「北の山・じろう」日記

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ロシア軍の特別軍事作戦の司令官は誰か❓<ウクライナ紛争2024.05.28

2024-05-29 19:24:15 | 中立の視点で見るウクライナ紛争

2023年のどの時点かからロシア軍には、大きな変化が見られます。
例えば、2023年1月~3月ごろはロシア軍は支離滅裂な攻撃をしていました。ほぼ全体的な計画がなく、各部隊が勝手に軍事行動しているように見えました。無駄な攻撃と大きな損害で、愚かで弱いロシア軍そのものでした。
ロシア国内からも余りの間抜けぶりに非難ごうごうでした。

振り返って考えてみると多分3月ごろに変化があったのであろうと思います。
アウデイーイウカ攻略作戦が始まったのが、このころです。
攻防が激しくなったのは秋ですが、実際には3月ごろから作戦は始まっていました。
詳細は、省略。

その後、ロシア軍の行動には全体としての整合性が見られます。それ以前のロシア軍のバラバラな行動とは明らかに違います。
誰かが特別軍事作戦の指揮を執り始めたから、こう変化したと思います。それは誰か❓
分かりませんが、一応ロシア軍の人事を見てみます。

『ウクライナ侵攻の総司令官に異例の軍制服組トップを任命 ゲラシモフ参謀総長が直接指揮 「背水の陣」か』 
2023年1月12日 19時01分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/224919

この記事では、スロビキン大将に功績がなかったとしています。
しかし2022年敗勢に近いロシア軍を立て直し、スロビキン・ラインを建設し、今も続く「南は守り、東を攻める」と言うロシア軍の基本計画を決めたのは、スロビキン大将であり功績は大きいと言えます。
2022年10月に総司令官に任命されたスロビキン大将が2023年1月に副司令官に降格したのは、ロシア軍内部の権力闘争によります。

当時ショイグ国防相とゲラシモフ参謀総長を批判しまくっていたのが、ワグネルのプリゴジン&カディロフです。ショイグ国防相とゲラシモフ参謀総長の追い落としを図りました。
プリゴジン&カディロフが支持していたのがスロビキン大将です。その影響力を弱めるためにスロビキン大将は降格させられたと言えます。

その後も両者の権力闘争は続きますが、最終的にプーチン氏の支持を得たショイグ国防相とゲラシモフ参謀総長が勝利し、ワグネルの解体が決まったのが5月ごろです。

それは脇に置いて・・・

ハルキウ州からの撤退を決めたためロシア軍は、大きく占領地を失いました。今、考えると撤退しなければ兵士の損傷は甚大になっていたと思われます。それを回避するために撤退を決定したのが、当時・中央軍管区司令官のラピン上級大将であったようです。撤退の責任を問われ2022年10月に中央軍管区司令官から更迭されます。
これをプリゴジン&カディロフは批判したようです。

しかし、記事によるとラピン上級大将は国防省内の評価は高く、ショイグ国防相とゲラシモフ参謀総長の派閥に属する主流派です。
その能力を評価するゲラシモフ参謀総長は、特別軍事作戦の総司令官に就任するときにラピン上級大将を陸軍参謀長に任命します。

おそらく降格した副司令官のスロビキン大将は徐々に権限を剝奪され、代わりに実質的に特別軍事作戦の指揮を執るようになったのが陸軍参謀長のラピン上級大将ではないか・と推測できます。

ゲラシモフ参謀総長が特別軍事作戦の指揮を執るのは事務量の膨大さを考えると到底無理です。
だから内部では陸軍参謀長のラピン上級大将が代行を務めているのではないか・と思います。

そうすると2023年3月ごろからロシア軍の指揮命令系統が明確になり全体としての整合性が取れた理由が分かります。
ゲラシモフ参謀総長の秘蔵っ子と言うことでしょうね❓
『※ただし、これは私の推測でありそう書いた記事はありません。』
まだ名目上は、特別軍事作戦の総司令官はゲラシモフ参謀総長のままだと思います。


※関連記事目次
「中立の視点で見るウクライナ紛争」の目次⑤
https://blog.goo.ne.jp/kitanoyamajirou/e/e2c67e9b59ec09731a1b86a632f91b27

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