黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

或る家族

2006-01-31 23:19:23 | Weblog
今朝、ある些細な出来事がありました。

私はその出来事を通して、私達「三人」の家族は今まで
どおりのように暮らしてはいけないことに気がつきました。
今までどおり、比較的安寧に家族という枠を、関係を維持
するなら

・父との関係を切断する
・私が家を出て行く

のどちらしかないように思われます。母にとって終の伴侶に
なるであろう父を母から引き離すなんてことはできそうにも
ありませんので、必然的に後者の選択肢になるのでしょうか。

今まで、家族が私を束縛してきたかのように思っていましたが、
それは大きな間違いでした。私が母を束縛し、更にいえば
家族を束縛してきたのかもしれません。これ以上、壊れて
バラバラになって、痛いくらいの孤独感を感じるのはイヤでした。
早く人生が終わってしまえばいいなんて考えるのもイヤでした。

でも、結果として親密すぎる家族は呼吸困難な関係になって
いたのかもしれません。ただ息苦しいだけの、生活をするため
だけの集団に成り下がっていたのかもしれません。

色々と書き連ねていますが、本当の事などは何も解かりません。
でも、こういう風に思うということは、そういったことの片鱗が
家のいたるところに染み出しているのでしょう。

家族って何なんでしょうね。我が家のように比較的安寧な家族も
居れば、子が親を殺す、親が子を殺す考えられないような絶望
満ちる家族も居ます。

たった一人の人間でも複雑であるのに、それらが群体として生活
する家族という存在。そのそれぞれにはそれぞれの意味があり、
日々は営まれています。

私は、そこにどのような意味があるのか、今は全く見つけることが
できません。

それがため、家を飛び出し、たった一人で暮らしたいのかもしれません。

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或る本

2006-01-31 22:25:53 | Weblog
会社帰り、本屋を覗いていた時に一冊の本が目に入りました。
「完全自殺マニュアル」という、白い装丁の何処にでもありそうな
本です。この本には思い出深いエピソードがありますが、私は
一度も読んだ事はありません。

高校生の頃、私は本の好きなただの男子高校生で、趣味をかねて
図書委員を担当していました。図書委員は図書館の受付当番が
あったり、館報を書かなければならなかったリと面倒くさい事も
多かったのですが、図書館の蔵書を購入することが出来るという、
とても素晴らしいメリットもありました。

学校近くの書店に行って、思い思いの本をダンボールに詰めて
行くのは何とも贅沢な気がしました。自分の小遣いでは買えない
雲ばかり載った写真集や話題の新刊、そしてその時の興味から
無意識に手に取った本。そんな本のうちの一冊が「完全自殺
マニュアル」でした。タイトルのインパクトに惹かれて、中身を
捲ることもなくダンボールに詰めました。

次の日、購入した蔵書にラベルを貼ろうと書店から送られた
ダンボールを覗きましたが、「完全自殺マニュアル」はありません
でした。確かに入れたはずなのになぁと思い、司書の先生に
聞いたところ、返品したとのことでした。その後「そんな本を
学校の図書館に置くことはできない」と軽く怒られました。

私もそんなに読みたかったわけじゃない。でも、タイトルに
惹かれてなんとなく、なんとなく。

17歳の私は、自殺したかったのかもしれない。その頃は自分が
この世に居ても居なくても地球は回るし、ニュースは止め処なく
生まれ続けるし、早く人生が終わってしまえばいいのに、って
思っていました。

結局そんな事もなく、あの頃に比べると格段に幸せでも不幸でも
ないけれど今もこうして生きています。いいか悪いかなんて判断は
つきません。ただ、私は居ても居なくてもどちらでもいいのではない
だろうか?という一番重い元素がにび色に光る気配に似た感情は
相変わらず、心の隅々を隙間なく埋めているけれど。

死に近づきたくなる衝動と、そうでない感情と。私の中ではそれらが
絶え間なく鬩ぎ合っています。それはさっさと終わってしまえば良いと
考えていた「人生」が終わるその日まで続くのでしょう。それらが
鬩ぎ合っている理由や答え、原因なんかが解かることは決して
無いにしても。
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ウェザーレポート

2006-01-29 19:13:17 | Weblog
モスクワ、雪(多分)。
カイロ、晴れ(恐らく)。
東京、ライブドア(豚)。
神戸、晴れたり、曇ったり。

私、胃痛。

ここ2週間ばかり、食べ過ぎた時のようなお腹の圧迫感と
胃痛が続いています。このようなことは以前にもあったの
ですが、2週間も続く事はありませんでした。これは
風邪とかそういった一過的なものではないような気がします。
ストレスなら土日は収まるような気もしますが、今も
シクシクと痛みを感じています。

万が一、「重篤な疾病」であったときの事を考えて、保険の
契約内容を確認しました。今の契約であれば、万一の場合も
金銭的に困る事はなさそうです。無駄だなぁなんて思っていた
保険が役立つ時がそろそろきたのかもしれません。もちろん、
そんな風にならないことの方がよほどありがたいけれど。

来週、痛みが収まりそうにもなければ、病院に行ってみます。
(個人的には通勤が負担になっている事の結果だと思っている)
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2006-01-27 22:06:57 | Weblog
JTのキャンペーンでゴミ拾いをしているそうです。

ゴミを拾う事は良い事ですし、町の美観を向上するのにも役立ちます。
でも、この企画はある種の「トリック」を孕んでいるような気がするのです。

つまり、ゴミを拾うという、モラルの高い行動を起こし、それを大々的に
アナウンスする事によって、ポイ捨てというモラルの低い行動を覆い
隠してしまう意図があるのでは?と思うのです。もともと、道端にはゴミ
などなく、アンモラルな人間がポイ捨てする事によりゴミが設置される
状況になるのですから、「拾う」よりもまず「捨てさせない」という
ようにしなければ、拾っても拾ってもまた捨てられて、いたちごっこに
なっていくだけです。

近頃、JTは必死です。一時に比べれば、タバコが売り上げに占める比重は
低下していますが、消費量低減による売り上げ減が損益計算書に与える
ダメージは決して小さなものではないでしょう。これ以上消費量を低下
させないために、次々と「さわやか」そうなキャンペーンを空々しく
打ち出していますが、タバコの腐臭とポイ捨ての事実は覆しようもありません。

ほんまに、ご飯食べてる最中に吸う輩は許せませんよ・・・。

ポイ捨てと言うアンモラル、別に若い世代に限った事ではなく、いい大人が
ポイ捨てしてます。今日も60間近くらいの人が、燃え盛るタバコをそのまま
ポイ捨てしてました。私が世界一の符号だったのなら、ゴルゴを雇って煙草の
火の不始末もろとも、その汚らしい男の人生も始末していたのに。

でも、最近は腹立つよりも哀れみを感じます。そんなポイ捨てを黙認、という
よりも当たり前のご家庭にお生まれになって、随分と良いお育ちされているのね、
と。生まれてくる時点で、おうちは選べませんものね。おかわいそう・・・。


(・∀・)ニヤニヤ


まあ、モラルにも限界があるでしょうから、早くシンガポール並みに規制が
ひかれる事を切に祈る次第なのです。もしくは煙草一箱1280円とか。いや
むしろポイ捨て野郎をソイレントグリーン。
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ベイリーズ、ラブ

2006-01-26 22:48:30 | Weblog
真っ白い牛乳が褐色の液体と交わり、豊かなベージュ色へと
変化していきます。大地の色は安らぎの色。不安定な一日の
中で生まれてイライラやムカムカも、万物がやがては大地の
土となっていくように、この液体の中で分解されてしまいます。

甘い口当たりは、ついつい口を付いて出てしまう愚痴や不満、
苛立った舌打ちなんかですら、柔らかく包み込みます。最近
口に出すどころか、思い出す事すらない「甘い言葉」を呟いて
みたくなります。

おお、ベイリーズ!

ちょっと酔ってます、ウフフ。
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