごちゃした印象。
もう少し公爵の言葉で入ってきた連中を抑えて、
その流れでサゲまで持っていければ尚良い、と感じた。

これもポーズをつけつつ下りる。


「男装エレジー」(あやめ):△

タカラヅカや相撲部屋などの「引退」の話。
引退イベントや人前で断髪式を開くようなレベルでない人の話。
若干整理の悪いところもあった。

ネタは「タカラジカ」で引退した男役のジェンヌが箒会社に就職して、
就職先でのドタバタを描くネタ。
ジェンヌが「ジェンヌだったと知られたくない」ことや
就職先の奥さん(常務)が今まで関心がなかったのに
急に「誰と同期」とか「男の人と付き合ってこなかったの」といった
訊かれたくない話をするようになる、といったポイントは通底しているが、
それでも一つ一つのエピソードが羅列的な印象は拭えない。
ギャグとしてもそこまで素晴らしいものがある訳でもないし。
また、奥さんの転換は私がそう感じただけで、
もしかすると描きたいポイントではなかったのかも知れない。

最後の方に地震が起きる。
これが唐突過ぎる。
元ジェンヌが倉庫に大事な箒を背負い、女性を抱えて出てくるのが
歌劇で羽根を背負って大階段を降りてくるところの重なり、
地震の話からの「断層」と「男装」が掛かってサゲになるのだが、
うーん、無理過ぎると感じた。


「ヘビーヅカテーション」(生喬):○

上がる前に(メイド姿の)お茶子さんが膝隠しを取替え、
見台の前に怪しげな袋を置いていく。

去年末のオールナイト落語会で初演された
干支にちなんだネタらしい。

噺家の弟子入りの場面から始まり、
弟子入りしたことを聞いた他の一門、
兄弟子などの反応を描いて
「タカラヅカ」と同じにした修行生活を描く。
生喬一門もこんななのか、と感じさせるのも一つの目論見か。

分かれば良いだろう、という感じでタカラヅカの学校の修業内容を
師匠から弟子に説明する形で見せたり、
小林一三の墓参りに行った、と言ったり。

最後は一門の勉強会で「レビューをする」ということで、
例によって派手に歌いだす。
着物を肌脱ぎになると、下には派手な衣装。
袋の中から様々な小道具を出したり、
膝隠しが観音開きになってそこにラインダンスの絵が描かれていたりする。

全体に師弟の話で一貫しており、
小手先のギャグではなく、根本的にずれているのが面白い、という
作り方で、個人的には満腹。
演者のタカラヅカ好きが共通認識になっているのでウケている、
という点は否定できないが。


花詩歌グランドロマン「ベルサイユのバラ名場面集」

長い仲入りの後、演者にとってのメイン。
最初にスクリーンで「ベルサイユのバラ」を説明しつつ
古いパンフなどを見せる。

その後演者が様々な役に扮して歌ったり、芝居をして見せたりする。
非常に凝った扮装や小道具が凄い。
最初の方で一人一人が歌っていく場面は、
1曲1曲が短く、少し物足りなく細切れになっている感じ。

皆が歌ったり芝居したりするのが好きなのだろう、
というのがよく分かり、楽しめた。
暗転での舞台配置転換で少し手間取るところが目に付いた。
このあたりは準備不足だったのでは、と思う。

こってりしたデザートで、全体には満足。


コメント (1)
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