黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

what does 脳 know ?

2007-04-29 10:50:38 | Weblog
昨晩の事。

ゼラニウムが無事花をつけたので、次の植物に
掛かろうと決めました。植木鉢を買って・・・と思って
いたのですが、友人が園芸好きなのを思い出し、
厚かましくも余っている植木鉢が無いかを聞いて
見ました。すると今は使っていないのを幾つか持っている
との事。今度、遊びに行った際にでも頂いていこうかと
思ったのですが、街をぶらぶらしていると「持って行くよ」の
連絡がありました。

日も沈んだ頃、本屋の「人文」コーナーで合流しました。
植木鉢(テラコッタ製のしゃれたシェイプの、立派な植木鉢)
を頂き、時間も良い頃でしたので、そのまま夕御飯を供に
する事としました。

場所は商店街のお好み焼き屋。

(続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ターミナルに独り

2007-04-28 04:25:39 | Weblog
こんな時間に、私はターミナル駅で一時間後に発車する
始発を待っています。久しぶりに夜遊びをしたのです。

背徳。

一つの恋を拾う事が出来たのかも知れませんが、
間抜けな事にスルーしてしまいました。私、とことん
自分のペース外の事は苦手なのです。相手の良心的で
融和的なアクションですらどう対処したらいいのか、
どんな表情をしたらいいのかが解らないのです。
結果、堅く歪な笑顔を、顔の上に醜く描いてしまうのです。

恋路に旅立つのはいつの頃なのでしょうか。始発は
逃す事は無くとも、恋路への切符は1回逃してしまった
ようです、少なくとも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある状態

2007-04-25 08:17:03 | Weblog
最近、体のだるさを強く感じます。特に激しい運動を
したりとか、仕事が忙しいとか、そう言った事は無いの
だけれども。

慢性的な倦怠感、実は今に始まった事ではありません。
もう何年も前から、理由も無くこういう倦怠感やだるさ、
時には頭痛を感じるのです。

昨日、何かの弾みで「慢性疲労症候群」と言う
病名を思い出しました。原因不明の疲労や倦怠感が続く
病気です。現在の所、有効な治療法はありません。
治療には対処療法による症状の改善を図る方法が
取られています。

治療法もさる事ながら、専門医も不足しているようです。
的確な診断をされぬまま、別の病気と判断されて
見当違いの処置をされる事も少なくないようです。

この倦怠感、他に理由がないような気もします。
放置しても死に至るわけではありませんが、曇天の
ような気持ちが何時までも続くかと思うと…。

何かに行けば診断して頂けるのでしょうか。
そもそも、本当に「慢性疲労症候群」なのでしょうか。
何であれ、この倦怠感は私の人生の半分を殺しています。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南港と東京

2007-04-25 00:50:39 | Weblog
だったら、同じ位の時間で行ける場所に住んでいるのだから、
東京の人と付き合うのもそんなに悪い事ではないのかも。

ああ、無理、無理、無理。やっぱり無理。

同市内に住む友人と夕暮麦酒会(と勝手に心の中で言っている、
ただ私が麦酒片手に友人宅に押しかけるだけの事)で、彼曰く、
「好きな人と生活がしたい」と。激しく同意する私。

キラキラしたものに誰もが惹かれてしまうけれど、そんな
キラキラは瞬間で古くなり、ただ輝きが劣化したという事実だけが
残るのですよ。本当に。

鰯を煮付けたって、豆ご飯炊いたって、玉ねぎとソーセージの
スープを作ったって独りじゃ味気ないのですよ。でも、それ
以上に貴重な気楽さ!ああ、どちらが本当の願望なのでしょうか。

そんなおり、母親からメールが届きました。どうやら父親に制裁中
とのこと。メールの文末に「二人は鬱陶しい、一人は寂しい」
との記述有。・・・血は水よりも濃くて、争えない物です。

ただ今鮭トバご飯を製作中。独りで全部平らげちゃうんだから、
BBC聞きながら。何言っているか殆どわかんないけれど。

華子、ラジオっていいね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白い影、あるいは沁み。または思い出。

2007-04-14 09:48:53 | Weblog
昨日の帰路、電車にて。

独りで暮らしだしてはや二週間です。日々の家事を
無事にやり遂げられるかが心配でしたが、自炊も
含めて何事も問題なく(掃除はやはり苦手だけれども。
あと、慣れない住処がため、頭を打つこともしばしば)。
あまりに順調すぎて、あと千年くらいは独りで暮らして
いけそうです。もし、生きられたなら。

独り暮らしの開始は、私の人生にとって節目となる
出来事です。人生は杓子定規のようなもの。節目、節目で
折り曲がるための転換点はありますが、伸ばせば
一路の人生なのです。

独り暮らしや両親の離婚、最初の会社で心破れた
日々は人生の転換点となっています。暮らしそのものを
ドラスティックに変えてしまったのですから。でも
私は私でありました。心の模様や色は変わりましたが、
根本に存在する意識まで変える事はありません
でした。

でも、愛犬の死は私の意識を変えてしまいました。
これまで白い色を「白」と呼んでいたのを、「黒」と
呼ぶようになるくらいに。私の中の根本を変えてしまった
のです。ただ、それが何なのかをはっきりと掴むことは
できません。自分の事なのに。でも、変わってしまった
のです。もちろん、挙動言動が変わってしまったわけでは
ありません。勿論。

でも、脳裏に彼の体温や息を吸う吐くの音、眠たげな
表情と健脚。怒ったり喜んだり。悲しんだり慰めて
くれたり。何もかも、何もかも愛おしく素晴らしい
存在。意味することは知るすべも無いけれど、無意味など
とても言えない挙動全て。

ペットロスと言えばそうかも知れません。でも、日常に
支障をきたすような事は無く、偶に、例えば車窓に体を
預ける様なときに、不意に思い出すのです。

ペットの人間扱いはしばしば問題になります。私も良い
振る舞いとは思えません。でも、
彼らを「家族」や「友人」と見なす事はとても素晴らしい
事だと思うのです。私はそうして、彼と接して来ました。

そんな彼は遠くに。家族であり友人であった彼は、とても
とても遠くへ。

私を変えない訳はないのです。きっと、肉親同様に彼へ
向けられていた愛情がオウバーフロウしているが為、
こんな風に思うのでしょうか。

この思い、注ぐ器はいずこに。見つからないまま、
日々は続いていきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする