黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

作者:神

2005-10-04 23:23:54 | Weblog
小さい時は神様の存在を信じていました。
怖い夢を見たとき、友達と喧嘩した時、母親がなかなか
帰ってこない時。

小学校中学年のころ、神様の存在を自分の中から消しました。
どんなに願っても、結局は両親の離婚を止めてくれやしなかった
からです。今更には言わない(と言ってもやはり未練がないと
言えば嘘になる)けれどこのとき、幼い私はある意味一度
死んだのかもしれません。

そこから大人になるまで、私は神頼みなど決してしませんでした。
そういえば、初詣なども行かないほどに。

大人になるまで、正確にはニューカレドニアのウヴェアに行った
時まで。

オプショナルツアーでニューカレドニア本島から飛行機で行く事に
大儀を感じていましたが、同行者の誘いでしぶしぶ行きました。

空港から石鹸工場、岬、荒々しい岩の海岸。日差しが少し強い
事を覗けば、さして珍しいものではありません。

でも、映画の撮影地ともなった白い砂浜に着いたときに感じました。
神様の存在を。

どこまでも、あちらからこちら、そして延々と続く白い砂浜。
真っ青な空と淡い蒼色の海。もちろんそれらも延々に。
思わず「神様っておるんやね」と呟きました。

その夜、洋上のクルーザーで夕飯を食べた時、夕焼けから日没、
そしてプラネタリウムのような星空を見上げた時、星の明かりが眩しいと
感じた時に同じ事を呟きました。

別に願い事を叶えてくれるわけではないけれど、そんな
「MADE IN GOD」とも言えるものを作られた神様は偉大だと思いました。
「火の鳥」の未来編にも同じような台詞がでてきますが、それ以外の
言葉がありません。大胆で壮大だけれども緻密で荘厳なこの世界の
全てのを作った、誰もが知ってる誰も知らない誰か。

別にまた願い事を呟くわけではないけれど、宇宙の造詣、生命の神秘に
触れる時、その偉大さを感じずに入られません。

人間を作った感想を是非聞いてみたいものです。
コメント (4)
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幸せの価値

2005-10-04 21:27:52 | Weblog
帰り道の電車、吸い込んでもまだ吸い込めるほど
濃い夜が車窓の外には広がっています。そんな季節に
なりました。

そんな暗闇を見つめていると色々な事を考えます。

例えば、幸せの価値とは、とか。

色んな出来事が積み重なって自分の状態は作られて行きます。
よい事、悪い事、当たり前のこと、異常な事。
好ましい事、受け入れられない事、憎むべき事。

同じような現象も人によっては価値が全く逆になったりも
します。大音響で乱暴な運転でスポーツカーを乗り回すのが
幸せである人もいれば、全く音の無い真夜中の読書こそが
幸せであると言う人もいます。まさに千差万別。

全ての人の中にさまざまな価値があります。そしてそんな価値が
積み重なって幸せが作られていきます。だとするならば、
幸せ自体には価値など無く、そうであるかないかという二つの
値しか持っていないのでは?あくまでも幸せというのは状態に
過ぎないものなのではないでしょうか。ちょうど、さまざまな
気候や気圧で水が氷になったり、水になったり、水蒸気になったり
するような、まさにその在り様。

果たして、今の私は水、氷、それとも水蒸気?そのうちのどれが
幸せなんてやっぱり解かりませんけれどね。

ひとつだけ。

今、好きな人がいます。そう思う事は私にとっては大事な、意味ある
価値を示してくれます。

なら、幸せと言えるのかもしれません。
そうだ、幸せだ、きっと。
コメント (2)
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