「北の山・じろう」日記

内容は主に時事問題。時々株式投資関係の記事も交じります。

悲劇の国アフガン<2023年10月

2023-10-31 18:38:20 | 東南アジア~西アジア

①アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)
ウイキペデイア(フリー百科事典)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E7%B4%9B%E4%BA%89_(1978%E5%B9%B4-1989%E5%B9%B4)

よくご存じだと思います。詳しくはURLからお読みください。この戦争で・・・
『これにより戦後は一時的に国民の半分が14歳以下(つまり大部分の大人が死亡した)になるほどであった』
『少なくとも400万人以上の難民が発生し、周辺諸国に逃れた』
『市民の死傷者を含めると、総人口の10%、男性人口の13.5%が死亡し、全体では150万人が死亡したと推定されている』
『全国民の半数の14歳以上の者が死んだために、識字率は36.3%という低い数字にまでなり、このことは現在でもアフガニスタンの経済成長を阻害している』
②アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E7%B4%9B%E4%BA%89_(1989%E5%B9%B4-2001%E5%B9%B4)

1996年、ターリバーンがカーブルを占領し、アフガニスタン・イスラム首長国の成立を宣言

③アメリカのアフガニスタン侵攻
2001年10月7日~ 同年12月7日
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E4%BE%B5%E6%94%BB


アメリカとNATO、アフガニスタンからの正式撤退開始
2021年5月2日
https://www.bbc.com/japanese/56960501
【解説】 タリバンとは何者か 米軍撤収のアフガニスタンで復権
2021年8月16日
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-58229643

(アフガンの歴史・その他)
④アフガニスタン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3

1978年のソ連アフガン侵攻以降、2021年NATO撤退後、タリバンが政権を掌握するまで外国との戦争(ソ連・NATO)か内乱が続きました。

①の資料を読むと旧ソ連との戦争の被害の酷さに驚くと思います。
『これにより戦後は一時的に国民の半分が14歳以下(つまり大部分の大人が死亡した)になるほどであった』
『全国民の半数の14歳以上の者が死んだために、識字率は36.3%という低い数字にまでなり、このことは現在でもアフガニスタンの経済成長を阻害している』

最も悲劇的なことは、この時点で通常の意味での学校や学問が断絶したと言っていいと思います。社会が近世位に逆戻りしたと言っていいと思います。子供たちが社会を見よう見まねで作り直したと言っていいと思います。

そしてアフガン再統一の原動力となったのが、パキスタンの難民キャンプのイスラム神学校でコーランを学んだ学生たちです。彼らはコーランしか学んでいません。イスラム原理主義がその教義です。

ターリバーン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3

彼らは戦える年齢になると陸続とアフガンに戻り、荒れ果てて地方軍閥の割拠するアフガン統一を始めました。やっと、それが大体完成したのが・・・・・
『1996年、ターリバーンがカーブルを占領し、アフガニスタン・イスラム首長国の成立を宣言』

順調であれば、ここからアフガン復興が始まるはずでした。ところがアラブ義勇兵から発生したアルカイダが、アメリカに大規模テロ攻撃を行いました。

これで再びアメリカの攻撃を受けて、タリバンは反政府軍として地方を根拠にアメリカに対して抵抗運動をしなければなりませんでした。

アルカイダがアフガンにいたというだけでタリバンが大規模テロに加わったのではありません。アラブ義勇兵は、旧ソ連と戦ってくれた同志です。だからタリバンは、特にアルカイダを追い出すこともなく居住を許していただけです。言ってみれば、アメリカとアルカイダの戦争の巻き添えになったと言うべきでしょうね。

アメリカをやっと撤退に追い込んだのが、2021年です。2001年アメリカのアフガン侵攻で失った国家主権を、やっとタリバンは回復することが出来ました。

旧ソ連侵攻1978年以来、失われていたアフガン政府が樹立されたとも言えます。この間、40年以上です。

この簡単な歴史を知るならタリバンが悪いなどとは、到底言えないはずです。

国家も社会も生産手段も経済も教育も全て失った子供たちが、40年かけてやっと自分たちの国家主権を回復することが出来ました。その代償としてアフガンは、ほぼ近世の社会に後退するしかありませんでした。社会の連続性が完全に失われて改めてこれから作り直さなければ、なりません。今のタリバンの幹部は、教育は神学校しかなかった世代です。学校もなく貧困の中で育った世代です。その人たちに世間並みの事をやれと言っても土台無理でしょう?

このどこに批判すべき点があります。
むしろ称賛されるべきでしょう。
多少、失敗したり上手くいかないのはごく当然のことです。古い近世の社会が、しかも1回完全に破壊された社会をこれから作り直していくと理解するなら、温かく長い目で見守るべきでしょう。余計な口出しをせず、時に必要な援助をしながらです。

アメリカと旧ソ連が完全にアフガンを破壊したのですからそれは、当然だと思います。

現実は、どうです?
アメリカとNATOは、追放された腹いせにタリバンをアフガンの主権者として認めず、国際社会から隔離したままです。

ある意味、これがアメリカとNATOの究極の、ダブルスタンダードと言えるかもしれません。

武力で侵略し傀儡世間を作ってアフガンを支配しようとして20年もかけて失敗して追放され、仕返しをしています。自分たちの言うことを聞かなかったから懲罰を与えています。

世間の常識では、懲罰を受けなければならないのは!
アメリカとNATOの極悪コンビでしょう!
ロシアも懲罰です!

皆さんは、キチンと理解していますか❓


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