神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

高知・山内神社。

2010年10月13日 | ▽中国・四国地方
開運招福・心願成就・夫婦和合

山内神社

(やまうちじんじゃ)
高知県高知市鷹匠町2-4-65




御神木が鬱蒼と茂る山内神社。土佐藩の歴代藩主の御霊が祭られています。




〔御祭神〕
山内一豊公と妻・見性院をはじめとする土佐藩の歴代藩主




 大河ドラマ「龍馬伝」でも、独特の存在感を持ってストーリーの重要な位置を占める土佐藩主・山内豊信(容堂)公。土佐の山内家には、本家のほかに江戸初期に分かれた中村藩山内家、土佐新田藩の麻布山内家という分家のほか、幕末に設けられた第9代藩主・山内豊雍公の二男・山内豊敬公を始祖とする西邸山内家、第10代藩主・山内豊策公の三男・山内豊道公を始祖とする東邸山内家、四男・山内豊著公を始祖とする南邸山内家、六男・山内豊栄公を始祖とする追手山内家などの分家がありました。

 土佐藩の第15代藩主である山内容堂公は、このうちの南邸山内家の嫡男として生まれた傍流の出身でしたが、藩主が相次いで早世したために本家を相続。尊皇攘夷運動や薩摩藩・長州藩を中心とする雄藩と幕府との激しい対立で揺れる幕末の政界で絶えず重要な役回りを演じ、明治維新の実現に大きな役割を果たしました。そのような山内容堂公を含む山内家代々の藩主の御霊を祀っているのが、高知の中心街の南を流れる鏡川のほとりに鎮座している山内神社です。





苔に覆われた趣のある石燈籠(左)と、1835(天保6)年に寄進されたといわれる手水鉢(右)。



 1806(文化3)年、第10代土佐藩主・山内豊策公は、土佐藩の初代藩主・山内一豊公とその妻・見性院(千代)、第2代藩主・山内忠義公の御霊を祀るために、高知城の城内に藤並神社を創建します。藤並神社は1835(天保6)年には「大明神」に昇格され、翌年にはこれを祝うために土佐藩を挙げて大祭が執り行われました。この際、現在山内神社が鎮座している場所に御旅所も設けられました。明治維新後の1871(明治4)年には、土佐藩最後の藩主で初代高知県知藩事を務めた山内豊範公が御旅所の地に山内神社を創建、第3代藩主・山内忠豊公から第14代藩主・山内豊惇公までの歴代藩主の御霊が祀られる事となりました。

 1933(昭和7)年には、第15代藩主・山内容堂公と第16代藩主・山内豊範公が明治維新を実現するために尽力した功績を讃えるための神社が建てられる事となり、山内神社に祀られていた歴代藩主の御霊をいったん藤並神社に遷座した上で新社殿の造営が始められました。この社殿は1935(昭和9)年に完成し、「別格官幣社・山内神社」が新たに創建されました。





西参道沿いにある土佐山内家宝物館(左)と、その脇に立つ西神門(右)。



 山内家代々の遺徳を偲ぶ人々の厚い崇敬を集めていた山内神社藤並神社は、残念ながら1945(昭和20)年1月19日から7月24日までの約半年の間に計8回行われたアメリカ軍の空襲のために焼失してしまいます。戦後しばらくは本格的な社殿の再建は行われず、それぞれ仮宮での祭祀が続けられていましたが、1970(昭和45)年になってようやく現在地に社殿が再建され、同時に藤並神社の合祀も行われて、山内神社は土佐藩歴代の全ての藩主を祀る神社として無事に復興を果たします。1990(平成2)年に高知城に残っていた熊野社・春日社・住吉社が境内に遷座され、2002(平成14)年には山内容堂公を顕彰する銅像も建立されて現在の威容が整う事となりました。





山内一豊公の「よの山の太刀」が御神体として納められている社殿。1970年再建。


熊野・春日・住吉の3社が祀られている脇殿(左)と、「大政奉還を慶ぶ山内容堂公」の銅像(右)。



アクセス
・土佐電鉄「県庁前電停」より南へ徒歩5分。
山内神社地図  【境内図】 Copyright (C) 2000-2010 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・境内無料  ※土佐山内家宝物資料館は入館料が必要(大人:300円、高校生以下無料)

拝観時間
・常時開放  ※土佐山内家宝物資料館=9時~17時

公式サイト


龍馬伝 (NHKシリーズ NHK大河ドラマ歴史ハンドブック)

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