黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

please give me next decade.

2006-09-24 20:30:15 | Weblog
昨日ベロンベロンになるまで飲んだにも係わらず、今日も懲りずに
独りでカラオケにて歌ってました。 最近のお気に入りは、globeの
「DECADE Live」をソースにした各曲の「DECADEVer.」です。
今までにも何曲はかは歌ったことがあるのですが、今回は無謀にも
全部歌いました。

何曲かは初めてDECADEVer.で歌う曲があったのですが、
「FACES PLACES」もそんな1曲です。

割と編曲がオリジナルっぽいなぁと歌っていると 、
「in 1997」が「in 2004」になっている箇所がありました。
「DECADE live」をお聞きになった方には 何を今更・・・かもしれませんが、
私はそれなりに 衝撃を感じました。

若かりし学生時代、いつも聞いていたglobe。最近は往時ほどの
人気もなければ、CDも売れてません。でも、その時に流れていた曲の
輝きは今も変わりません。

そんな日々からもう10年。
歌っていると、何故か涙が頬を伝いました。

何ででしょうねぇ・・・上手く説明できません。
自分の学生時代を知らず思ってなのか、彼らが今なお健在である
事なのか。それとも、もっと別の事なのかもしれません。

こんな素敵な感情を抱かせてくれる彼らが、「in 2004」が「in 2014」に
なるまで頑張って欲しいと思う、1ファンなのでした。
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脳細胞に咲き乱れる菫の花

2006-09-23 23:11:14 | Weblog
本日の演目はミュージカルが「堕天使の涙 Lucifer」、レビューは
「タランテラ」です。サラサさんが聞いたところ、「懇親の駄作」との
事ですが、私としては「宝塚とはどういうものか」というところが
分かれば問題ないので、そこは特に気にしません。

席は2階席。舞台の奥までは一望できませんが、全体が見渡せるので
私好みの席です。当然、演者のお顔は区別がつきません。光学的にも、
私の認識的にも。

感想としまして、中々面白かったです。ストーリーがやや説教臭い
ところはありましたが、前々世紀末のパリの退廃振りや心理描写は
よく現れていたと思います。まもなく退団される男役の方のダンスも
非常に美麗でした。

ミュージカルが終わり、休憩を挟みます。

嗚呼、この時点でもうドップリです、ドップリ。スペインのトマト
祭りで、衣服も肌も髪も心もトマト色に染まっている人が報じられ
ますが、あの人たちのように私も宝塚色にドップリ染まりました。

さっきは怖気づいて入れなかったお店にも立ち寄り、挙句、お土産の
限定パッケージ萩の月まで買っていました(さらに言えば、帰りには
「ベルばら」ガシャポンまで買っていました。しかもサラサさんに
沢山の「お土産」まで頂戴しました。手ぶらでお返ししてしまった
事が悔やまれます。時期は何かを)。

レビューは途中、退屈なシーンがあったものの、そこ以外はラテン曲が
歌われ(しかも凄くお上手でした)、私のボルテージは上がりっぱなし
です。演目が進むにつれて徐々に姿を現す大階段と煌きを増す衣装。
見えないはずのシャボン玉が舞台に見えます。そう、岡田あーみんの
作品のように。

見終わったときの満足感はまさに「タカラヅカ・エクスペリエンス」。
私はこの上も無いほどに、満足感を感じていました。ブラボー!
演者の方は勿論、お誘いくださったサラサさんにも、その誘いに乗った
自分にも感謝、感謝なのです。

そう、それは出待ちをするほどに。

日はかすかに西の山を照らすほどになり、冷たい空気が方々から
流れ込んでいます。それでも、真夏の出待ちや真冬の出待ちよりは
楽だろう、と考えながら、待つ人々を観察します。

ファンクラブの人、他。とても分かりやすい区分けです。
今日、主演だった方がお見送りされたのを確認して、サラサさんがたと
お別れしました。またご一緒できることを願って(11月に公演される
舞台のチケットを融通していただけるとのことでしたが、あれはまだ
あるのでしょうか)。

帰りの電車、人目もはばからずにパンフレットを見ていました。
柔らかいため息を吐きながら、演目を脳裏に咲かせながら。

脳細胞にはすっかり、菫の花が根を下ろしたようです。
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脳細胞でエグゼキュートされる菫の芽

2006-09-23 23:10:37 | Weblog
(゜∀゜)ウヒョヒョヒョヒョヒョ

14時に1回目の舞台が終了し、2回目の15時までも時間が
あるので、館内は一番閑散としている時間のはずなのに、
不思議なオーラで満ちています。

館内で一番大きなグッズショップに行って解りました。
皆様、こちらで色んなグッズを物色なさっていたのですね。
入り口から溢れんばかりに、お店は人でごった返して
います。・・・意気地なしの私はそこに飛び込めませんでした。

仕方無しに、劇場入り口でバスツアー観光客や駅から歩いて
やって来られる人たちを眺めます。私は知らなかったのですが、
当日券が売っていました。しかも、並んだりすることも無く、
すぐにチケットカウンターで買うことが出来るのです(良席は
並んでとる必要があるのでしょうけれど)。

14時を少し過ぎたくらいに、無事に更紗さんと合流できました。
ですが、彼女は「別の用事」があるらしく、開演前にそちらへ
向かわないければならないとの事でした。その間に更紗さんの
ご友人と合流し、彼女に「ミュージアム」を案内して頂ける
事に。

ミュージアムは劇場内にあって、それほど広くは無いものの、
前回公演(「ベルサイユのばら」でした)の衣装が展示されて
いました。これらの一つ一つが手縫いされ、ジェンヌたちが
纏って演じたとき、造詣以上の美しさを放つことを実感させられ
ました。何故なら、美しくても展示されているものは「衣装」に
過ぎないと思われたからです。それでも、ビーズつかいの衣装は
華やかで、舞台の絢爛さは感じられました。

衣装のほかにも、小道具やセットの一部が展示され、ブロンズの
手形などもありました。一つ一つと手を合わせて比べてみましたが、
皆様以外に小さかったです。女性だからそうなのでしょうけれど、
皆様、180センチくらいありそうに思えましたから。

そうしているうちに、更紗さんとも合流です。いよいよ観劇に望みます。

<続く>
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脳細胞にインストールされる菫の種

2006-09-23 23:07:14 | Weblog
土曜日はとてもよい天気でした。
コバルトの空は雲ひとつなく、何処までも続いています。

今日は初宝塚の日です。自宅からそれほど遠くない距離に
あるのに、長年行けずじまいとなっていた宝塚に、いよいよ
足を踏み入れるのです。

観劇をするのは15時からの回です。少し早めに家を出て、
大きな公園のある方の最寄り駅まで向かいます。あまりに
良いお天気でしたので、駅近くのお店でパンとカプチーノを
買って、それをお昼にします。こんな日に、木々生え茂る
場所で何かを食べるのは最高の気分です。

・・・だって正味な所、劇場は瘴気、でなくて何かの「熱気」が
凄そうでしたから。木立の間に間に生まれる、新鮮な空気を
沢山吸っておかなければやられてしまいそうに思ったのです。

JRに乗って、マルーンカラーの私鉄に乗り換えて、1時間半程で
宝塚劇場の最寄り駅に到着です。めったにこの駅まで来ることは
ありませんが、来るたびに妙なゾクゾク感を感じます。駅前には
以前はなかったパチンコ屋が出来ていました。醸成された雰囲気を
壊してまで、税収と自らの懐を満たそうとする市長の熱心さに
頭が下がります(あら、この方はお辞めになってこんなザマ
晒していらしたのですね。)

今回お誘いいただいた更紗さんとの待ち合わせは14時です。
用心深く早く家を出た私は13時半に着いてしまいました。まだ
時間がありましたので、劇場内を探索します。

(゜∀゜)ウヒョヒョヒョヒョヒョ

劇場内に濃密に渦巻く何かしらのオーラに、私は意識を失いそうに
なりました。私は蜂蜜のように濃厚な空気立ち込める、この館から
生還できるのでしょうか。

<続く>
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2006-09-23 00:06:07 | Weblog
木曜日。

午前休でしたので、朝のうちは寝転がって空を眺めて
いました。うろこ雲が棚引き、そよそよと風の音が耳に
入ります。秋は知らずに深まり、知らず傍に現れます。

午後から出社したものの、まるで仕事にならず。
それでも作らなくてはならない資料を作り上げ、いつもよりは
だいぶ遅い時間に帰宅しました。

帰り道、見上げるとカシオペア座が上っています。
明け方くらいになれば、オリオン座も上がっているのでしょうか。


 あきふかしとなりはなにをするひとぞ


机を並べて勉強したあの子は何処にいるのでしょうか。
数件隣に住んでいて、よく遊んだあの子は幸せでしょうか。
夜を共にしたあの子は今頃、違う誰かと夜をすごしている
のでしょうか。

誰も、誰も、誰もはるか彼方、遠い遠い場所にいるのです。
私からは夜空の星ほどの距離感を持つ場所に。

その日の夕飯は秋刀魚でした。脂のタップリのった、豊穣を
そのまま閉じ込めたかのような秋刀魚。秋の豊かさを具現化
したのなら、秋刀魚以上に相応しい姿は無い様に思います。

あの子もあの子もあの子も、既に実在するかわかりませんが、
舌の上で踊る秋刀魚の食味や風味は脳内の電気信号であれ、
現実に違いありません。

現実とはなんと豊かで寂しいのだろう。
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