黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

執着

2009-03-24 16:42:24 | Weblog
終着は苦痛の始まり、と仏教は説きますが、執着無くして
何の人生か、と思うのです、私は。苦痛の始まりと言うので
あれば、執着を持つのは、生きることが試練であり、苦痛を
伴うとの考えに合致しているとも思うのです。

私の最大の執着は「家」です。衣食住の住。これはリフォーム
という途上にあるとはいえ、すでに満たされました。つまり
もっとも大きかった執着が満たされ、次に大きい執着が浮かび
上がってくると言うことです。

次に大きい執着、それは仕事でも何でも無く、素直でないと
いう事をそうでないようにしたいと言うことです。それには
いろいろな要素があって、その一つずつを満足させて行か
なくてはなりません。

「いかなくてはなりません」?

なぜ、私は満足しようとしているのに、あたかも義務のように
それを満たそうとしているのでしょうか。義務でも何でも無い、
自信の満足だけのためというのに。

執着が必要か否か、私の浅い心では判断ができません。
コメント (4)
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卵と鶏

2009-03-24 12:09:20 | Weblog
体調不良で憂鬱なのでしょうか、
それとも憂鬱にて体調不良なのでしょうか。

ここ3日間ほど、暫くは無かった扁桃炎で体調を崩しています。
もともと扁桃腺が肥大気味でしたので、良く風邪とともに扁桃炎には
罹っていたのですが、扁桃炎だけに罹患するのは本当に久しぶりです。
それこそ、子供の頃以来です。扁桃炎の辛いところは喉の痛みの他に、
ひどい発熱があります。寝ても覚めても発熱していて、さっきに比べて
上がっただろうか、下がっただろうかに一喜一憂しなくてはなりません。
別にその一喜一憂が病状を良くするわけでも何でもありませんのに。

今の我が家はそれもあって体温計がありません。今の体温が日常生活に
支障を来たすものか否かぐらいはわかりますし、元々平熱が37度ある身
ではあまり役に立たないような気もするのです。それでも、今この瞬間は
いったい何度あるのかを知りたいと思うのです。

それにしてもなぜ扁桃炎に懸ったのだろうと、こんな酷い、まともに
思考も出来ない状態でも原因を気にするのは人の性でしょうか。いや、
むしろ朦朧とする状態がそれを誘っているのかもしれません。

・マスクなしに人混みに出たから?
・遊び疲れで体力を消耗していたから?
・連休明けで会社に行きたくなかったから?

等々、色々と頭に浮かび、どれもこれも正しいような気もしますし、
的外れのような気もします。正直なところ、どれも正しくなくて、
どれも少しずつ正しいような。

知っているんですよ、これらではなくて、主因ではないけれど遠因と
なる強力な出来事があって、それについて深く悩み、リビドーを自分で
傷付けていた事を。結果、その報いが体の、私の一番弱い喉に実体化
してしまった事を。認めたくないのです、絶対。口にもしたくないのです、
絶対。

今更嘆いても仕方ないし、それをこれから覆すことも多分できません。
全ての選択肢は自分で選んできた物ですし、それそのものを悲観する
事は自分を全否定する事です。

ヒトは(少なくとも私は)体調を崩すと不安になったり、どうでも
良いこと(おそらく世界中のいろんな基準から考えて)を悩んだり
するのです。そこに、目を開けると窓とベランダと高さ。
インフルエンザに罹った子供たちの内の何人かが飛び降りた気持ち、
今はこれ以上ない近しさでわかるような気がします。だって、
飛び降りてしまえば、いろいろな責め苦から解放されるのですから。
今ここにある責め苦と、またくる責め苦の恐怖から。

今日はとても良い天気。青い空と、白い雲。標準的な団地と洗濯物。

私、本当は馬鹿なんです。馬鹿と言うことを悟られたり、知られたく
ないから、ただ頭がぼうっとしている事をこんな風に意味もなく、
長々と書き連ねているんです。つまり、もう寝なさいって言うこと。
お休みなさい、お母さん。
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