黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

黄色い拍子木の世界

2100-10-15 00:05:22 | Weblog
黄色い拍子木へようこそいらっしゃいました。
右も左も暗がりばかり。それでも綴れば瞬間、明るさに
出くわすことだってあるのです。たまに、多分、そっと。

(最近の新しい何か)
終焉を見ました。
それでも、底から見える景色は終演ではなく、周縁だったのです。


マイ短歌ライフのアウトプッツ:黄色い拍子
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アラフォー寸前

2018-08-17 15:18:27 | Weblog
9年前くらいに、アラサー寸前って記事を書いていました。
そんな私、来年、いや次の春にはアラフォーになります。記事の中では「アラフォーなんて言葉はすっかり消滅しちゃってるさアハハハハ」なんて書いてますが、世の中にこびり付きすぎて、だれもが知っている表現となってしまいました。広辞苑や大辞林にも載ってそうなほどに。

私自身は早生まれなので、友達の中にはすでに39歳になっている人もいて、私が39歳を迎えて早々に四十路に達してしまう人もいるんですよね。
ものすごく遠くに来たように感じます。自分自身は昔とそんなに変わっていないとおもうのだけれども、そうじゃないのかしら。自分自身のことは誰しも贔屓目に見てしまいます。容姿とか能力とか。客観的にみると、明らかにアラサーの頃とは違うのでしょうか。でも、そのころのいろんなものは変化の中で残っていなくて、もう比べようもないのです。

比べたって仕方ないってことかしら。

私にも甥が産まれ、決して時代のトップランナーではなくて、今は今のトップランナーが未来にたどり着けるのを応援する立場だと思うんですよね。そう思うと、老いたのではなく、役割が変わったといえるのでは。
それでも、白髪を見つけたときに、誰かと愛を示そうとするときに、そして、自分の状況を変えてより良くしたいと思う時に、アラサーの時のような勢いを出せないでいることに気づきます。
戦術を、作戦を変えなくっちゃ。
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ふわふわふわく

2018-08-14 14:20:43 | Weblog
恐ろしいほどの日差し、湿度、熱風。
そんな酷暑ですら、ここ数日は夕方には姿をあやふやにし、今宵はエアコンなしで眠れるのではと幻覚を覚えさせます。
もちろん、エアコンなしで快適に眠ることなど出来やしないのだけれども。とけるアイスクリーム、とけるわたし、とける、とける、とける。

それでもどっこい、元気に過ごしています、腰や肩に覚えのない痛みや張りを感じ、悶絶することもありますが。

去年の1月ごろ、できるだけブログを更新するという目標は淡くも翌日には焼失してしまったみたいで、今日今時点まで滾々と眠り続けていたようです。
その眠っている間、私は個人で仕事を始めたり、在宅勤務をしだしたり、また勤め人のような生活に戻ったり、そして嫌気がさしたりしていました。私には個人で仕事をするというのが合ってなかったように思えたので、また勤め人に戻ろうと考えています。あと甥が産まれ、私は叔父になりました。

自分が思うよりも激しいメイルシュトロームに巻き込まれていて、でも、嵐の中にいるとそれほど騒がしくない、そんなことを感じさせられます。

生きるって何かしら、なんて、いまだに考えさせられます。
これも夏の幻覚でしょうか。私はまだ大人になれそうにありません。
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終わらない夏休み

2017-01-13 11:20:53 | Weblog
朝起きて、朝食をとり、洗濯など家事をこなして、テレビをつける。
こんな専業主婦じみた生活が、私の生活です。今日、テレビが見せてくれたのは歌会始の儀でした。

ふと思い出したんですが、かつて毎日歌を詠んでいた日々があったんですよね、僕にも。お世辞にも上手いとは言えないものばかりですが、あの時は今よりも歌を含め、文章を綴る事が多かったですね。最近は大学のリポートのような硬い文章が多くて、それはそれで意味があると思うんですが、なんだか向いていなくて。毎回、苦しんでします。小説もよく読んでましたね。あれはあの年代だからこそしていたのか、それとも私が変質してしまったのか、今となってはよくわかりません。余裕がないのでしょうか、自分で課しているものに雁字搦めになって。今はそんなはずないのだけれども。しいて言えば、今は放任と怠惰が私を雁字搦めにしています。

そんな心境の中、久しぶりに歌を詠んでみました

夏は好きじゃありません。何もかもが、妙に生き生きしだして、私もそれに従わないといけないし、なんだかもったいない気がして。でも、秋になって夢から覚めてしまって、涼風が頬を撫でるころには、ああ、足掻いたなって思わされてしまうからです。でも、去年の夏は終わってほしくなかったな。
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意識不明

2017-01-12 15:39:55 | Weblog
フィリピンから帰ってきてから、記事を一度更新していたことすら、完全に忘れてしまっている始末。あまりにも長すぎる夏休みにて、私の意識はもうほとんど死んでいるように思われます。

いくつか立てた今年の抱負のうち、ひとつは「BLOGを更新する」にしました。今日、こうやって更新してしまえば達成できてしまうイージーすぎる目標です。今、手元には両手からあふれ出て我が家を完全に満たしてしまうほどの時間があります。どこに行ってもいいし、何をしてもいいのです。でも、どこにも行かないし、何もしません。何も、と言っても日常に必要なことはしますし、映画をみたり、ゲームをしたりはします。有意なことをしていない、例えば勉強するとか、もっといい仕事を探すとか。人間とは本当に自分勝手なもので、暇ができると怠惰になります、目標もない場合。

去年の今頃は、何年越しかの願望がまもなく成就するということもあり、生きている実感がありました。今は、まったくありません。ただ起きて、ただ食べて、ただ眠る、何という怠惰。親友曰く、こういう時期も必要とは言うけれど、周りにおいて行かれる孤独感や焦燥感があって、何を(それこそ優位なこと)をしていても、落ち着きません。

根本はわかっているんです。今、したいことがありません。一応、ほかの抱負として「大学を卒業できるだけの単位を取得する」とか「TOEICで今よりいいスコアを取る」とかもあるんですけれど、特にないから仕方なく。大賞該当が無くて、佳作ばかりが並んで白けてしまっている、そんな感じでしょうか。お内裏様とお雛様のいない雛飾り、頭のない達磨落とし、炭酸のないコーラ。満たされます? ほら、満たされないでしょう、想像するだけでむなしくなってしまうし、何をもって意味があるかという話もあるけれど、無意味に思えるでしょう。

今いるのは、IKEAのレストランの窓際。窓からは映画の「ヴァニラスカイ」で出てくる、あの空のような色彩のシンフォニー。36歳のおっさんがこんなところで何しているんでしょう。誤解を招かないように、これだけは言いたいのですが、会社を辞めてフィリピンに行ったことは全く後悔していません。むしろ、自分のしたいと思ったことを実際にできる人はどのくらいいるんだろう?と思うと、誇らしくすらあります。辛いのは、次のしたいことが無いだけでなくて、思いつきもしないし、思ったところで、本当に興味のあることがどうかがわからないということです。婚活が生活の柱で、結婚することが目標になっている女の、そのダイレクトすぎて、本人もうまく説明できないであろう純粋な野生と野蛮。そんなもの全くほしくない。でも、その姿勢がうらやましいのです。妬ましくすらあります。今、私にはないんだから。渇望が。ものすごく喉が渇いているのに、飲みたいものがわからないし、それは水ではないという錯乱です、私が今溺れて、どうしようもなくなっているのは。

餡子の入っていない最中。
押せば崩れるし、食べても失望する。満たされているのは無意味。

そうして、また今日も日が暮れる。
ヴァニラスカイも少しずつ、虎屋の羊羹みたく、粘りを増して静かな暗闇に染まっていきます。
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