黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

棲処

2010-06-21 22:24:00 | Weblog
今の家に越して、早いものでもう1年と3ヶ月弱。

新品の匂いはとおに何処かへ消え去って、私ともう1人の匂いに
満たされています。なめらかな桜のフローリングは甘く色づき、
確かに生活が存在している事の証となる、幾つもの、幾種類もの
疵が生まれています。琺瑯の台所は相変わらず白く輝いていますが、
収納に満たされた食器と幾度も買い足した調味料、ちょっとした
焦げ跡。毎日私らを作っているものが作られています。その歴史。

たった1年と少しなのに、この家は私たちの家です。間違いなく。
新品の出来上がったばかりの時も、権利上はもちろんそうだったの
だけれども、そうではなくて、気配や家でしか通じない話、言葉が
染みついた、正真正銘、私たちの家。

終の棲家になるとは思わないけれど、生きている限り、この家で
あった出来事と、この家そのものを忘れないでしょう。時にいがみ
合い、思い出したいと聞かれたら、素直にハイとは言えない
出来事も全部引っくるめて。

家そのものを持つというのも素晴らしいけれど、記憶を生み出す世界を、
いつ帰り着いても安堵できる世界を持てた事こそ、素晴らしいのです。
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終点であり、始点である

2010-06-21 21:13:29 | Weblog
夏至です。

今日を過ぎると、冬至までどんどん昼間の時間が短くなっていきます。
でも、そんなことは秋深く、隣は何をする人ぞ、で、家の明かりに
温もりと望郷を感じられる季節まで、全然気がつく事はないのだけど。

夏に至ると書いて、夏至。その名付けの理由がそこから来ているか
どうかは解らないけれど、これから大気はどんどん太陽に暖められて、
夏を形作っていきます。どこが最高に満ちた夏かは判らないけれど、
その端々に燃えるような光線と、延々と続き路を埋め尽くす陽炎、
子供の声、入道雲を五感に納める毎に、夏を感じるのでしょう。

私にとっては忌々しい夏、肌を刺す紫外線、眼球の裏までを貫く可視
光線、あげくの頭痛。忌々しい。心の中に真冬の風と、それが首元を
なでて体温を奪っていく感覚を反芻しながら、私は夏を耐え抜きます。

でも、嫌いじゃない。冬至のころ、夏の日差しの忌ま忌ましさを思い、
案外に悪いものでもないななどと考えているような気がします。
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