神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

滋賀・百済寺(湖東三山)。

2006年11月17日 | ◆滋賀県

釈迦山 百済寺

(しゃかざん ひゃくさいじ)
滋賀県東近江市百済寺町323


近江西国霊場・第16番札所
湖面十一面観音霊場・第10番札所
湖東二十七名刹霊場・第11番札所
神仏霊場近江 欣求の道・第9番札所




バス駐車場を出るとすぐのところに立つ山門。ここから境内へと進みます。


〔宗派〕
天台宗

〔御本尊〕
十一面観世音菩薩



 湖東三山巡りで一番最後に立ち寄ったのが釈迦山百済寺です。正式な呼び方を「くだらでら」ではなく「ひゃくさいじ」というこの天台宗の寺院は、3つの寺院の中でも最も古い歴史を持つ名刹です。本当は1650(慶安3)年に建立されたという赤門や、「天下遠望の名園」と称される見事な本坊庭園なども見ていきたかったのですが、スケジュールの都合で御本尊との結縁を優先することにしました。百済寺は、606(推古天皇14)年に創建されたと伝えられる湖東三山随一の古刹で、聖徳太子によって創建されたと伝えられています。この地は朝鮮半島の古代国家・百済国からの渡来人である秦氏が多数住んでいた地域だといわれており、その一族の族長的な立場であった秦河勝聖徳太子のブレーンとして活躍した人物です。渡来人と繋がりの強かった聖徳太子が百済の僧・恵慈とともに秦氏の里である湖東の地を訪れたという話も、あながち伝説上の話として片付けられない説得力があります。





仁王門の大草鞋に触れると身体健康・無病長寿のご利益があるそうです。



 伝説によると、聖徳太子が仏教の師と仰ぐ恵慈とともにこの地を訪れた時のこと、東に瑞光を放つ山があるのを見つけます。不思議に思ってその地を訪れたところ、上半分が伐採された杉の巨木が光を放っているのを発見します。「この杉は何か」と聖徳太子恵慈に尋ねたところ、どうやらこの杉の上半分は百済国に運ばれ、龍雲寺という寺院の本尊・十一面観世音菩薩像になっていたことが判りました。この話を聞いた聖徳太子は、これは願ってもない素晴らしい「御衣木(みそぎ)」であるということで、植わったままの幹に仏像を彫刻したといわれており、こうして作られた十一面観世音菩薩像は、「植木の観音」と呼ばれて人々の崇敬を集めたそうです。太子はこの地に龍雲寺を模した寺院を開き、「百済寺」と名づけたといいます。平安時代に入ると西明寺金剛輪寺と同様に天台宗の教化を受けて天台寺院となり、鎌倉時代にかけて最盛期を迎えた百済寺は300の僧坊と1300の僧侶を抱える壮大な寺院となり、その様は「湖東の小叡山」と称されたほどでした。





1650(慶安3)年に再建された本堂。



 そんな百済寺も1498(明応7)年の大火で全焼。その直後の1503(文亀3)年にも兵火に巻き込まれ、創建以来の建築物はもとより仏像や記録類などの大部分が焼失してしまいました。こういった戦乱による被害に対し、百済寺は自衛のために1518(永正15)年から城砦化工事を始めます。これには六角氏の重臣・進藤山城守が指導を行ったといわれています。参道の入口には進藤山城守の館が配され、北と南の尾根に砦を設置したり周囲に土塁を築くなどして中央部の200を超える坊院群を守護するという構造だったようです。こうして武装化されていた百済寺も、1573(天正元)年には織田信長公の焼き討ちに遭ってまたも全山焼失の憂き目に遭います。この5年前の1568(永禄11)年に観音寺城を攻略して六角氏を追い落としていた織田信長公は、六角氏の残党勢力と寺院勢力が連携するのを警戒しており、城砦化して僧兵を多数抱えていた百済寺にも寺領安堵を行うなど懐柔政策を採っていました。しかし、六角氏配下の武将だった森備前守の三男・宗恕百済寺の塔頭・光浄院の住持を務める縁もあって六角氏鯰江城に籠城した際、密かに気脈を通じて支援を行いました。

 寺領安堵まで行い、一時は恭順の姿勢を見せていた百済寺の裏切り行為に激怒した織田信長公は、諸将に命じて全山に火を放ちます。「信長公記」にも「近年、鯰江の城、百済寺より持続け、一揆と同意たるの由、聞こしめし及ばる。四月十一日、百済寺堂塔・伽藍・坊舎・仏閣、悉く灰燼となる。哀れたる様、目も当てられず。」と記されていますし、宣教師ルイス・フロイスもその著「日本史」の中でこの焼き討ちのことを伝えています。焼き討ちは徹底的に行われ、7堂300坊と言われた百済寺は僅かな仏像と経典を残し、全てが灰燼に帰して壊滅しました。織田信長公による焼き討ちの後しばらく荒廃していた百済寺は、1584(天正12)年になって堀秀政公の手で仮本堂が建立されます。「黒衣の宰相」として有名な天海僧正の高弟・亮算上人が再建に着手。井伊家の援助もあって1650(慶安3)年に本堂が再建されました。これが現在残っている本堂で、2004(平成16)年12月に重要文化財の指定を受けました。





弥勒菩薩半跏思惟石像。2000(平成12)年建立。



アクセス
・近江鉄道「尼子駅」よりシャトルバス乗車、約45分
・近江鉄道「八日市駅」下車、バス30分「百済寺本坊前」
百済寺地図  【境内MAP』 Copyright (C) 2000-2006 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・大人:500円 中学生:300円 小学生:100円

拝観時間
・8時~17時

公式サイト



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