松泰山 東光寺
(しょうたいざん とうこうじ)
兵庫県西宮市門戸西町2-26
通 称
門戸厄神
西国薬師四十九霊場・第20番札所
西国愛染十七霊場・第2番札所
摂津国八十八霊場・第76番札所
男性の厄年にちなんで42段ある「男厄神坂」の先には門戸厄神の表門があります。
〔宗派〕
高野山真言宗 別格本山
〔御本尊〕
薬師如来像
(やくしにょらいぞう)
毎年1月18日・19日を中心に各地で厄神祭が開かれ、厄年を迎えた人々や1年間の厄除開運を願う参拝客で賑わいを見せます。数多ある厄神祭の中でも特に霊験あらたかという事で多くの参拝客が詰めかけるのが、兵庫県西宮市にある門戸厄神です。ここには弘法大師空海が3体刻んだといわれる厄神明王像の一つが安置されていますが、門戸厄神にある像は民衆の安泰を祈念して彫られたものだといわれています。残りの2体、高野山の天野社に納められたものは国家安泰を、そして石清水八幡宮に納められたものは天皇家の安泰を祈念して刻まれたといわれており、これらを総称して「日本三体厄神」と呼んでいます。
中楼門(左)と、楼門に至る女厄神坂は、女性の厄年にちなんで33段あります(右)。
「門戸厄神」の愛称で人々の崇敬を集めるこの寺院の正式名称は、松泰山東光寺。嵯峨天皇の勅願によって829(天長6)年に弘法大師空海が開基されたと伝えられますが、御本尊よりも厄神信仰を集める厄神明王のほうがよく知られています。おそらく最初に厄神明王像を祀る厄神堂が建てられ、その地を真言宗寺院として空海が整備したために、真言宗の御本尊である薬師如来像を納める薬師堂は主役の位置から一歩引いたところに建てられているのではないかと考えられます。
楼門正面の厄神堂。弘法大師空海が刻んだ厄神明王像が安置されています。
「主役」である厄神明王像についてのお話。嵯峨天皇が大厄を迎えられて弘法大師空海による厄除祈願が行われた際、煩悩と愛欲といった人間の持つ本能を否定せず、むしろ本能を原動力に向上心へと変える事で仏道を歩ませるという功徳を持つ愛染明王と、密教の根本仏である大日如来の化身として、煩悩から逃れ得ずに苦悩する衆生を力尽くででも救済しようという功徳を持つ不動明王が一体となって厄神明王となり、あらゆる災厄を打ち払ってくれるという霊感を得た嵯峨天皇は、これを空海に伝えて諸厄退散祈願を命じられました。勅願を受けた空海は、白檀の霊木を用いて3体の厄神明王像(正式な名前は両頭愛染明王像)を刻まれ、国家安泰と天皇家の安泰、そして民衆の安泰を祈念されました。この像は嵯峨天皇によって3年間宮中で祈願されたのち、829(天長6)年になって民衆の安泰を祈念した1体が門戸厄神の厄神堂に祀られました。その御姿は厄除けの護符に描かれて民衆の間に広がっていったといわれています。
高安稲荷神社(左)と、門戸厄神の御本尊である薬師如来を祀る薬師堂(右)。
民衆の開運厄除を願う信仰心に支えられてきた門戸厄神も、1578(天正6)年には謀反を起こした荒木村重公を討滅する戦乱に巻き込まれ、織田信長公の軍勢によって焼き討ちされた伽藍は焼失の憂き目に遭います。にも関わらず厄神明王像は奇跡的に無傷のまま焼け跡の中に屹立していた事から人々の信仰は益々強くなり、信者の数も年を追うごとに増えていきました。その信仰は衰える事なく、開運厄除を祈願する人々によって今もなお門戸厄神は強く支えられ続けています。
大黒様と愛染明王を祀る大黒堂・愛染堂(左)と、不動明王を祀る明王堂(右)。
毎月19日は厄神明王の御縁日とされ、新年の初縁日である1月18・19日には厄除大祭が行われています。男性の場合、数え年で25歳・42歳(大厄)・61歳、女性の場合19歳・33歳(大厄)・37歳といわれている厄年の厄落としを祈願する人々を中心に、一年の開運厄除を願う参拝客で賑わいを見せる門戸厄神の厄神大祭には、毎年40万人にものぼる参拝客が詰めかけます。他にも2月3日の節分には、平安時代より密教寺院で行われているという厄除招福祈念の星祭が行われるほか、4月19日には春季厄除祭、8月19日には夏季厄除祭である「厄神まつり」、10月19日には秋季厄除祭、12月19日には納厄神など、19日を軸に様々な祭事が執り行われています。
樹齢800年を全うした杉の根を祀る「延命魂」(左)と、空海を偲ぶ弘法堂(右)。
アクセス
・阪急電車「門戸厄神駅」下車、北西へ徒歩10分
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拝観料
・無料
拝観時間
・常時開放
公式ホームページ